不況こそ、「攻め」の経営
新社長の強みは、人的ネットワーク

大倉工業 代表取締役社長 高濵 和則さん

Interview

2010.07.01

1945年、終戦。焼け跡から立ち上がった日本経済は、不況のたびに構造改革で乗り越え、地力をつけた。大倉工業(株)も高松空襲の焼け跡からスタートした。軍用練習機を製造していた倉敷飛行機高松製作所が解散後、残された元従業員が住宅事業を立ち上げた。戦後経済の混乱に巻き込まれ、度々壁にぶつかったが、そのたびに新規事業に挑戦し、成長を遂げた。

55年、社名を大倉工業(株)と改めて、合成樹脂フィルムや住宅建築資材の、高機能製品から汎用品までを製造・販売し、今ではホテル、冷凍倉庫など異業種も併せ持つ大企業になった。

市場環境はまだ厳しい。「原料インフレ製品デフレ」に包囲されて、明るい材料はなかなか見当たらない。

「景気の悪いときこそ攻めの経営です。守りでは、会社に将来は無い」。今年1月、社長に就任した高濵 和則さん(60)は、自身、新規事業に挑戦し続けてきた同社のプロパー代表だ。

大倉学校高濵流

「あれもやりたい、これもやりたい。がんばりますから新しい設備を入れてください」・・・現場の最前線で、経営陣に要求してきた高濵さんだったが、今度は立場が逆になった。

「がんばりますだけでは、イカンだろう。もっと具体的な絵を描いてこい。もう少し値段が安くならんのか」。要求される立場になったことが新社長の、いちばんしんどいことだという。

すこし景気が上向いて、各事業部から多額の設備投資の要求が出た。「予算は限られていますから、将来性や現状を判断して優先順位をつけないといけません」

商品のライフサイクルは導入・成長・成熟・衰退だ。「一つの製品で、何十年も売れ続けるものは、まず、ありません」。不況のときこそ、次を見つけるために攻める。それが、「大倉学校高濵流」の経営哲学だ。

新規開発の原則

高濵さんの「攻め」は明解だ。伸びる事業領域に焦点を合わせて、自社の強みをベースに人、モノ、金を投入する。新規開発に魔法はない。原則は、できることしかやらないということだ。

「昔は千に三つといいましたが、今は三つやって一つ成功しないと会社がつぶれます。賭けはしません」

新規開発の成否を分けるいちばんの要因は、基本データの積み上げだ。人の意欲はその次だという。「数字は絶対うそをつきませんから。でも、いちばん好きなのは人間です。だけど部下に任せる不安が・・・・・・、多少あるかもしれません」

そのディレンマを高濵さんは隠さない。いつも実戦部隊の先頭で、難題を処理してきたから、歯がゆい思いがある。

※(千に三つ)
物になるのは、1000のうちせいぜい3つの意味。

クレーム処理で信頼される

2003年、新規材料事業部長だった時に、クレームで10数億円の賠償金を請求された。「朝まで眠れなかったのはその時だけです。人間っておかしいですね、2日目から疲れて寝ました。部下には『命までは取られやせん』と言いましたが、辞表を書こうと思いました」。高濵さんは7年前を振り返る。

クレーム商品は中国やメキシコなどに出荷されていた。1台が何十万円もする電子機器の中に、問題になった光学フィルムが1枚入っていた。それを全部引き揚げて、貼り替えた。メキシコに納めた機械は、現地で人を雇って貼り替えた。

部下にも、下請け先にも、責任をどうのこうのとは言えなかった。このままでは後の注文が期待できない。会社が傾く。出来ることは誠意を示すことしかなかった。

「十分の一ぐらいの賠償金で済みました。クレームを訴えた取引先はまた一緒にやりたいと言ってくれて、その賠償金を越えるほどの仕事を、今いただいています」

強みはネットワーク

分からないことは人に聞く。「知らないことを聞くのは恥ではありません。若い人にも教えてもらいます」。高濵さんは、頼まれたら絶対に答えを返す。聞かれて分からないことは、詳しい人に聞いて答えを返す。

「自分の知識や能力は知れています。家族があって親類がある、地元があって香川がある、日本があって世界がある。人とのつながりで仕事が世界に広がります」。相談相手の多いことが強みだと、初めて高濵さんは胸を張った。

メード・イン・ジャパン戦略

1989年、光学フィルムを日本で最初に量産化した。パソコンや携帯電話、デジタルカメラなど液晶分野で大きなシェアを獲得した。原料はすべて国産品だ。今もまだ中国には、ナフサから原料をつくるインフラは少ない。

