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特選話

VOL.229 2017年11月16日

北側から見た丸亀城

江戸幕府四代将軍家綱の時代の万治元年(1658)、京極高和が播磨龍野より丸亀に入封します。京極家の先祖は近江源氏で、南北朝時代には婆娑羅大名として知られる佐々木道誉を輩出しています。知行は西讃岐5万石余と飛地の姫路網干1万石の計6万石余でした。

西讃岐の領域は現在の4市2町にわたり、多度津町・三豊市・観音寺市はその全域が含まれます。しかし、丸亀市は、城の東は土居町から北の土器川西岸まで、城の南は山北・田村・金倉町から北の地域のみで、城のすぐ南まで高松藩領でした。また、善通寺市の原田・木徳・金蔵寺・与北及びまんのう町の旧満濃・旧琴南の地域も高松藩領でした。したがって、丸亀藩領は三豊平野がその大部分を占め、丸亀城は藩領の最東北端に位置していました。

この城の歴史は古く、室町時代に聖通寺山に城を構えた奈良氏が築いた出城に始まり、その後讃岐一国を領有した生駒氏が、高松城(玉藻城)の支城としたことから本格的な城となっていきます。この地に城が築かれたのは、丸亀平野から阿讃の山々まで見渡せるという軍事上の理由があったからだと考えられ、築城当時正面は南に向いていました。しかし、大坂夏の陣があった年(1615)、一国一城令により廃城となります。ちなみに、この時生駒氏が丸亀城下の商人を高松城下に移住させたことが現在の高松の丸亀町商店街の発祥です。

その後生駒氏は改易となり、讃岐は分割され、東12万石が松平頼重、西5万石余が山崎家治に与えられます。そして丸亀城は山崎氏により再建されその居城とされます。城の構築の大部分はこの時に行われたといいます。

しかし山崎氏は三代17年で絶え、その後に京極氏が入封し、天守閣を完成させるとともに、二代藩主高豊のとき、表門を南側より北側に移し、現在の姿となります。城の南はほとんど高松藩領だったためだと思われます。

普段当たり前のように見ている風景にも背後に思わぬ歴史が隠されているものです。

香川県中小企業団体中央会
専務理事 村井 眞明さん
多度津町出身。丸亀高校、京都大学卒業後、香川県庁へ入庁。都市計画や観光振興などに携わり、観光交流局長を務めた。

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特選話とは

知られざる香川の歴史や文化などについて、思わず「へぇ~」と言ってしまうようなとっておきの話を村井眞明さんにご紹介していただきます。



讃岐を歩く

まんのう町塩入を歩く。甘柿であろうと渋柿であろうとも、柿色は目に鮮やかだ。二十四節気の「大雪」を迎え、そろそろ柿の季節も終わる。

Photo:T.Nakamura

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