下請けからの脱却
一貫体制の専門業者へ

日鋼サッシュ製作所 社長 前田 恭典さん

Interview

2019.02.07

塗装から乾燥までの自動ラインを備えた新工場=高松市松並町の日鋼サッシュ製作所

塗装から乾燥までの自動ラインを備えた新工場=高松市松並町の日鋼サッシュ製作所

前例変えた飛び込み営業

今月竣工した新工場 「一番」を目指し 未来を変える

今月竣工した新工場
「一番」を目指し 未来を変える

ビル用の扉や窓枠など金属製建具(サッシ)の設計・製造・販売を行う日鋼サッシュ製作所。東京、大阪、四国を中心に、官公庁の庁舎や商業ビルなど、官民問わず様々な建物のサッシを手掛けている。

高松の小さな町工場だった日鋼サッシュを、全国でも有数の専門メーカーに成長させたのが、15年前に2代目の社長に就いた前田恭典さん(59)だ。1959年の亥年生まれ。文字通り“猪突猛進”の豪快な性格の持ち主だ。「『前例がこうだから』というのが大嫌いなんです。時代の変化に合わせて、会社も変わっていかなければならない。社員には『すぐやる、必ずやる、できるまでやる』(※)と言い聞かせています」

日鋼サッシュの創業は1961年。前田さんが入社する80年代までは、扉やサッシの部品などをつくって取引先に納入する“完全下請け”の工場だった。その取引先も古くからの繋がりがある特定の業者だけで、営業活動はほぼ皆無。前田さんは先代の社長から「うちは工場主体の会社。仕事は黙っていても入ってくるので、管理部門の経理を担当してみるか」と言われた。しかし、前田さんは直訴した。「営業をやらせてください」

目指したのは、「下請けのみの製造業から脱却し、販売・設計・製造・施工までの一貫した体制の専門業者に変わること」だった。「部品など材料をつくるだけでは利益を上げることはできない。取引先も増やさないと会社の未来はないと思いました」

前田さんは、付き合いが全くない大手建設会社を相手に飛び込み営業を続けた。「もちろん最初は門前払い。端から相手にしてもらえず、担当者に会うことすらできませんでした」。だが、決してあきらめず、とことん食らいついていった。1週間、10日、1カ月と通い続けるうちに少しずつ会ってもらえるようになり、「半年くらい経ったある日、『じゃあ見積もりだけでも出してみるか』と言ってもらえたんです」。一度懐に入ると、さらに攻めた。連日のように自社の製品をアピールし、契約にこぎつけた。「あの時の感激は忘れられないですね」
日鋼サッシュがサッシを施工した 中之島フェスティバルタワー=大阪市北区

日鋼サッシュがサッシを施工した
中之島フェスティバルタワー=大阪市北区

前田さんが次々と新規顧客を獲得するのに合わせ、会社も変わった。技術力を高め、自社開発製品も生み出し、特許も取得した。音楽ホールなどに使われているオリジナルの防音扉「防音くん」は、扉の開閉部のゴムに強力なマグネットを内蔵。気密性を高めて室外の騒音を遮断する。デパート、映画館、展示場などに向けて開発された「耐熱くん」は約1000℃の温度で1時間耐えられる防火扉だ。

かつては数社にすぎなかった取引先は、今では100社を超える。

(※)日本電産の創業者、永守重信会長の経営哲学。前田さんの長女でANAキャビンアテンダントの佳越梨(かおり)さんもこの言葉を大切にしている(ビジネス香川2016年7月21日号「本日、旅日和」参照)

米子から高松へ

鳥取県米子市生まれで、今春23年ぶりに甲子園のセンバツ出場を決めた米子東高校出身。前田さんも野球少年で、42年前に外野手としてセンバツに出場した。実家は地元の名士で長男だったので、「家を継ぐのが既定路線。大学卒業後は地元の銀行に入りました」

だが、大学で知り合った妻・充恵さんが日鋼サッシュの先代の長女。入社が結婚の条件だった。「私の親はもちろん猛反対です。『顔に泥を塗るのか』と、生まれて初めて父親からビンタを食らいました」

一度言い出したら聞かない性格なのは両親も分かっていた。銀行を1年で辞め、米子から高松へ。1984年、25歳で日鋼サッシュに入社した。「実は日鋼サッシュが何の会社なのかも知らずに来ました。実家は弟が継いでくれています」。苦笑いしながら、懐かしそうに当時を振り返る。

「100(ヒャク)-0(ゼロ)の原則」を徹底

防音扉や防火扉など様々な製品が並ぶモデルルーム

防音扉や防火扉など様々な製品が並ぶモデルルーム

前田さんの社員への指導は徹底している。掲げるのは「100-0の原則」。いくら営業に時間をかけても、結局仕事を取れなければ成果は「ゼロ」に等しいという厳しいものだ。「『一生懸命頑張ったんですけど・・・・・・』『いいところまでいったんですけど・・・・・・』というのは言い訳に過ぎない。費やした時間も無駄になってしまいます」。たとえ安く仕事を請けても、設計やコスト面の工夫で利益を伸ばすこともできる。だが、仕事がなければ工場は開店休業状態になってしまう。「社員に繰り返し言うのは『とにかく一番を目指せ』ということです。一番なら仕事を取れるが、二番手、三番手では取れないこともありますから」。そして、こう続ける。「厳しいことを言うようだが、社員たちにはそれくらいの覚悟を持って成長していってほしい。『過去は変えられないが、未来は変えられる。頑張って未来を変えていこう』と口酸っぱく言っています」

今月、新工場が竣工した。敷地面積は約6000m²。扉に施す塗装から乾燥までを全て自動で行える最新鋭の工場だ。「自動ラインを備えたシステムの導入は国内では初めてです」

近年の人手不足に加え、建設業界は仕事がきついというイメージも強い。作業の効率化と人材育成が一番の課題だと前田さんは口調を強める。「大切なのは社員らに還元するために利益を出し続けることです。労働環境も改善し、若い人たちが目指してくれるような魅力あふれる職場にしていきたいですね」

篠原 正樹

前田 恭典 | まえだ やすのり

略歴
1959年 鳥取県米子市出身
1978年 鳥取県立米子東高校 卒業
1983年 同志社大学文学部社会学科 卒業
     鳥取銀行 入行
1984年 日鋼サッシュ製作所 入社
1999年 取締役
2003年 常務取締役
2004年 専務取締役
     代表取締役社長

株式会社日鋼サッシュ製作所

住所
香川県高松市松並町1035番地
代表電話番号
087-867-1674
設立
1961年7月24日
社員数
233人(2018年1月現在)
事業内容
建具工事業、板金工事業、ガラス工事業、内装仕上工事業
地図
URL
http://www.nikko-ltd.jp/
確認日
2019.02.07

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