きびしい時こそ、ビジネスチャンス
・・・雨が降っている時に傘を貸す銀行に

百十四銀行 頭取 渡邊 智樹さん

Interview

2009.11.19

「きびしい時こそ選ばれる銀行に。きびしい時こそお客様に手を差し伸べて、地元に百十四銀行があってよかったと言われるようになる」。6月26日、百十四銀行の頭取に就任した渡邊智樹さん(57)は記者会見で抱負を述べた。
頭取就任後、民主党が政権を執って、自民党のもとで培ってきた秩序がひっくり返ろうとしている。亀井静香金融相の「モラトリアム」で、金融行政は銀行から債務者へ軸足を移しはじめた。
お客様目線になろう。営業スタイルを変えよう。全行員に向けて意識改革を呼びかけた渡邊頭取に、香川のリーディングバンクを、どうかじ取りしていくのかうかがった。

きびしい時こそ打って出る

雨が降ったら傘を取り上げる・・・銀行の悪口だ。「行員の意識を変えるのは時間がかかりますが、雨が降っている時に傘を貸す銀行になります。リーディングバンクでありながら、地元で取引のない企業や団体も結構あります。何故かと考えると、昔お客様が苦しい時に、うちが手を差し伸べていなかったんです」。いきなり、ストレートな告白だ。

いま高松で、一部の銀行は資金を引き揚げていると渡邊さんは言う。他の銀行が引くときに百十四銀行は打って出る。苦しい時に助けてくれた人のことは決して忘れない。みんなが苦しい時こそ、ビジネスチャンスだ。明るく屈託のない表情から、確信が読み取れる。

「地元の高松や、準地元の岡山県、愛媛県、それに兵庫県の一部も含めて、何十年もそこで商売をしている会社なら事情がよく分かります。他の銀行さんから返せと言われているところには、打って出ます。多少のリスクがあっても、新規を開拓するより効率のいいビジネスチャンスです」。淡々とした口調だが、言葉に力がある。

人材育成

渡邊さんは東京支店長時代に融資を伸ばした。「伸ばしたというより、健闘したということでしょう。営業店は与えられた目標があります。ただやみくもに得意先活動をしても目標は達成できません。どうやったら利益を伸ばせるか、どこが儲かっているかを分析をして、対応策を講じた結果です」

渡邊さんは営業店の経験が少ない。「本店営業部と東京支店と、そして高松市内の太田支店長と、大阪支店長と、もう1回東京支店長とそれだけです。営業店の経験が少なかったから、逆にそれができたのかもしれません」

銀行業務はすっかり変わった。取引先の経営改善支援などに加えリスク管理や収益管理の幅広い専門知識が要求されるようになった。
「本部勤務の経験が役に立ちました。本部から営業店にノウハウを発信していましたから、営業店でそれを実践したということです」
お客様に選ばれる銀行になるために、目利きの出来る人材を育てる。渡邊さんは本部と営業店の積極的な人事交流で人材をスキルアップすることにした。

研修のP・D・C・A(計画・実行・評価・改善)

組織は人だ。いくらトップが号令を発しても、行員全員が理解しないと成果につながらない。「昨年の創業130周年に屋島の研修会館を建て直しました。そして研修体系も見直しました。今まで研修をしてそれで終わっていたんですが、研修のあと営業店へ戻って成果をチェックする体制を作りました」。成果が出ない人にはフォローする。成果が出た人には次の段階の研修を受けさせる。研修のP・D・C・Aだ。

地域と地銀の課題

少子高齢化が進む。人口が減る。産業が低迷して就業者が減少する。香川県の繁栄なくして百十四銀行の繁栄は無い。

「県や市と連携して、香川県が元気になるような方策がないかと考えていますが、まだ緒についたばかりです。観光面では直島だけでなく、イサムノグチの庭園美術館や東山魁夷の美術館などの資源がまだ有効に活用されていないことも課題だと思います。今回の瀬戸内国際芸術祭や高松国際ピアノコンクールとか、芸術をキーワードにした動きはありますが、地域に活力を生み出すにはまだまだ不十分です」

