葛藤の海 -海が悲鳴を上げた-

工代祐司

column

2026.08.06

1987年夏 赤潮による養殖ハマチ被害(香川県赤潮研究所提供)

1987年夏 赤潮による養殖ハマチ被害(香川県赤潮研究所提供)

フェリーに乗って備讃瀬戸を渡る。緑豊かな島々と穏やかな青い海の風景に、多くの人が見入っている。「美しい海ですね」。そのたびに、私は少し複雑な思いになる。私の若い頃、この海は「瀕死の海」と言われていたのだ。

あの日、小豆島の海で

1981年頃、職場の仲間とよく小豆島に遊びに行った。当時、関西汽船が季節便を運航していて、夏の小豆島は関西からの若者で賑わっていた。

大阪の保険会社の女性グループと意気投合し、私たちは車で島を案内することになった。景色の美しい北海岸のビーチに立ち寄った時、思わず足が止まった。赤とも朱ともつかない濃い帯が幾筋も浜辺へ押し寄せていた。その色は不気味なほど鮮やかだった。

海が悲鳴を上げた

閉鎖性海域である瀬戸内海では、外洋と異なり一度流れ込んだ汚濁物質が海に溜まりやすい。高度経済成長は、瀬戸内海に大きな負荷を与えた。1970年8月には三豊沖で工場排水が原因とされる魚介類の大量死が起きた。1972年7月には、播磨灘・備讃瀬戸海域で赤潮が発生し、1400万尾の養殖ハマチがへい死した。1980年代にかけて大規模な赤潮被害は続いた。瀬戸内海は「瀕死の海」とまで言われた。

瀬戸内海を取り戻す

この状況の中で、県境を越えた連携が始まった。香川、広島、兵庫の3県が呼びかけ1971年に瀬戸内海環境保全知事市長会議が設置された。この危機感は国をも動かし、1973年の瀬戸内海環境保全臨時措置法の制定につながった。全国に先駆け、瀬戸内海では工場排水の総量規制という新しい仕組みが導入された。

香川県は赤潮対策に積極的に取り組んだ。1983年には、赤潮研究の第一人者であった香川大学の岡市友利先生を顧問に迎え、全国で唯一の県立「赤潮研究所」を設置した。現在も赤潮研究の拠点として活動を続けている。

海は何を語っているか

フェリーは今日も穏やかな備讃瀬戸を渡る。この穏やかな海にも、静かに異変は始まっているかもしれない。あの日、小豆島で見た赤褐色の海を知る人は、もう多くはない。「瀕死の海」を経験した私たちだからこそ、この海を見守り、その小さな変化に気づく目を持ち続けなければならない。
(文 工代祐司)

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