相手の喜びが自分の喜びに

JICA四国 支部長

Interview

2017.07.06

石鎚山の天狗岳で

石鎚山の天狗岳で

東京生まれ、千葉育ち。1993年、30歳の時に、国際協力機構(JICA)の前身である国際協力事業団に入った。2015年4月、JICA四国に赴任。趣味は登山で、四国では飯野山、石鎚山、剣山に登った。

「山以外、こんぴらさんや栗林公園も、何度行ってもいいところ。こんな海は見たことがないというくらい瀬戸内海は穏やか。豊かな自然においしい食べ物。本当に『うどんだけじゃない』と思っています。『アイラブ四国』です」

目の当たりにした支援の必要性

大学卒業後、最初に就職したのは通信事業会社だ。その時、国際協力活動を行う部門で、青年海外協力隊経験者の先輩たちと仕事をした。一緒に過ごす中で話を聞き、開発途上国や協力隊に興味がわいた。

タイで通信機器を紹介するイベントを開催した時、地元の学生にアルバイトとして手伝ってもらった。卒業後はどうするのかと聞くと、学生たちは「国の発展に貢献したい」と答えた。「私が大学生の時は、自分がどうなりたいかしか考えていなかった。タイにはこんなに志の高い学生がいるんだと感動しましたね」。2つの経験がきっかけとなって、本格的に国際協力に携わりたいと、転職を決めた。

JICAは日本の政府開発援助を実施する機関で、国内に15カ所、海外に約90カ所の拠点がある。50年以上続く青年海外協力隊の派遣が有名だが、事業はそれだけではない。日本から専門家を派遣したり、途上国から研修員を受け入れたりして、農業や工業に携わる人材を育成。道路や給水などインフラ整備への資金協力も行う。
フィリピン事務所勤務の頃

フィリピン事務所勤務の頃

高橋さんは1997年、フィリピン事務所に赴任し、教育支援を担当した。学校を訪問すると、教室が足りずいすを置いたベランダからのぞくようにして授業を受けている子どもたちがいた。教科書は外国で作った英語版しかない。理科の授業は教師の話を聞くだけで器具がないため実験できない。そんな様子を目の当たりにした。




「生まれた場所で子どもたちの受ける教育に格差があるなんて。日本がいかに恵まれているかを実感しました」。その学校には簡易な顕微鏡などの実験器具を送ったほか、実験を取り入れた授業の実践を支援した。

「相手国が必要とするものを調べて、そのニーズに合う人や技術、ものを見つけ、コーディネートする。それがJICAの仕事です」

誇れる技術を世界へ

四国に来たアフリカの研修員と

四国に来たアフリカの研修員と

途上国から日本に来る研修員は年間約1万人。そのうち約300人が四国にやって来る。「研修員には四国の良さを知ってもらい、研修員を受け入れる人たちにとっては、自分たちが持つ技術の素晴らしさを自覚、再認識するきっかけになれば」

2012年から始めた「民間連携協力」は、国内の中小企業が海外で活躍できるよう支援するもの。「四国のニッチトップな技術は途上国で必要とされると思います。香川であれば遠隔医療の技術や、渇水の対策方法などですね。JICAが途上国と、四国の中小企業との結節点になれたら」

自分ではなく、相手が喜んでくれるような仕事がしたいと言う。「四国の皆さんのお役に立ちたいですね」

高橋 政俊さん

高橋 政俊 | たかはし まさとし

略歴
1963年 東京都生まれ
1987年 立教大学経済学部 卒業
     通信事業会社を経て
1993年 国際協力事業団(現・国際協力機構)入団
1997年 フィリピン事務所
2007年 マレーシア事務所
2013年 財務部 財務担当次長
2015年 四国支部長

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