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プライムパーソン

VOL.223 2017年8月17日

高松市栗林町の栗林公園・掬月亭

高松市出身の能楽師、伶以野陽子さん(46)が能と出合ったのは1999年、28歳の時だった。一瞬でその魅力に引き込まれた。「電気ショックを受けた感覚でした。能面をつけた2人の演者が見つめ合うシーンで、2人は全く動かないのに目が離せない。舞台でぐるぐると対流するエネルギーのようなものを感じました」

当時はロシアの作品を演じる劇団の一員だったが、能楽の道へ方向転換。演劇仲間だった米国人のレイヤー・ポール・マイケルさんと結婚し、日本とアメリカを行き来しながらも、懸命に能を学んだ。「私のような年齢から玄人(プロ)を目指す人はあまりいません。でも、舞やお囃子の掛け声が私のDNAにグググッと入ってきたんです」

現在は東京を拠点に、公演の他、外国人や子ども向けに能楽普及のワークショップも精力的に行っている。玄人の仕事とは今感動を与えるだけでなく、「後世へ伝えること」。師と仰ぐ、シテ方観世流の人間国宝・梅若玄祥(うめわか げんしょう)氏の教えだ。

能は650年の歴史を持ち、現存する世界最古の演劇とされる。その伝統の中に身を投じた遅咲きの女流能楽師が、伝承する使命に挑んでいく。

能面をつけ、鼓や笛の音に乗って優雅に舞う。伶以野さんが所属する「観世流」は、観阿弥を流祖とする華やかで繊細な舞や謡が特徴の流派だ。「演者は能面をつけるので、表情で訴えたり我を出したりはできない。決められた型の中で人間の内面を浮かび上がらせ、見る人に感じ取ってもらう。それが能楽の醍醐味です」

上下運動しないすり足、重心がぶれない舞、心地良い声で伝える謡・・・・・・能には非常に高度な技術が必要だと伶以野さんは話す。「卓越した技術を持つ師匠の梅若玄祥先生は私にとってのスーパースター。稽古を重ね、少しでも近づきたいと思っています」

28歳の時に初めて見た能。翌日、早速習おうと電話をかけたのが、たまたま梅若氏が学院長を務める能楽学院だった。だが、能を学ぼうと思ったのは、実は当時情熱を注いでいた演劇のためだった。「演劇をやるうえで勉強になるなと。芸の幅を広げられると思ったんです」

伶以野さんは高松高校を卒業後、東京学芸大に進学。在学中から演劇活動を始めた。ロシアの演技理論に心酔し、ロシア人演出家のもと、東京やアメリカで公演を続けていた。「幼い頃から人の心の動きに興味がありました。演劇は心を癒やしたり助けになったりできる。将来は舞台役者として食べていけるようになりたかった。若かったから、どうにかなると思っていたんですね」

能「羽衣」を舞う伶以野さん

しかし能と出合い、その考えは変わった。「ロシア作品の演劇をやればやるほど『ロシアの文化の本質に届いていない』と思い知らされるんです。私は決してロシア人にはなれない、と自信をなくしてばかりでした」。そして、こう続ける。「能を学び始めた時にふと気づいたんです。『あっ、私は日本人だ』と」。初めて檜造りの能舞台に立った瞬間は今でも鮮明に覚えている。「とても居心地が良かった。ようやく地に足がついたという感覚でした」

能楽学院に通い始めて3年後、発表会の舞台に立っている時に偶然梅若氏の目にとまり、「書生(弟子)にならないか。君なら1年で能の先生になれるよ」と声を掛けられた。「雲の上の存在だった人にそんなことを言われて、もうウキウキです。私の居場所はここだ。能をやっていく。そう心に決めました」

劇団を辞め、2004年、32歳で正式に梅若氏の書生になった。そして10年に観世流師範免許を取得、39歳の能楽師が誕生した。

能は歌舞伎などと同様、世襲で受け継がれるケースが多い。梅若氏には現在3人の書生がいるが、「3人とも父親が能楽師で、幼い頃から能が身近だった人たちばかりです」

古典芸能とは無縁の家庭で育ち、30歳を目前に飛び込んだ世界。知識ゼロからのスタートは試練の連続だった。「例えば舞台の幕は下ろし方が何通りもあります。裏方をしていた時、タイミングを間違えて笛の演奏が終わる前に幕を下ろしてしまったことがあります」

