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目からうろこ!BKゼミ

2011年1月6日更新

顧客志向の罠2 顧客への過剰適応

前回は、商品やサービスなどの財が顧客に提供する顧客価値の構造について考えた。顧客価値は機能的価値と経験的価値という2種類の価値から構成され、それぞれ性質も振る舞いも異なる。機能的価値は数値で比較可能なために開発競争が加速される。その結果、顧客の要求水準の上限にまで短時間で到達するのだが、それに気がつかずに、依然として機能的価値の向上を追及し続ける場合が存在することを示した。今回は、企業がその声に熱心に耳を傾ける顧客とは、そもそも一体どのような存在なのかを考えてみたい。

企業が耳を傾けている顧客とは、特定の好みを強く持ち、特定の価値次元に固執し、自分の経験に束縛された存在である。それゆえに、顧客の声を鵜呑みにしてはいけないという教訓が生まれる。しかし、言うのは安く実行は難しい。「顧客がこう言っている」という言葉は、水戸黄門の御印籠のようなもので、それほど企業の意思決定に大きな影響を与えるからだ。しかし顧客の声を鵜呑みにすることは、顧客志向とは似て非なるものだ。この教訓が特に重要になるのは、台頭するイノベーションに直面した時である。

歴史に悪名は残したくないものだが、顧客の声を鵜呑みにした結果、そうなった企業がある。米国ビジネス市場最も愚かな経営判断だ、と後世の歴史家から酷評されている経営判断がそれだ。時は1877年、当時世界最大の電信電報会社ウエスタン・ユニオン(WU)は、電話の発明者ベルからの電話の特許権を譲渡したいという申し出を断った。もしWUがベルから特許権を取得していれば、現在のAT&Tは存在せず、歴史は違ったものになった可能性がある。

なぜWUの経営陣はベルの申し出を断るという愚かな判断をしてしまったのだろうか。それを考えるためのヒントがWUの社内メモとして残されている。そこには、「電話はコミュニケーションの手段としては多くの問題があり本質的に無価値である」と記述されており、WUは電話に対して否定的な評価を下していたことがわかる。電線を使って声を送るという新しい技術に対して、WUは価値がないと評価したのだ。WUは現在の主力事業である電報との共食いを恐れたわけではなかった。ただ電話の価値を評価できなかったのである。

ではWUはなぜ電話に価値がないと判断してしまったのだろうか。この失敗の本質はWUが顧客の声を鵜呑みにしてしまったという点にある。当時WUの電報ビジネスの顧客はビジネスユーザーであった。彼らが伝達手段に対して最も重視する価値次元は、伝達の正確さである。正確な伝達ができなければ、ビジネスで使えないからである。それゆえWUの顧客は、伝達の正確性という点で劣る電話に対して、たとえそれが声を送れるという新しい価値を提供していたとしても、否定的な評価を下したのだ。

おそらくWUの営業マンは、電話という新しい技術に対する顧客の評価を聞くために、顧客を訪問したに違いない。顧客は、電話に否定的な評価を下しただろう。電話には声を伝達できるという新しい価値があるにもかかわらず、伝達の正確さを何よりも重視する顧客はその価値を認めることができなかったのだ。顧客の否定的な評価は営業マンを通してWUの経営陣に伝えられる。WUが優良企業たるゆえんの1つは、間違いなく顧客志向の経営を実践した点にあるだろう。それゆえWUは、電話に否定的な顧客の声に従い、ベルからの申し出を断ったのである。その意味でWUは合理的に失敗したと言える。その後WUは、その判断の誤りを認め電話事業に投資するのだが、もはや手遅れであった。

これは130年以上も前におきた、しかも特定産業のエピソードだが、実は同様の失敗は何度も繰り返されてきた。そこからみえてくる顧客の正体は、特定の価値次元に強く縛られ新しい価値を評価できない顧客の姿である。さらに、そのような顧客に対して過剰適応してしまい、その声を鵜呑みにして言いなりになってしまう危うい企業の姿もそこには垣間見えるだろう。

大学の役割は、このような個別事例を個別のまま取り扱うのでなくて、その背後に存在する汎用的な論理を解き明かすことであろう。そのためには概念化と理論化が必要になる。それによって初めて他産業でも適用可能になるからだ。ハーバードビジネススクールのクリステンセン教授は、WUのような優良企業が合理的に失敗する論理を、「破壊的イノベーション」として概念化した。破壊的イノベーションとは、特定価値次元に沿った性能を少なくとも一時的に下げるが、同時に新しい価値次元を提供するようなイノベーションを言う。電話は伝達の正確さという価値次元では電報より劣っているのだが、一方で声による伝達という新しい価値を提供しているのだ。

クリステンセンは、破壊的イノベーションに対して優良企業は合理的に失敗することを明らかにした。他方優良企業が強いのは、既存の価値次元を更に引き上げるような「持続的イノベーション」に対してである。テレビの画素数を向上させたり、HDDの記憶容量をさらに引き上げるようなタイプのイノベーションがそれである。このような持続的イノベーションに対しては、既存大企業はその強みをフルに発揮するのである。

香川大学大学院地域マネジメント研究科 教授 柴田 友厚

目からうろこ!BKゼミとは

「目からうろこ!BKゼミ」は、香川大学大学院地域マネジメント研究科(香川大学ビジネススクール)の講師陣が、経営に役立つ専門知識や実践的戦略の具体的な実例を紹介し、読者の皆様にビジネスマネジメントの一助となる新たな視点を提供していくことを目指しています。

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