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特選話

VOL.223 2017年8月17日

細川勝元の祈願所といわれる
巨鼇山地蔵院萩原寺
(観音寺市大野原町)。
萩の名所

応仁元年(1467)、京都の東西に対陣していた細川勝元と山名宗全(やまな そうぜん)は、ついに戦端を開きます。戦国時代の幕開けを告げる応仁の乱の勃発です。このとき讃岐から、安富・香西・奈良・香川・羽床・長尾・寒川そして三谷・神内・十河の植田一族らの諸将が勝元軍に参加しています。当時、京に向かう軍勢のために讃岐では沿道や航路が甚だしい混乱を招いたといわれています。

南北朝時代の細川頼之以来、讃岐は細川宗家である京兆家(けいちょうけ)の本拠地となっていました。勝元は当時、その当主であり、讃岐武士たちは細川家臣団として参陣したというわけです。そして、勝元軍の中でも、安富・香西・奈良・香川氏は細川四天王と呼ばれ、特に主力を構成していました。彼らは、内衆として常に在京し、身近で京兆家を支えていました。

安富氏は雨滝山(さぬき市津田町)に、香西氏は勝賀山(高松市香西地区)に、奈良氏は聖通寺山(宇多津町・坂出市)に、そして香川氏は天霧山(多度津町、三豊市三野町)にそれぞれ城を築き勢力を張っていました。今でもそれらの山に登ると、城の遺構を見ることができます。

応仁の乱の中でも最も激しい戦闘であったといわれる相国寺の戦いでは、香西、安富の2将が、讃岐武士を率いて戦い、安富元綱らが戦死しています。元綱は勝元の寵臣の第一であったといわれ、その死を聞いた勝元の悲嘆は大きかったといいます。

田村神社(高松市一宮町)にある
細川勝元の名前が彫られた石板

文明9年(1477)、宗全と勝元が相次いで亡くなったことにより、11年間にわたる大乱もここに至りようやく終息します。しかし京兆家は、勝元の跡を継いで当主となった政元が暗殺されたことにより、家督をめぐる内紛が始まり、急速にその勢力を低下させていきます。讃岐が京兆家の本拠地だったという時代も終焉を迎え、その支配を脱した細川家臣団が自立していき、群雄が割拠することとなります。そして、この混乱に乗じて阿波の三好の勢力が及んでくることにより、讃岐も戦国時代に入っていくこととなります。

読者の皆さんのご先祖様も、応仁の乱で戦っていたかもしれません。

香川県中小企業団体中央会
専務理事 村井 眞明さん
多度津町出身。丸亀高校、京都大学卒業後、香川県庁へ入庁。都市計画や観光振興などに携わり、観光交流局長を務めた。

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特選話とは

知られざる香川の歴史や文化などについて、思わず「へぇ~」と言ってしまうようなとっておきの話を村井眞明さんにご紹介していただきます。



讃岐を歩く

10月になるとコスモスが一面に広がる、フラワーパークうらしま。今は蕾が多いが、開いた赤やピンクの花は秋風に揺られて可愛らしい。ミツバチも嬉しそうに羽を振るわす。

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