小さい頃からやっている人なら体に染みついている、この世界の常識が分からなかった。「先輩には『なんでそんなことも知らないんだ』とよく叱られました。でも、それも勉強。叱ってくれた先輩には感謝しています」と当時を振り返る。「最初はお囃子の小鼓や大鼓もその場の雰囲気に合わせて即興で打っているのかと思っていました。梅若先生に『適当に打っているんでしょうか?』と尋ねたら、『はっはっは』と笑っていらっしゃいました」。伶以野さんは懐かしそうに語る。

「演劇をやっていた頃は、『上手くなりたい』『良い演技をしたい』と、自分のことだけしか考えていなかったような気がします」。だが、「能の玄人とは伝承するのが仕事。自分が得たことを多くの人に伝えていく。自分一人で終わっちゃいけないと思っています」

能ワークショップの様子=梅若能楽学院会館

特に力を入れているのが、保育園児や小学生に能を教えるワークショップだ。心がけていることがある。「子どもは『かっこいいこと』に興味を持ちます。『かっこいいでしょ~』と子どもたちを乗せながら舞や謡を教えています。飲み込みがとても早くて、うらやましく感じますね」


現在、活動の拠点は東京だが、高松市で昨年開かれたG7香川・高松情報通信大臣会合のレセプションや、栗林公園掬月亭での観月会など、ここ数年香川で舞を披露する機会も増えている。伶以野さんの地元に対する思いは強い。「香川と能は縁が深く、私も高松に住んでいた頃は知らなかったんですが、名作中の名作と言われるゆかりの作品もあるんです」

屋島の源平合戦を題材に、源義経の勇敢な戦いぶりを描いた世阿弥の傑作「八島(やしま)」。さぬき市の志度寺が舞台で、母親が自分の命をなげうって我が子を助けた母子の絆の物語「海人(あま)」。今はまだ演じる機会はないが、「いつか絶対に演じたい。これらの作品を後世に伝えていくことが、香川に生まれた私の使命でもあると思っています」

地元の人や香川を訪れた人にもっと能をアピールしようと、地元の経済人らとアイデアを出し合っている最中だ。「組み立て式・移動式の能舞台を作ろうという案が出ています」

栗林公園には、能をこよなく愛した高松藩主松平家が、かつて能舞台を持っていたという古い記録が残っている。「園内にもう一度舞台を作るのは難しいですが、移動式なら栗林公園に留まらず、高松城跡、屋島の山上や志度寺にも持っていけます」。さらにこう続ける。「能だけじゃなく狂言や日本舞踊など、いろんな和文化を香川から発信できればとても素晴らしいと思うんです」

幼い頃の夢は歌手になることだった。「でも演劇をやって、あ~やっぱり歌手にはなれなかったと思っていたら、今、謡を歌っていることに気づいたんです。夢が叶っていると。この先もずっと能をやっていきたい。もっと上を目指して追究し、能ファンをたくさん増やしたいと思っています」

篠原 正樹

  • 1971年 高松市生まれ
  • 1989年 高松高校 卒業
  • 1993年 東京学芸大学教育学部 卒業
    小学校教員資格 取得
  • ロシア人演出家・レオニードアニシモフ氏のもと
  • 東京、アメリカなどでロシア作品の公演活動
  • 2000年 梅若能楽学院会館で能を習い始める
  • 2004年 56世梅若六郎(現梅若玄祥)師の内弟子に
  • 2010年 シテ方観世流師範免許 取得

所在地
東京都中野区東中野2-6-14
TEL.03・3363・7748/FAX.03・3363・7749
開校 1961年
学院長 56世2代 梅若玄祥(人間国宝)
地図
URL http://umewakanoh.exblog.jp/

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寒霞渓と並ぶ小豆島の景勝地、銚子渓。この渓谷にある「自然動物園 お猿の国」では、約500匹の猿が戯れる。子猿の愛くるしい表情がなんとも言えない。冬の風物詩「猿団子」も見ものだ。

Photo:T.Nakamura

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