香川で「水のありがたみ」を再認識
水源地域の人々に感謝

水資源機構 関西・吉野川支社 吉野川本部長 荒川 敏之さん

Interview

2026.08.06

生まれは山口だが、兵庫で過ごした時期が長いという。岡山大学で土木工学を学び、コンクリートの研究で大学院へ進んだ。修了後は「大規模構造物をつくる仕事がしたい」という思いから、水資源開発公団(当時)に就職。以降、出向先も含めて数々のダム建設・管理の現場を経験してきた。

2026年、関西・吉野川支社副支社長兼吉野川本部長として単身香川へ。どんな赴任先でも常に「その地域を知る」姿勢を重視し、休日は県内をはじめ四国各地に足を運ぶ。「四国管内の施設も、着任してすぐに巡りました」

ダム管理のトップとして 責任を噛みしめた日々

公団時代から、主にダムの調査・設計、執行管理、業務計画立案などを担当。入社して二つ目の現場は愛媛・富郷ダムで、1997年から3年にわたって、調査設計や建設後の試験湛水(初めて水を貯める試験)などに携わった。

財団法人への出向を経て、初めて課長として赴任した思川開発建設所(栃木県)では、南摩ダムと水の豊かな思川支流を結ぶ大規模な導水路の設計を初めて経験した。悩みながらも手探りで学びを深めていたが、やがて業務はダムをつくる妥当性の検証に移行。5年間を同所で過ごしたのち本社へ異動し、各事業の検証、執行管理などを担当した。

2015年、国土交通省の水管理・国土保全局に出向。当時、見直しに向けた検討が始まった水資源開発基本計画は、水資源機構にとって事業計画の基盤となるものだ。「当然ながら、機構では一つ一つの事業特有の課題に関する情報に集中することが多かったのですが、国交省の仕事は各省庁や自治体をはじめ多角的な情報がたくさん集まってきて、機構とはまた違ったスケールの大きさが面白かった」と振り返る。

18年、ダム事業課長として中部支社に移り、中部地方にあるダムの現場管理・運営を取りまとめる立場に。21年からは、草木ダム管理所(群馬県)で初めての所長を務めた。「元来、人見知りで口下手」を自認するが、ダムの管理責任とともに人事や労務も含めた事務所の運営全体を担うトップとなり、悩みは尽きなかったという。

23年、群馬県の山中にある草木ダムから一転、次の任地は長良川河口からわずか5キロに位置する長良川河口堰管理所(三重県)だった。河口堰を巡っては地域のさまざまな思いが交錯しており、さらに海に関わる業務自体が初めての荒川さんにとっては、海の漁業関係者との信頼関係の構築など未知の仕事も多かった。「最初は名前を知らない魚もいたんです。地域のことをしっかり学びにいく姿勢が大事だと、所長としてあらためて意識しました」

地域の思いに寄り添いつつ 知名度向上を目指す

事業所の統合に伴って、25年から揖斐川・長良川総合管理所長に。規模が大きくなり人員が増えても、できるだけ一人一人に声をかけ、特に若手には「達成感ややりがいを感じてもらいたい」と、重要な仕事に携わらせることを意識してきた。

今春から本部長を務める吉野川本部は、一事務所だけを見るのではなく、四国管内に目配りをしないといけない立場。四国各地の管理所に足を運び、地域の人々や所長をはじめとする職員たちの声に耳を傾けるよう努めている。

「香川に来て感じたのは、多くの人が吉野川に関心を寄せていただいていること。特に、水源地域への感謝の思いを持っておられることに大変感銘を受けました。早明浦ダムや香川用水を管理して貴重な水をお届けすることは、地域にとって非常に重要な仕事だと改めて認識しましたし、我々も水源地域の思いを大事にしながら仕事をしなければならないと感じています」。しかし半面、水資源機構という組織の認知度はまだ低いとも感じており、発信力の向上を模索中。「昨年度実施した大川村物産展のように、水源地の人たちの思いに寄り添う情報発信も続けていきたい」と、抱負を語った。

荒川 敏之 | あらかわ としゆき

略歴
1968年 山口県生まれ
1992年 岡山大学工学部 卒
1994年 同 大学院 修了
    水資源開発公団 採用
2004年 (財)水資源協会 出向
2007年 (独)水資源機構 思川開発建設所 第二調査設計課長
2015年 国土交通省 水管理・国土保全局 水資源部 水資源計画課 出向
2018年 (独)水資源機構 中部支社事業所ダム事業課長
2021年 同 草木ダム管理所長
2023年 同 長良川河口堰管理所長
2025年 同 揖斐川・長良川総合管理所長
2026年 同 関西・吉野川支社 副支社長・吉野川本部長

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