2011年7月21日更新
私たちの物質的な豊かさのベースは食糧、エネルギー、そして水であり、日本は水を除いてほとんどを海外に依存している。その結果、私たちはこれらが輸入できなくなり、現在の豊かな生活を維持できなくなるのではないか、という不安をいつも抱えている。そこで、3回にわたって、食糧、エネルギー、水の問題を取り上げ、日本の豊かさについて考えて行きたい。今回は食糧自給率について考える。
高松市内から徳島県の三好市に行く時、これまでは国道32号線を経由して行くことがほとんどであったが、最近少し遠回りになるが、香川町から首切峠を経由して塩入に抜ける広域農道を使うことが多くなった。理由は、車が少なく信号がほとんどないことと、沿線の風景が気に入っているからである。特に炭所西から塩入にかけては谷間にそって田んぼが広がり、田植え後の風景を見ていると、私たち日本人の心の中の原風景のように思えてくる。
しかし、こうした狭い田を耕し、稲を育てる手間は相当なものだろう。アメリカやオーストラリアの数百ヘクタールの土地に機械を総動員して稲作をする映像を見ていると、あまりにも初期条件が違いすぎて公平な競争は不可能であると実感する。
下の表は、農林水産省が公表した平成21年度の食糧自給率である。1965年に73%であったカロリーベースの自給率が、2008年には41%まで低下している。一方、生産額ベースではカロリーベースほどの落ち込みではない。この点が最近話題になっている部分だが、カロリーベースの自給率の落ち込みの主要因は飼料穀物の自給率の低下である。では、食糧自給率を私たちはどのように考えればよいのだろう。多くの国民は食糧の輸入ストップを心配しているし、自給率をもっと上げるべきだという意見をよく聞く。しかし、私はこれまでの議論の中で、重要な論点が抜けているのが気になっていた。それは円ドル相場の変化である。

1971年8月にアメリカのニクソン大統領はブレトン・ウッズ体制の終結を宣言し、その結果、日本は変動相場制に移行した。一般にドルショックと言われている。それまで日本は1ドル360円の固定相場で経済を運営していたが、これを境に円高が進み、1985年にはプラザ合意により一気に1ドル120円近くまで円高となり、現在は80円台になっている。自給率が73%もあった1965年当時の1ドル360円が80円になったということは、国内の農産物は何もしないのに輸入農産物に対して4.5倍も価格が跳ね上がったことになる。農家にとっては、大きな変化である。
よく食糧自給率が低いのは、日本農業の国際競争力以上の贅沢な食生活をしているからだと言われている。これは一面正しいが、日本の農業の実力以上の贅沢ができることの方が重要である。日本の貿易黒字の背景には、抜群の国際競争力を持つ自動車や電気、精密機械等の産業を国内に温存してきたことがあり、これらの製造業が膨大な貿易黒字を稼ぎだし、その結果、私たちは日本農業の実力以上の贅沢な食生活をしているわけである。言い換えると国内で生産した優秀な自動車と、アメリカの農産物とを交換していることになる。仮に日本農業の実力がついて輸入農産物に対抗できる競争力を持てば、日本の貿易黒字がさらに増大し、円高が進むことになる。アメリカ農業の強い国際競争力の裏側には、国際競争力を持たない製造業があり、日本は逆に、強い製造業の裏側に弱い農業がある。
1990年代から始まった経済のグローバル化により、貿易黒字は徐々に減少すると予想されている。日本よりも海外で生産した方が合理的と企業が判断すれば、工場は海外へ移転して行く。これまでは日本で生産した方が合理的であったが、そのメリットは徐々に失われ、国内の自動車産業等は海外へ移転し、結果として貿易収支は赤字に転落して行くことになるだろう。
また、日本経済はバブル崩壊以後、20年間成長が止まってしまった。公共事業を柱とした経済刺激策が続けられてきたが、経済は成長軌道に乗ることなく赤字国債の残高だけが積み上がり、現在も税収のほぼ倍の予算が組まれ、不足分は赤字国債で補填されている。このような状況は長く続く訳がなく、早くて3年、遅くとも10年で国内の蓄えを使い果たすと言われている。
これらの結果、従来と逆の回転、すなわち円高から円安へと為替が変わり、輸入穀物の価格が上昇し、国内の農産物価格と拮抗するようになった時、私たちは1960年代に経験していた日本の農業の実力に見合った食生活を選択せざるを得なくなるだろう。米食中心で肉料理は月1回のごちそうになるかもしれない。その時、食糧自給率は80%以上になり、自給率について議論する人はもはやいなくなる。
つまり食糧自給率は、農業の競争力と食生活の豊かさ、産業構造の関数であることが理解できる。将来、円安が進めば、現在のような贅沢な食生活はできなくなるだろうが、私にとって炭所西から塩入にかけての谷間にそった中山間地域の田園風景が維持されることは心の救いになる。




