※ (瀬戸内国際芸術祭)
2010年を第1回として、3年ごとの開催を目指す長期的なプロジェクト。2010年7月19 日(海の記念日)〜10 月31日まで、直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島、高松港周辺会場で開催される。主催は瀬戸内国際芸術祭実行委員会。

※ (高松国際ピアノコンクール)
2006年に高松から世界レベルの音楽を発信しようと地元の経済団体の呼びかけで創設され、民間からの寄付が約9割を占めた。浜松国際ピアノコンクール、仙台国際音楽コンクールに次ぐ、日本で3番目の国際ピアノコンクールである。主催は高松国際ピアノコンクール組織委員会。

フォー・ザ・バンク

つらい不遇の時期もあった。苦しい仕事もあった。そんなときも仕事は投げ出さなかった。自分に与えられたことをこつこつやってきた。そんな姿を誰かが見てくれていたと渡邊さんは信じている。

「マーケット部門では、為替の変動で夜も寝られない時もありました。融資取引の判断にしても、お客様に厳しい条件にするのが本当に百十四銀行のためになるのかどうか、逆に一歩お客様に譲ったことがいい結果につながったということもあった。難しい判断をいろいろ経験しました」

つらいことや苦しい時の心のよりどころは「フォー・ザ・バンク」。どういう選択が百十四銀行のためにいいのか考えて行動したら、大きな間違いはしないということだ。

フォー・ザ・ファミリー

仕事中は「フォー・ザ・バンク」、仕事を離れると「フォー・ザ・ファミリー」が渡邊さんのモットーだ。「フォー・ザ・バンクは綾田整治さんがおっしゃっていたことだろうと思います。フォー・ザ・ファミリーは仕事と家庭のバランスが大事だということで、仕事を支えてくれる家庭を大切にしようと支店長時代から言い続けてきました」

「お客様ファースト、いまこそ百十四銀行を」…百十四銀行の新しいキャッチコピーだ。雨が降っている時に傘を貸す銀行になるために、渡邊さんは「フォー・ザ・バンク」と「フォー・ザ・ファミリー」、二つの「傘」を持って前進する。

※ (綾田整治)
1952〜75年 百十四銀行頭取。
渡邊さんは家庭で仕事の話は一切しない。次期頭取をと、当時の竹﨑頭取に言われたときもすぐには奥さんに話さなかった。
「竹﨑頭取に、もう女房に言っていいですかとお尋ねしたら、まだ言ってないのか、早く言っておけと言われてから話しました。仕事のことは女房が外から聞いてくることはありますが、彼女も僕に仕事のことは聞かないですね。女房とは高校時代の同級生で、大学時代は僕が京都で彼女は東京でした。女房とは仲良しです。鳩山総理ではありませんが、外出はいつも女房と一緒です」

渡邊さんは長男で子どもの時から、500年以上続く先祖の墓を守れといわれて育った。「大学を卒業した時も何かをやりたいということではなく、当然高松で就職すると決めていました。地元企業という選択肢のなかで、経済学部であるし大学の先輩もいるということで百十四銀行へ入りました」

渡邊 智樹 | わたなべ ともき

略歴
1952年 高松市生まれ
1974年 京都大学経済学部 卒業
株式会社 百十四銀行 入行
2003年 大阪支店長
2004年 取締役 東京支店長
2006年 取締役 東京支店長 兼 東京公務部長
常務取締役 経営企画部長
2007年 常務取締役
2008年 代表取締役 専務執行役員
2009年 代表取締役 頭取

株式会社百十四銀行

住所
香川県高松市亀井町5-1
設立
1878年
事業内容
銀行業
総預金
3兆9642億円(譲渡性預金を含む)
貸出金
2兆6213億円
資本金
373億円
店舗数
123店舗(本支店102、出張所21) <2014年3月末現在>
地図
確認日
2018.01.04

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