歴史と文化と 人を繋ぐ

仏生山まちプランニングルーム 代表 倉橋 直嗣さん

Interview

2015.12.17

「歴史があって文化があってネタが溢れている。しかも地名に"仏"がある。そんな町に何も起こらないはずがありません」

人口約8000人。高松市中部の仏生山町で地域おこしに取り組んでいるのが、ボランティア団体・仏生山まちプランニングルームだ。代表を務める倉橋直嗣さん(52)の本業は仏生山で営むカフェだが、「お店はほとんど妻に任せています」

かつては高松藩松平家の菩提寺・法然寺の門前町として栄えた。現在は県内唯一の大衆演劇場やクレーターの地下から湧いた温泉、古い町並みに溶け込んだカフェや雑貨店などが若者や外国人にうけている。面白い町だと全国的にも注目されているのが仏生山だ。

「仏生山の歴史や文化を現代風にアレンジし、ストーリーを繋いで人を繋いで、地域のコミュニティを元気にしたい」

まちプランニングルームが手掛けるユニークな試みで、様々な表情を持つ仏生山が今、さらに面白くなりつつある。

田んぼで踊り、路地裏で演じる

創面特区に現代サーカスも。 仏生山の魅力発信基地になる。

創面特区に現代サーカスも。
仏生山の魅力発信基地になる。

今年9月、仏生山の町が演劇の舞台になった。仏生山まちプランニングルームと、横浜を拠点に活動する演劇団体・ぺピン結構設計が、地元コミュニティ協議会の協力を受けて手掛けた、演劇と町歩きを楽しむ催し「パラダイス仏生山」だ。設定されたルートを指示書を頼りに進むと、その場所にまつわる歴史や言い伝えをストーリーにした演劇がその場で展開されていくというものだ。「突然、田んぼの中で踊り出したり、路地裏で芝居が始まったりと、町に物語をはめ込んで様々な場所に仕掛けを作りました」

決壊を繰り返すため池の堤防を作るため、少女が人柱になって町を救った「いわざらこざら」の伝説、張り巡らされた水路の背景にある水不足の歴史・・・・・・仏生山に伝わる様々な物語を劇団員や地元の人たちが町のいたるところで演じた。町歩きを終えると仏生山の歴史や文化を知り、町をさらに好きになっているというユニークでちょっと不思議な催しを、県外や町外の人たちを中心に約200人が楽しんだ。「初めての試みでしたが大盛況でした。路地裏などの風景は地元の人には当たり前ですが、都会の人には新鮮だったようです」

倉橋さんは、仏生山の魅力を発信しようと昨年3月、まちプランニングルームを発足させた。メンバーはサラリーマンや公務員など仏生山在住の7人。仏生山地区コミュニティ協議会と連携し、様々な試みを提案している。

その一つが、「まちづくり勉強会」だ。スタイリッシュなデザインで人気の仏生山温泉を運営する岡昇平さんや、四国の食材を情報誌と共に届ける「四国食べる通信」の編集長・眞鍋邦大さんらを講師に迎え、地域の人たちと一緒に町づくりを考える勉強会を定期的に開いている。

また地域の人たちと共に、テレビ「まんが日本昔ばなし」の原作者で仏生山出身の童絵作家・池原昭治さんと民話の紙芝居を作って地元の幼稚園や小学校を訪ねたり、子どもたちが町の大工さんと一緒にベンチを作るワークショップを開いたりもしている。

「町の魅力を伝えるには説得させるだけのストーリーが必要です。歴史文化をきちんと育てていかないと、地方の町は続いていかないと思います」

これまでの町の歩みに現代の要素を加え、仏生山ならではのストーリーを組み立てていくというのが倉橋さんのやり方だ。「私自身、小さい頃から古い町家や和モダンデザインがとてもかっこいいと思っていたんです」

