いつまでも 「おもちゃ屋さん」でありたい

松屋玩具 松下 徹行さん・松下 明弘さん

Interview

2016.03.17

松下明弘さん(左)と徹行さん

松下明弘さん(左)と徹行さん

人形、駄菓子、プラモデル・・・ありとあらゆるおもちゃが、所狭しと並ぶ。「歓声を上げて喜ぶ方もいらっしゃいますよ」と話す松屋玩具代表取締役の松下徹行さん(71)。店に足を踏み入れると、思わず声を出してしまう人の気持ちが分かる。

松屋玩具は1951年に玩具の問屋として創業した。メーカーの営業マンだった徹行さんは結婚と同時に、妻の父が営む松屋玩具に入社。26歳の時だった。「その頃は、塩屋町に繊維などの問屋さんがずらっと並んでいて。商店街におもちゃ屋さんや文房具屋さんもあって、にぎやかでしたね」

県内全域に多くの小売店があり、おもちゃを持って走り回った。思い出深いのは、30年前、大流行したゲームソフト「ドラゴンクエスト」を配達した時のことだ。徳島の小売店が一刻も早く納品してほしいと、中間地点の引田で落ち合うことに。何百個もの「ドラクエ」を車に乗せて走った。

創業時は卸売りがメインだったが、小売店の減少により、徐々に自社での店頭販売が増えた。バブル景気がはじけて、主に取引していた小売店が廃業し、資金の回収に奔走したこともある。だが、今まで店をたたもうと思ったことはない。

何年も前に徹行さんが販売して、配達と飾りつけをしたひな人形があった。その持ち主の女の子が成長して母になり、今度は自分の娘のためにとひな人形を買いに来てくれた。そんな嬉しいことがあると苦労は忘れてしまう。

松屋玩具は店舗と倉庫を合わせて4棟ある。ひな人形、五月人形といった季節の商品、縁日で使うようなくじ引きやお面、プラモデル、駄菓子・・・その品数の豊富さから、掘り出し物を求めて県内外のお客さんがやってくる。最近はプラモデルが人気で、販売しているアイテムは優に1000種類を超える。ミニ四駆のリバイバルブームが起きていて、大人のお客さんも多い。

徹行さんが商売をする上で大切だと感じているのは、心と心のつながり。「おっちゃん、これいくら?」というような会話が、気楽に出来る店が理想だ。

そんな父の背中を見て育った次男の明弘さん(39)は、店で働くことがとても自然な流れだったと言う。「店を継ぐのは自分だと、特に抵抗もありませんでした」

徹行さんと明弘さんの間で笑い話になっているのが、子どもの頃のクリスマスプレゼントだ。明弘さんの枕元に置かれていたおもちゃが、見覚えのある包装紙に包まれていた。松屋のものだとすぐに分かった。「息子に『これは松屋のだ』と言われてしまって」。徹行さんは笑う。

明弘さんには3人の子どもがいて、子どもと一緒に遊べるおもちゃの面白さを感じている。「テレビゲームも楽しいけど、やっぱりアナログのおもちゃっていいなと思いますね」

売れると思って仕入れた商品の人気が出ず、多くの在庫を抱えた時は眠れないほど落ち込む。売れ筋商品の見極めは難しいが、「店は今、すごくいい形だと思うんです。家族で楽しめる『おもちゃ屋さん』は少なくなってきている。子どもが『松屋に行こう、あそこに行けば何かある』と言ってくれるような店にしたい」。それが、おもちゃ屋さんに生まれて育った明弘さんの夢だ。

松下 徹行 | まつした てつゆき

1944年10月 愛媛県新居浜市生まれ
1967年3月 関西大学法学部 卒業
1967年4月 オンキョー株式会社 入社
1971年3月 株式会社松屋玩具 入社
写真
松下 徹行 | まつした てつゆき

松下 明弘 | まつした あきひろ

1976年12月 高松市生まれ
1999年3月 亜細亜大学経営学部 卒業
2000年9月 株式会社松屋玩具 入社
写真
松下 明弘 | まつした あきひろ

株式会社松屋玩具

住所
高松市塩屋町11−4
TEL:087-821-6532
事業内容
人形、玩具、プラモデル、駄菓子
ミニイベント用品の小売り・卸売り
代表取締役
松下徹行
資本金
1000万円
従業員数
7人
確認日
2018.01.04

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