当サイトにおける全てのコンテンツの無断複写・転載等を禁じます。

ビジネス香川 -「いま」を伝え、「未来」を育てる-

文字サイズ
標準
拡大

ビジネス香川 ここにもあります 高松空港ANA・JAL便搭乗口、ことでん瓦町駅、高松市民病院、高松市図書館、香川県立ミュージアム・東山魁夷せとうち美術館、栗林庵、瓦町FLAG、高松市内のセブン-イレブン・ファミリーマート、JR四国バス ほか

  • プライムパーソン
  • Next開拓魂
  • It's me!それは私です
  • BK NEWS
  • さぬき美探訪
  • さぬき味探訪
  • 動向リサーチ
  • 瀬戸標(せとしるべ)
  • かがわのエンジン
  • とれぷれ
  • 特・選・本
  • 特・選・話
  • 本日、旅日和

発進!それだけじゃない香川県

2012年11月15日更新

志度は日本一の桐下駄産地 生き残る地場産業への道筋 - 桐下駄 山西商店

木製の履物を21世紀に伝えている国・地域は世界の中でオランダの木靴(きぐつ)と日本の下駄しかありません。庶民の衣服が着物中心だった明治時代だけでなく、終戦直後のころまでは履物といえば下駄が主流でした。志度町(今のさぬき市志度)が下駄の一大産地になったのは20世紀初頭(明治40年ごろ)。早くから製造機械を導入し立派な地場産業になりました。時代の変化とともに需要は下がり続け、香川県下で現在、下駄を製造しているのは4社だけ。その1つ山西商店の代表山西就治さん(56)に桐下駄のこれからを聞きました。

足の指で鼻緒を挟む行為が健康にいい。水虫にならない。女性に多い外反母趾(がいはんぼし)にならない。素足に履く下駄の効用だ。なんとか下駄の需要を掘り起こそうとオリジナルのアイデアを次々と出してきた。

その1つが、6年前に開発した「足形下駄」。人間の足に下駄のデザインを合わせて、つっかけがわりにしてもらおうというアイデアだ。下駄は普通左右の区別はないが、足形下駄は鼻緒の位置を人間の足の指に合わせており、足の親指と人差し指で自然に鼻緒を挟めるように作っているため左足用と右足用がある、いわば下駄らしくない下駄だ。

もう1つは4年前に開発した「寄せ木下駄」。寄せ木細工のように材料の木材を組み合わせて見た目はモダンだ。デザイン性を重視したおしゃれな下駄だ。

次に何をするかを考えている真っ最中だ。具体的な中身は企業秘密だが、「『アスリート向けの下駄』というのがヒントです」とほほ笑む。「下駄を履くことで体幹を鍛える」ことに役立てたいということのようだ。

志度が日本の下駄生産の一大拠点になったのは、香川の下駄の父ともいえる砂山房太郎に負うところが大きい。房太郎は1889年(明治22年)に現在の東かがわ市大内に生まれ、14歳で高松の下駄屋に奉公。下駄の製造技術を習い、1907年(明治40年)に志度で店を開いた。それまで全国の下駄屋は下駄を1つずつ手作りしていた。房太郎は下駄の各部の寸法を標準化するなど改良に努め、1930年(昭和5年)には木工機械を全国に先駆けて導入。量産できるようにして、下駄製造を志度の地場産業にした人物である。

高松で生まれた山西さんの祖父の為一さん(故人)も房太郎の門下に入り、志度で修業したあと1921年(大正10年)に独立し店を開いた。今の工場を作ったのは父の弘さん(故人)。1958年(昭和33年)のことだ。以来、下駄を製造し続け、多くのメーカーが廃業してゆくなかで山西商店は生き残った。

今、工場で製造しているのは焼き加工、とのこ磨きの2種類の下駄が中心。静岡や秋田でさらなる加工を施すサクラの木の皮を張った樺(かば)細工や、鎌倉彫り、蒔絵(まきえ)、漆(うるし)加工などの下駄も扱っている。

山西商店

代表取締役 伝統工芸士 山西 就治(やまにし しゅうじ)
所在地
さぬき市志度5382-33
TEL&FAX:087-894-0306
創業 1921年(大正10年)

発進!それだけじゃない香川県とは

「発進!それだけじゃない香川県」はFM香川にて毎週金曜日の昼12時55分から好評ON AIR中!

讃岐を歩く

よく見ると・・・

夏の終わりに津田の松原を歩く。岩清水八幡宮に立ち寄ると、ねこがお昼寝中。お賽銭を投じても、鈴を鳴らしても、ぴくりともしない。よく見ると「土足禁止」の札の前で、ちゃんと足を浮かせていた。

Photo:T.Nakamura

讃岐を歩くの一覧はこちら

ページの先頭へ移動