飽きないうどんで 地域の食を支える

麺処 綿谷 社長 綿谷 泰宏さん

Interview

2015.11.05

午前8時半の開店と同時に次々とお客さんがやって来る。昼食の時間帯には店から溢れるほどの長い行列が出来る。丸亀市の讃岐うどん店、綿谷の日常の光景だ。「お客さんに喜んでもらう方法は両親の姿から学び取っていたと思います」

戦後、ラーメンやお好み焼きを提供する町の食堂として創業した。高度成長期には企業向けの宅配弁当や社員食堂の経営などで地域の食を支えてきた。両親の事業を引き継いだ綿谷泰宏さん(60)がうどん店を立ち上げたのは1997年。オープン初日の売上はわずか9000円だったが、約20年で一日に1000人が訪れる県内有数の人気店になった。

「毎日食べても飽きないものってありますか?私はうどん以外に無いと思っています」

客の7割は、ほぼ毎日来店するリピーターだ。綿谷さんは究極の「飽きないうどん」を追求し、讃岐うどん人気を牽引する。

ボリュームと牛肉ぶっかけ

麺処綿谷では、1玉の小うどんを注文しても2玉入っているのかと思うほどのボリュームに驚かされる。「学生やサラリーマンに安い値段でお腹いっぱい食べてほしい」というのが表向きの理由だが、「実は味に自信が無かったので、量でカバーしようと思ったんです」

18年前、綿谷さんは42歳の時に丸亀市でうどん店を開業した。当時、両親が経営していた地元造船所の社員食堂で、お昼時にうどんが飛ぶように売れているのを見ていたのがきっかけだった。「知り合いの業者から中古の安い製麺機を買ってきました」

うどん店で修業したこともなければ、作り方を誰かに習ったわけでもない。うどんの本場・香川で、全くの自己流でうどん店を始めた。「うどんなんて簡単だ。小麦粉と塩水のバランスさえうまくやれば良い。そう思って自分勝手にやっていました」

もちろん、甘くはなかった。いくらうどんを打っても、なかなか客は増えなかった。「正直、おいしくなかったんですね」。造船所の食堂の売上で、うどん店の損失を補填して凌いでいたが、「このままではつぶれてしまう。これじゃあいかんぞと思い立ちました」

何百種類とある様々な小麦粉を取り寄せ、何パターンもの配合を繰り返した。いろんな人の意見を聞き、ダメと言われたら何度も配合の組み合わせを変えた。少しずつ客は増えていったが、「味には期待せず、お腹がいっぱいになれば良いというだけで来る人もいました」
牛肉と豚肉が載った 「スペシャルぶっかけ」も人気だ

牛肉と豚肉が載った
「スペシャルぶっかけ」も人気だ

社員食堂で人気だった牛丼の肉を使った肉うどんは好評だった。ある日、常連だった若い男性客が「この牛肉をぶっかけうどんに載せてほしい」と、メニューに無かった「牛肉ぶっかけ」をリクエストしてきた。冷たいうどんに、脂が回った牛肉を載せて食べられるわけがないと思ったが、試しにやってみると、「これうまいなあ、となったんです」。当時、牛肉ぶっかけは他のうどん店にはほとんど無く、讃岐うどんの新しいメニューだと業界でも評判になった。食堂をやっていたことで、牛肉が安く入るルートもあった。

口コミなどで毎年約1割ずつ客足が伸びていった。オープンから5年でようやく黒字になり、2010年には高松にも出店した。店舗は丸亀店より一回り小さいが、こちらも一日に約600人が訪れる人気店になった。

役割分担でスピードアップ

スタッフは列に並んでそれぞれの役割を こなす=高松市南新町の高松店

スタッフは列に並んでそれぞれの役割を
こなす=高松市南新町の高松店

厨房には10人ほどのスタッフが一列に並んでいる。注文を取る役、麺を湯がく役、だしを入れる役、レジを打つ役・・・・・・一人一人が役割をこなし、うどん鉢は止まることなく流れていく。客がお盆を手にし、注文してからお金を払うまでに掛かるのは30秒ほど。スタッフのあうんの呼吸で一杯のうどんがあっという間に作られる。「スピードはうちの自慢です。他の店では真似出来ないと思います」

