波止場、そしてウォーターフロントへ

香川県教育委員会 教育長 工代 祐司

column

2017.03.16

村上春樹さんの新刊小説を読み終えた。上巻の130ページ辺りに「香川県」という文字が2カ所でてくる。それだけでとてもうれしい。40年近く前、彼のデビュー作「風の歌を聴け」を手にしたとき本のカバーの絵にとても惹かれた。人気のない波止場、ゆるい海風、倉庫が並び灯台の光が夜空を照らす。L字に曲った係船柱に一人の青年が座っている。デフォルメの利いた印象的な装画だった。

それは私が育った坂出の港の情景を彷彿とさせた。荷役作業のない休日の波止場は少し不気味で、それでいてどこか未知の土地への淡い憧れを呼び覚ます不思議な磁場を持っていた。

2003年、高松港管理事務所に異動した。当時、サンポート高松は一部オープンしており、翌04年にはグランドオープンを迎えた。宇高連絡船廃止後十数年、高松港周辺は港湾機能を核とした高次都市拠点として大きく変貌を遂げつつあった。事務所も新しいターミナルビルに移り、所員一同、新たな港湾機能の増進に貢献しようと意気込んでいた。

その年の6月、私とI君は大型客船の受入れの参考とするため、横浜の大さん橋ふ頭事務所を訪問した。大さん橋はかつてメリケン波止場と呼ばれた横浜港のメインふ頭で、ちょうど大規模リニューアルを終え、国内及び外航客船の主要発着ふ頭として最先端の港湾運営を実践していた。

事務所で興味深いお話を伺った後で、「さすが横浜港はすごいですね。高松港なんてとてもとても」と謝辞を述べた。それがI君の癇に障った。大そうな剣幕で「工代さん。何であんなへりくだった言い方するんな。横浜港なんて高々ここ百年や、高松港は中世以来の格式高き港なんや・・・」。彼の言葉にぐうの音も出なかった。

その後、高松港の利便性の向上とPRを目指し、所員全員で管理事務所のホームページを作成した。当然、その中には「涙の昭和史」「明治の残照」「高松城下図屏風を歩く」と題した高松港の歴史も盛り込んだ。

波止場から複合型のウォーターフロントへサンポート高松は着実な歩みを続けている。帆船や大型クルーズ船の姿も美しい。芸術祭や国際会議の会場としての役割を担い、国の第二合同庁舎も竣工間近、さらに新しい県立体育館の建設も決まった。中世以来、讃岐そして四国の玄関として人流物流、地域経済を支えてきたこの港の営みに敬意と矜持をもって今後の発展を見守りたい。

香川県教育委員会 教育長 工代 祐司

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香川県教育委員会 教育長 工代 祐司

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