「海外で『安い』モノはできますが、『それなりの』モノは、まだできません。原料を日本から運ぶと経費がかかりますから、製造拠点を海外に移す必要がありません。技術の優位性を持つわが社は、日本で、丸亀でフィルムをつくります」

メード・イン・ジャパン・・・・・・世界の市場を見据えた高濵さんの戦略だ。

※(光学フィルム)
光線を透過または反射吸収し、様々な効果を与えることを目的としたフィルム。

※(ナフサ)
石油化学製品の原料となる、石油精製工程の半製品のこと。

新製品の用途を広げる

住宅事業からスタートした大倉工業は、木材の市売(いちう)りに進出した。さらに合板製造や建材部門を牽引(けんいん)するパーティクルボードへと、円高やオイルショックのたびに新規事業を開拓した。

2008年、パーティクルボードの新製造設備に約80億円を投入した。

「9月、完成したラインを稼働させたとたん、リーマン・ショックです。減価償却が8年ですから大変な金額で、今期も全社では黒字を見込めますが、建材部門はまだかなりの赤字です」

製造能力は月産9千トンから1万5千トンに増えて、品質も飛躍的に向上、強度が増して、表面も平滑(へいかつ)できれいになった。

「従来は床の下張り用だったものが、床材の本体として使えるようになりましたし、枠組工法の構造材としても、公的基準をクリアしたので、まもなく認可される見込みです」

高品質化したパーティクルボードの事業領域をどう広げるか。リーマン・ショックと重なったピンチに、高濵さんは市場を求めてチャレンジする・・・「攻め」の信念は変わらない。

※(市売り)
木材の取引形態の1つ。定められた日時に、売手(市売問屋)と買手(木材販売業者など)が、競(せ)りまたは入札によって売買価格を決定する方法。

※(パーティクルボード)
木材を細かく切り砕いた小片(チップ材)に接着剤を混合し、板状に熱圧成型したもの。材質が均一で反りや割れがないことや、廃材利用としても利点があるが、内装材としての強度にやや欠けていた。

※(枠組み壁工法)
ツーバイフォー工法とも呼ばれ、主に2×4インチの構造材と構造用合板で構成されたパネルで家全体を4面の壁(垂直面)と、床・屋根(水平面)で構成する。

好きなことをしろ

1987年、社長で創業者の故松田 正二さん(当時会長)からこう言われた。

「わしがつくった二つの事業、建材と合成樹脂はかならず成熟して陳腐化する。金がある今のうちに、新しいものをつくれ」

37歳だった高濵さんは、当時企画部長だった鴻池正幸現会長(64)と新規材料事業部を立ち上げた。面白いと思って始めたのが、光学フィルムだ。

「会社をつぶすほどの赤字は出ないだろう。何でもいいから好きなことをしろ。いろんな表現をされましたが、条件が一つだけありました。既存事業や商品と重なってはダメということでした。松田さんのポリシー、経営哲学からたくさんのものを教えて頂きました。会社というより、そう、『大倉学校』です」

高濵さんは、23年前の「何でもいいから新しいもの」に、若い社員を挑戦させようとしている。

「我々のときは期待もされなかったから、好き勝手をやりました。今度は太陽電池やエネルギー分野の周辺素材の開発を目指します。次の時代を背負って立つ事業に早くしてほしいですね」

仮称、新エネルギーマテリアル事業部のスタートは来年の予定だ。

高濵 和則 | たかはま かずのり

略歴
1950年 三豊市高瀬町生まれ
1975年 東京理科大学 理工学部 経営工学科 卒業
    大倉工業(株)入社
1997年 新規材料事業部営業部長
2003年 取締役新規材料事業部長
2006年 常務取締役新規材料事業部長・技術
    開発担当
2009年 代表取締役専務 経営計画担当
    兼 R&Dセンター担当
    兼 新規材料事業部長担当
2010年 代表取締役社長

大倉工業株式会社

住所
香川県丸亀市中津町1515番地
代表電話番号
TEL.0877・56・1111/FAX.0877・56・1230
設立
1947年7月11日
社員数
単独 1,042名、連結 1,935名(2022年12月31日現在)
事業内容
合成樹脂事業、新規材料事業、建材事業 他
資本金
86億1900万円
グループ会社
関西オークラ、関東オークラ、九州オークラ、オークラプロダクツ、オークラホテル、オークラハウス、ユニオン・グラビア、オークラプレカットシステム、オークラ情報システム、オー・エル・エス 他
地図
URL
https://www.okr-ind.co.jp/
確認日
2023.09.21

記事一覧

おすすめ記事

メールマガジン登録
メールマガジン登録
ビジネス香川Facebookページ