子どもを救え 虐待防止に検事が挑む

高松高等検察庁 検事長 酒井 邦彦さん

Interview

2016.06.16

高松市丸の内の高松高等検察庁検事長室

高松市丸の内の高松高等検察庁検事長室

家庭で人知れず繰り返され、幼い子どもはそのつらさを誰にも訴えることができない。厚生労働省によると、全国の児童相談所(児相)が対応した児童虐待件数は2014年度で約9万件。実に24年連続で増え続けている。

「何かあった時に守ってくれるはずの親が子どもに手を上げる。最も残酷で心の痛む犯罪が児童虐待です」

一昨年、高松高等検察庁が虐待防止のプロジェクトチームを立ち上げた。これまでの検察には無かった画期的な手法を用い、高松高検検事長の酒井邦彦さん(62)が陣頭指揮を取る。

「新たな仕組みを香川から発信し、日本中へ広げていきたいと思っています」

昨年4月に提言をまとめると、検察トップの検事総長が高松を視察に訪れ、全国の児相からは「どうやればそんなことができるんですか」と問い合わせが相次いでいる。

心痛む犯罪の根絶へ。酒井さんの思いは大きなうねりとなり、全国へと広がり始めた。

画期的な「カンファレンス」

父親から虐待を受けても、子どもは「お父さん、お父さん」とすがっていく。母親にひどい暴力を振るわれても、取り調べ中に「お母さんに会いたい」と泣く子もいる。「子どもは親に見捨てられたら、救いもなければ逃げ場もありません」

育児ノイローゼで娘を虐待死させた母親の裁判を担当した時、奇妙な感覚に陥った。母親本人は減刑を望み、夫は「妻を許してやってほしい」と訴える。孫を失った祖父母でさえ「娘の刑を軽くしてほしい」と請うた。「亡くなった子どもの気持ちを代弁する人が一人もいないんです。この無念さを晴らすのは検察しかいないと思いました」

これまで検事として様々な事件に携わってきた。だが、常に酒井さんの心の奥底にあったのが児童虐待を無くしたいという思いだった。

虐待防止プロジェクトの最大の特徴は、検察が主宰する情報と意見交換の場、「カンファレンス」だ。事件を捜査し、起訴するか不起訴にするか、容疑者の処分を決めるのが検察だが、虐待事件では、子どものケガが軽い場合など親を不起訴にすることもある。「たとえ軽いあざができていただけでも、日常的な根深い虐待の可能性がある。虐待事件の処分の難しいところです」

そこで、処分を決める前に児相や子どもが通う学校の教師、医師や警察などの関係機関と、情報と意見を交換する場を設けた。「関係者はそれぞれに違った情報を持っています。それらを共有することで虐待の原因や背景など、掘り下げた立証が可能になります」

例えば学校は、その子が1週間ずっと同じ服を着ているとか、給食を異様に多く食べるといった普段の様子を把握している。医師は通院歴や古傷の有無、警察は親が近所とトラブルを起こしがちだといった素行情報を持っている。情報交換しないと分からないことだ。

起訴して親と子をすぐにでも引き離すべきか、ケガは突発的なもので子育てを続けさせるべきか。関係機関と連携することで見えてくることは多い。

プロジェクトを立ち上げて以降、高松地検では30件以上のカンファレンスを実施している。中には、「この親を起訴して子どもと引き離したら、完全に子育てを放棄してしまう」という意見がカンファレンスで出て、不起訴にしたケースもある。

「検察や警察はこれまで、親をどう処罰するかということに重点を置いてきましたが、それが必ずしも子どもの幸せに繋がらない場合もあった。最優先すべきは子どもの将来です」

「香川だから」機能した

視覚障害者の伴走をする酒井さん(中央)

視覚障害者の伴走をする酒井さん(中央)

東京大学法学部の4年生の時、司法試験に合格した。裁判官か弁護士か検事か進路に迷ったが、「ジャッジを下す裁判官ではなく、フィールドに立つプレイヤーでありたかった。クライアントに寄り添わなければならない弁護士より、検事の方が自由に国民のために真実を追求していけるのではと思ったんです」