入店後3分くらいでうどんを食べて店を出る客もいる。昼の混雑時は1時間で400人をさばくこともある。人件費は必要だが、その分一人でも多くのお客さんを招き入れたいというのが綿谷さんの考えだ。

列には綿谷さんも入る。「食べ終えたお客さんに『ありがとうございました』と言うのが私の役目です」。ただ礼を言うだけではない。列の最後尾に立ち、残飯を処理する。

「毎日食べても飽きないうどん」。綿谷さんはその理想を追い求めて、開業以来ずっと客の食べ残しを見つめてきた。「きょうの麺は残している人が多いなあとか、食べ残しを見ると麺の良し悪しがすぐ分かります」

今、透き通ったうどんが人気だ。小麦粉にタピオカ粉を混ぜれば、透明感のあるツルツルのうどんが出来る。「とてもきれいなうどんになりますが、毎日食べると飽きてきます」。人気メニューの牛肉ぶっかけも残飯にヒントがあった。「さっぱりした味にすることを徹底しています」。牛肉は何度も湯がいて脂身をそぎ落とす。「10キロの肉が7キロになります。脂は肉の旨味。お金をどぶに捨てるようでもったいないですが、毎日食べてもらうためには仕方ありません」

おいしい讃岐うどんと言えば、打ち立てでコシがある、というのが一般的だ。だが綿谷さんの考えは違う。「実は伸びたうどんが一番おいしい。冷えたうどんをもう一度温めて食べる。昔の家庭は皆そうでした。それが毎日食べられる、飽きないうどんだと思います」。全て残飯が教えてくれた。

庶民の味方で笑顔に

讃岐うどんはブームから、確固たる食文化になった。香川でうどん店を持ったら食いっぱぐれることはないと言われることもあるが、「そんなことはあり得ない。何よりも競争の激しい過酷な商売だと思います」。綿谷さんの周りでも廃業した同業者は少なくない。「私も生きていくために必死でやってきました。一日一日が無事に終わってほしい。今でもそればかり考えています」

高校時代、丸亀商(現丸亀城西)野球部で甲子園を目指していた。チームは弱かったが、野球で鍛えた心身があったからこそ、どんな時でも踏ん張ってこられたと振り返る。うどんのように粘り強く戦ってほしい。そんな思いを込めて毎週、後輩達にうどんを差し入れているそうだ。「とても喜んでくれるのでうれしいですね。遅くまで頑張って練習しているし、私もまだまだ負けられません」

両親が食堂をやっていた頃、いつも近所のおっちゃんやおばちゃん、子どもたちが自然に集まって来ていた。「とても賑やかな、地域の娯楽の空間でしたね」

食は人を笑顔にする。ここ数年で、ようやくそんなことを思える余裕が出てきたと話す。

「うどんは庶民の味方です。これからもたくさんの人を笑顔に出来るおいしいうどんを作っていきたいですね」

綿谷 泰宏 | わたや やすひろ

1955年 丸亀市生まれ
1974年 香川県立丸亀商業高校(当時)卒業
1976年 家業の丸和給食に入社
1978年 丸和給食株式会社 代表取締役
写真
綿谷 泰宏 | わたや やすひろ

麺処 綿谷

<丸亀店>住所
丸亀市北平山町2−6−18
TEL:0877-21-1955
<高松店>住所
高松市南新町8−11
TEL:087-813-1993
沿革
1948年 わたや食堂 開業
1965年 丸和給食に屋号改称
1978年 丸和給食株式会社 設立
1989年 地元造船会社工場内の社員食堂を経営
1997年 麺処 綿谷 オープン(丸亀市西平山町)
2003年 丸亀市北平山町へ移転
2010年 高松店 オープン
確認日
2018.01.04

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