2011年2月17日更新
「今思えば、幼い頃の経験が、営業という今の仕事に生かされているように思えますね」と、凸版印刷中四国事業部第二営業本部本部長の中川幸司さんは振り返る。
中川さんは山口県の周防大島出身。瀬戸内海に浮かぶ周防大島は、古くから海上交通の要衝として知れた島だ。万葉集にも詠われたという島で、中川さんは高校卒業までを過ごした。
学生時代はテニス部に所属していたという中川さんだが、今、幼いころの思い出として蘇ってくるのは、家業の材木店を手伝っていた光景だという。「だからといって、決して大げさな話ではない。普通に家の仕事を手伝っている、ただそれだけの意識で、特別のことではなかったんですよ」
中川さんの生家は、材木の販売を生業としていた。祖父と叔父が岩国市で営む製材所から仕入れた原木や建材などを船で運搬し、倉庫に保管して用途に合わせて販売する。「販売はほとんどが島内で、家の新築や増改築用に、大工さん相手に売ることが多かったですね」
中川さんは姉と2人姉弟。長男ではあったが、「大きい店でもないし、特に家業を継ぐ意識はなかったんです」。モータリーゼーションが発達していなかった当時、港に着いた船から仕入れた木材を倉庫に運びこむのに主に大八車を使っていた。「友達と遊んでいても、木材をのせた船が港に着いたら、遊びをやめて運搬の手伝いに行く。木材を大八車に積み替えて何十回も往復する。でも、遊んでいる友達がいてもなぜか抵抗はなかった。手伝いが楽しかったんですよ」
木材の質感や色、匂いなどで木の種類を知ったり、新建材を紹介するカタログを読んだり、「面白かった。木材に触れることはもちろん、注文を受けたり配達に行ったり、商売を手伝うことは生活の一部になっていました」
子どもの目線ではあったが、仕入れや販売など、取り引きの様子をしっかりと見た。「仕入れのときなどは、お客様が満足するかどうかを一番に考え、現物をよく見て選びます。これは商売の基本の一つ。商いの大切な考え方はここで養われたと思いますね」と中川さん。「とは言ってもなかには、子どもが集金に来たと怒る人もいましたよ(笑)。いただいたお金が1円でも違ったら困るので、注意深く数えたものです。お金の大切さもよく分かりました」。木材を仕入れ、家を建て、完成した家を見て喜んでもらった。その充実感、経験は現在にもつながっている。
就職時、印刷会社を志望したのも「材木」が関わっていたという中川さん。「建材事業部という部署で木目の印刷をしていることを知ったんです。入社後担当することはありませんでしたが、実家でも扱っていた新建材ということで興味があったんですよ」
今は締めてしまった実家の材木店。現在携わっている具体的な仕事の内容は違っていても、中川さんの「商い」の原点は、周防大島の材木店にあるようだ。
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単身赴任、あるいは転勤は何度目ですか?
転勤は2度目ですが、家族がついてきてくれたおかげで単身赴任は0回です。
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香川県に来てどれだけになりますか?
10年です。
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香川県に来て始めたことはありますか?それは何ですか?
温泉めぐり。
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週何回うどんを食べていますか?
高松にいる時は毎日
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週何回飲みにいきますか?
1~2回。
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体にいいことを何かしていますか?それは何ですか?
水を1日に2リットル以上飲む。
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香川県でおすすめの場所はどこですか?
庄内半島の紫雲出山からのぞむ瀬戸内海の多島美。
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休日はどのように過ごしていますか?
奥さんの尻の下。
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香川県の印象を教えてください。
人柄の良い人が大勢いるところ。
- 1955年 10月8日 山口県生まれ
- 1979年 3月 同志社大学商学部 卒業
- 1979年 4月 凸版印刷関西支社 入社
- 2005年 4月 東中四国営業本部長
- 2009年 4月 中四国事業部第二営業本部長
- 現在に至る
「It’s me!それは私です」は、香川の支店経済を支えている方々にご登場いただき、ビジネスタイムではなかなか見せることのないもう一つの顔を少しばかりご披露していただきます。
プライベートにおける意外な趣味が、ビジネスでときおり垣間見せるその人柄の源になっているかもしれませんよ。