全国各地の地検で検事を務め、在アメリカ日本国大使館での勤務、カンボジアやミャンマーでは国家的な法律の整備にも携わり、2年前に高松高検に赴任した。

「仕事柄、世界中の海を見てきましたが、瀬戸内海ほど美しい海は知りませんね」

テニス、俳句、フルート演奏に作曲・・・・・・趣味は多彩だが、中でも楽しんでいるのが走ることだ。62歳にして100メートルは13秒台、昨年の東京マラソンは3時間20分台で走った。「四国八十八カ所も8日間位かけて60カ寺以上を走って回りました」

健脚を維持できているのは、10年ほど前から続けている「伴走」のおかげだと話す。視覚や聴覚に障がいのある人たちと、ロープを持って一緒に走る。「命を預かっているので難しいし緊張もします。でも目や耳が不自由なのに走ろうという人たちだから、エネルギーやパワーはすごいものがある。逆に元気をもらっています」

伴走グループは四国では香川にしかない。先日は松山市で視覚障がい者の伴走を務めた。「伴走グループがあるのは、香川県民の心の優しさからきているような気がします」。そんな県民性も虐待防止プロジェクトがうまく機能した一因なのではと酒井さんは話す。

協力を求めて児相や病院、警察などの担当者と語り、かつ飲んだ時、他の地域では見られなかった虐待根絶への熱い思いを感じた。「普通なら、情報が他の組織に漏れるのはダメだといった抵抗もあります。でも、垣根を取り払い、みんなでやろうと同じ目的意識を持てたんです」

先月、丸亀市で児童虐待に関するセミナーを開いた。「日曜の午後だったので、どれ位の人が集まってくれるのか心配していました。ところが、乳児院や養護施設、NPOなどで働く若い人達が大勢来てくれた。本当に頼もしく、心強かったですね」

人間らしく生きられる未来を

かつて子どもは地域ぐるみで育てていた。お腹がすけば近所のおじさんやおばさんがお菓子をくれ、悪さをすれば叱ってもくれた。しかし今では隣人との関係性も希薄になった。

「児童虐待には、日本の社会が抱える問題がそのまま反映されていると思います」

地域コミュニティの崩壊で家族は孤立し、貧困家庭も増えている。さらにSNSなどの普及でコミュニケーションの質が変わり、悩みを真剣に相談できる濃密な人間関係が築き難くなったのではと指摘する。「これらが虐待の何らかの原因になっているのは間違いない。問題意識を持って歯止めをかけていかなければなりません」

現在は薬物依存者のサポートにも力を入れている。「薬物依存は回復可能な病気ですが、世間では、かわいそうというよりも、とんでもない犯罪だという嫌悪感の方が強い。これも社会で意識を変えなければならない深刻な問題です」

転勤でいつか香川を離れる時が来る。自分はこの場所に何を残せるのか。常に思い巡らせているという。「子どもであろうが障がい者であろうが薬物依存者であろうが、人には守られなければならない尊厳があります」

そのために必要なのが、全ての人が平等に扱われる「法の支配」だと力を込める。「人間が人間らしく生きられる未来を目指していきたい。それが法律家である私の役目だと思っています」

編集長 篠原 正樹

酒井 邦彦 | さかい くにひこ

1954年 東京生まれ
1977年 東京大学法学部 卒業
東京地検検事、長野地検検事、在アメリカ合衆国日本国大使館一等書記官、国連アジア極東犯罪防止研修所所長、東京高検公判部長、最高検検事、奈良地検検事正、名古屋地検検事正、法務総合研究所長などを経て
2014年 高松高検検事長
写真
酒井 邦彦 | さかい くにひこ

高松高等検察庁

住所
高松市丸の内1-1 高松法務合同庁舎
TEL:087-821-5631(代表)
地図
URL
http://www.kensatsu.go.jp/kakuchou/h_takamatsu
確認日
2018.01.04

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