2011年7月7日更新
米国中北部グレートプレーンズに位置するノースダコタ州。ここには、環境問題を味方につけて、一時期多額の利益を得た団体があります。ノースダコタ農業者連盟というのがその団体の名前です。米国では2003年、自主参加型の温室効果ガス排出権取引市場が開設されました。自主的に温室効果ガスの排出量を減らそうとする企業を募り、設定された排出枠を超過した企業には、排出枠を超過しなかった企業から「排出権」の購入をさせることで、効率的な削減を実現しようというのがその趣旨です。
加えて米国では、一般にカーボン・オフセット・プログラムと呼ばれる政策も導入しました。これは、様々な「事業」を通して温室効果ガスの削減を行った主体に対し、削減量相当のクレジットを認定しようとするものです。クレジットは排出権市場で同等の排出権として売ることができます。冒頭に挙げたノースダコタ農業者連盟は、収穫が終わった小麦の切り株を残し炭素を空中に排出させない農法を開発することで、多額のクレジット収入を得たというわけです。具体的に数字を挙げると、プログラム開始の2006年以降、約740万ドルを稼いだと言われています。
日本でも、米国と同様の制度が試験的に始まっています。国内排出権取引制度については、「自主参加型国内排出量取引制度」等がありますし、カーボン・オフセットについては、「オフセット・クレジット制度」があります(ともに環境省主導)。多くの人の関心は、どのような政策がより効率的に削減を行えるかという「効率性」にあるようですが、地域間の「公平性」(地域間格差)への影響についても経済界やメディアを中心に関心を集めています。
例えば、21世紀政策研究所(経団連設立の公共政策のシンクタンク)のレポートでは、国内排出権取引は炭素エネルギーへの依存度が高い地方部を不利にするため、地域間格差を拡大させるとして批判的に論じています。また雑誌『日経グローカル』では、カーボン・オフセット・プログラムに活路を見出そうとする地域の姿を追った特集記事を載せています。なお、高知県もそのような地域の一つで、森林管理やバイオマス発電のプロジェクトによって、クレジットの認証を受けています。ノースダコタに続けというわけです。
しかし実は、これらの政策が地域間格差にどのような影響を与えるかについては、もう一つ重要な観点があるように思われます。それはより長期的な影響、すなわち企業立地への影響です。前回この紙面で「空間経済学」の紹介をしました。そこでも簡単に説明しましたが、企業が東京都市圏に多く立地しているのはそこに大きな市場があるからです。一方、地方部に立地する大きな要因としては相対的に安い生産費用(賃金、地代)が挙げられます。言い換えれば、両地域間の企業の分布は、「市場規模の効果」と「生産費用の効果」のバランスによって決まっているというわけです。
さて、このようなことを念頭において、先に挙げたような政策を導入した場合、どのようなことが起こるか考えてみましょう。まず、排出権取引制度の導入を考えてみます。この制度の下では、温室効果ガスをある量排出するためには、それに相当するだけの排出権を準備する必要があります。排出権の価格は、排出権市場において一つの値に決まりますので、東京の企業だろうが、四国の企業だろうが、同じ量排出するためには同じ料金を支払わなければなりません。これは何を意味するでしょうか。生産費用が安いことが地方部の魅力であったわけですが、追加的な排出(=生産)に対して同じだけの課金が行われるのであれば、これは地方部の優位性を弱めることになります。つまり、先の二つの効果のバランスが、東京有利に傾くというわけです。そうなると、東京都市圏への企業集積をより強めることになり、地域間格差の拡大につながります。
それでは、排出権取引制度の導入に加えて、カーボン・オフセットを導入したらどうなるでしょうか。一般に、地方部の方が自然資源に富んでいますので、ノースダコタのように地方部の一次産業従事者がより多くのクレジット収入を得ると考えてみましょう。この場合、地方部ではクレジット収入によって所得が増大し、これは地域間格差の縮小に貢献します。しかし他方で、このような所得増は地方部の労働賃金の上昇につながるので、排出権取引の導入と同様に企業の退出を促し、地域間格差を拡大させる力も持ち合わせています。結論を言えば、この二つの相反する効果があるために、カーボン・オフセットの導入は導入前よりも地域間格差を縮小するとは言い切れないのです。
このように議論すると、「企業が出て行ってもいいじゃないか、農業こそ地方を活性化する産業だ」という声が聞こえてきそうです。私はそれに反論するつもりはありません。前述の議論が示唆しているのは、温室効果ガス削減の方向は東京への企業集積を加速させる可能性があるということ、そしてもしそれが現実のものとなった場合、それこそ第一次産業がより魅力的なものになっていなければ、多くの人が地方部から出て行ってしまう可能性があるということです。(了)




