Uターンや都会からの移住者も

仏生山の拠点施設になっている「Cafe asile」(左)と「仏生山温泉」

仏生山の拠点施設になっている「Cafe asile」(左)と「仏生山温泉」

仏生山の実家では元々、祖父や父が漆器屋を営んでいた。日本の伝統文化に憧れ、高校では漆芸を、大学では陶芸を学んだ。卒業後は家業を継ぐつもりだった。「漆と陶芸、両方の専門家になりたいと思っていました」。しかし突然実家から、店が立ち行かなくなったのでたたむことにしたという知らせが届いた。「ガクッとなりました。行くところが無くなってしまいました」

仕方なく印刷関係の仕事に就いた。その後実家に戻って小さな事務所を立ち上げ、デザイン関係の仕事をコツコツ続けていたところ、東かがわ市の手袋メーカーから、手袋のデザインをしてほしいと依頼が来た。10年余り専属のデザイナーとして勤め、海外を訪れる機会も多かった。その中でいつも不思議に思うことがあった。「海外では古い建物や伝統文化がしっかり受け継がれているのに、どうして日本では大事にされていないんだろう・・・・・・」

ある時、仏生山に戻ると、古い家屋が次々と取り壊され、町の様子がすっかり変わっていた。「これは何とかしないとまずいと思いました」。古里の町を守っていく。そう決意した瞬間だった。

2004年、ぼろぼろになっていた築80年の実家を、趣を残したまま改築し、貯金をはたいてカフェ・アジールをオープンさせた。「カフェだと人が集まるので、地域の情報発信基地になれると思ったんです」

ここ数年で、瀬戸内の島々を訪れた観光客がことでんに乗って仏生山までちょっと足を延ばすという新たな観光ルートが出来た。若者のUターンや都会からの移住、飲食店や書店、雑貨店もオープンした。古い町並みが残る門前町に少しずつ現代風のアレンジが施されつつある。


面白いことを表現する

かつての仏生山は、初代高松藩主・松平頼重によって素麺特区に指定され、全国でも有数の素麺づくりが盛んな地域だった。法然寺近くの通りの道幅が広いのは、大名行列が行われても軒先で素麺を干すスペースを確保するためだったと伝えられている。倉橋さんの祖先は素麺職人だった。歴史を今に伝えようと、アジールでは素麺を使ったメニューも取り入れている。

今年8月には、曲芸、演劇、ダンスなどを融合した「現代サーカス」の公演を行う瀬戸内サーカスファクトリーを地域の祭りに招いた。「子どもたちが目の色を変えて喜んでいましたね」。江戸時代、仏生山でサーカスの起源と言われる曲馬(馬上での曲乗り)興行が行われていたという文献が残っている。「サーカスも歴史や人を繋ぐストーリーの一つです。仏生山には昔、競馬場もあったんです」。まちプランニングルームでは現在、町に現代サーカスを定着させようという活動にも力を入れている。

「私たちは足元にあるものを分かりやすく噛み砕いて表現しているだけです。まだ誰も気づいていない面白いことをどんどん表現していきたいですね」。3年後には新高松市民病院が仏生山で開院予定だ。倉橋さんは新たな人の流れが出来るかもしれないと考えている。

「人口を増やしたいとか、賑わいを作りたいとか思っているわけではないんです。町の暮らしを少しでも楽しくしたい。地域のコミュニティが互いに助け合えるような町にしたい。そんな町になれば、自然と人も増えて賑わいも生まれると思っているんです」

倉橋 直嗣 | くらはし なおつぐ

1963年 高松市仏生山町生まれ
1986年 大阪芸術大学 芸術学部工芸学科 卒業
2004年 有限会社トビカンパニー 設立
    Café asile オープン
写真
倉橋 直嗣 | くらはし なおつぐ

仏生山まちプランニングルーム

住所
高松市仏生山町乙45-4
TEL:087-889-4955
代表
倉橋直嗣
メンバー
7人
目的
仏生山のまちを繋ぎ、地元コミュニティ協議会と連携してまち夢の実現をサポートする
確認日
2018.01.04

Cafe asile(カフェ・アジール)

住所
高松市仏生山町甲2507
TEL:087-889-1531
確認日
2018.01.04

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