オリジナリティの追求が 新たな扉を開く

協和化学工業 社長 宮田 茂男さん

Interview

2017.10.05

協和化学工業の検査室=坂出市林田町

協和化学工業の検査室=坂出市林田町

世界シェアをほぼ独占

協和化学工業は工業製品や医薬品の製造開発でその名を世界に轟かせている。

合成ゴム、スマートフォンや自動車の部品など幅広い分野で使われる工業用酸化マグネシウムは国内トップシェアを誇り、さらに「ハイドロタルサイト」の製造では世界シェアをほぼ独占している。
幅広い用途に使われるハイドロタルサイト

幅広い用途に使われるハイドロタルサイト

ハイドロタルサイトとは、自然界でわずかに存在する粘土質の鉱物で、1966年、協和化学が世界で初めて工業的につくり出すことに成功した。2年後、当時研究者だった宮田茂男社長(72)が胃薬に含まれる胃酸の分泌を抑える中和剤として製品化を実現した。「国内外の多くの製薬会社が販売する胃薬には、当社のハイドロタルサイトが使用されています」と宮田さんは胸を張る。

70年代、宮田さんは国内で急速に需要が伸びていたプラスチック分野に着目。当時プラスチックに当たり前に使われていた、有害な鉛やカドミウムの代替物質としてハイドロタルサイトをさらに改良した。「今までにない安全で高性能なものがより安く提供されることで、初めて私たちの暮らしは向上する。それを実現させるのがオリジナルな新技術です」。宮田さんは力強く語る。

ケーブル火災が契機に

「社会は基本的にお金で動く。でも、そんな単純な世界で生きるのは面白くない。唯一その法則に支配されないのが技術だ」

宮田さんは高校生の時にものづくりの道を志し、大学卒業後の67年、協和化学に入った。

協和化学の創業は47年。塩田として栄えた瀬戸内沿岸の土地柄を生かし、塩づくりの副産物として生じる“にがり”を原料に酸化マグネシウムの生産を始めたのが起源だ。

合成ゴムに弾性を持たせるために使われる酸化マグネシウムが主力製品だったが、「以前は米国から輸入していたゴム用酸化マグネシウムを国産化したに過ぎず、医薬用も下請けで、大手メーカーから注文を受けて“つくらせてもらっている”状態。決して当社のオリジナルではありませんでした」

研究者として入社した宮田さんはハイドロタルサイトや、電線を覆う被覆材に使われ、有害物質を含まず物質を燃えにくくする難燃剤用の水酸化マグネシウム「キスマ」などを次々と開発。だが、「会社からは煙たがられていたと思う」と振り返る。「『これはうちがやる仕事じゃない』『こんなものは認めない』と。赤字にならなければ今のままでいいという、変化を好まない消極的な社風だったんです」

独自製品に、より軸足を移すべきだ。水酸化マグネシウム系の難燃剤やハイドロタルサイトの新技術があれば市場も大きく広がる。そのためには海外進出も必要だ。ただ、いくら訴えても受け入れられなかった。「ストレスで胃潰瘍になり、1カ月入院したこともあります」

転機の一つは84年に訪れた。東京都世田谷区で発生した通信ケーブル火災。17時間にわたって延焼し、電話約9万回線や銀行のオンラインが最大9日間使用不能になるなど、国会でも取り上げられる大問題となった。

この事故で叫ばれたのが「ケーブルの不燃化」だった。燃えにくく、安全性も高い「キスマ」が一躍脚光を浴びた。「大手ケーブルメーカーの幹部が『協和の製品じゃないとダメだ。従来品の3倍の値段でもいいから取引させてほしい』と次々とやってきました」

また、ハイドロタルサイトについては、当時技術革新が急速に進んでいた汎用樹脂のポリプロピレンの添加剤として、世界各国のポリプロピレンメーカーから高く評価され、市場が世界へ拡大。宮田さんの技術が、社会と社内の法則を変えた瞬間だった。

原点に戻る勇気

実は宮田さんは、協和化学を一時離れていた時期がある。「次のステップに進もうと、安全で高機能な化学製品を開発する会社を福岡で立ち上げました」

90年、45歳で協和化学を辞め独立。だが、25年余りが過ぎた昨年、社長の故・松島慶三さんから「そろそろ帰ってきてくれないか」と声が掛かった。「松島さんは、私が研究者だった頃の製造現場の担当者。技術開発を訴える私の一番の理解者で、ずっと二人三脚で歩んだ同志だった。会社を去る時、『いつか帰ってくる』と約束していたんです」

今年8月、松島さんは77歳で亡くなった。「『帰ってきてもらえて良かった。これで安心できる』とおっしゃっていました」。宮田さんはしみじみと話す。
協和化学工業の新しいロゴマーク (KISUMAは「協和の水酸化マグネシウム」の 頭文字から)

協和化学工業の新しいロゴマーク
(KISUMAは「協和の水酸化マグネシウム」の
頭文字から)

松島さんから、創業家以外では初めてとなる4代目の社長を任された宮田さんは今年7月、コーポレートロゴを一新した。会社を飛躍させた「キスマ」を前面に押し出した。「“協和”という社名は日本に非常に多くて区別がつきにくい。オリジナリティを追究しようという会社がそれではいけません」



注目している新たな分野がある。農業だ。「今は食が乱れている。無毒で安全で栄養価も高く、かつ美味しい農作物を製品開発の核に、社会に貢献していきたい。食の乱れを正せば、高騰している医療費も抑えられます」

現在、協和化学が持つ特許は、申請中を含め国内外に50以上。そのほとんどは宮田さんが手掛けた。次代の研究者へ伝えたいメッセージがある。「研究に必要なのは、途中で間違っていると気づいた時、勇気を持って原点に立ち返られるかどうか。安易な妥協は致命傷になる」。そして、こう続ける。「仮説の誤りを発見した瞬間にそれが発明になる。研究には怖さもありますが、だからこそ、とても面白いんです」

篠原 正樹

宮田 茂男 | みやた しげお

1944年 愛媛県松山市生まれ
1963年 愛媛県立松山東高校 卒業
1967年 愛媛大学工学部 卒業
    協和化学工業 入社
1990年 協和化学工業を退職し
    (株)海水化学研究所(福岡県北九州市)設立
2016年 協和化学工業に復帰
    代表取締役社長 就任
写真
宮田 茂男 | みやた しげお

協和化学工業株式会社

事業内容
医薬用制酸剤、水酸化マグネシウム、合成ハイドロタルサイト、その他無機化学工業薬品、医療用医薬品の製造・販売 、アグリバイオ事業 他
本社・高松事務所
高松市磨屋町8番地1 あなぶき磨屋町ビル2F
TEL.087・826・6610
FAX.087・826・6616
本社・坂出工場
坂出市林田町4035
TEL.0877・47・0011
FAX.0877・47・4721
設立
1952年9月
資本金
1億4400万円
従業員数
608人(国内・2021年3月末現在、海外約400人)
URL
http://www.kyowa-chem.jp
確認日
2021.10.15

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