「寿」需要は不況知らず 元々「紅白」今は7色に

山下おいり本舗 店主  山下 光信さん

Interview

2012.08.16

山下光信さん(右から2人目)を中心に弟秀則さん(左端)、妻扶沙子さん(左から2人目)、長女山地佐恵子さん(右端)の家族4人で製造し販売する

山下光信さん(右から2人目)を中心に弟秀則さん(左端)、妻扶沙子さん(左から2人目)、長女山地佐恵子さん(右端)の家族4人で製造し販売する

おいり

坂出から西、西讃と呼ばれる香川県西部地方にはお嫁入りのとき近所に「おいり」と呼ばれるもち米を原料にした米菓子を配る風習がありました。結婚式の引出物としても必ず使われる「おいり」に特化して製造しているのが山下おいり本舗です。需要は「寿」に関係する祝い事が中心だから不況知らず。家族だけで製造、販売する店主の山下光信さん(71)に「おいり」の昨日、今日、明日を聞きました。
▲釜のなかで1分間煎ると真ん丸ふわふわの「おいり」になる

▲釜のなかで1分間煎ると真ん丸ふわふわの「おいり」になる

山下さんの店は、山下さんと弟の秀則さん(62)が製造、妻の扶沙子さん(67)と近くに嫁いだ長女山地佐恵子さん(39)が店頭販売と事務を受け持つ。歴史の教科書に出てくるような昔ながらの家内制手工業だ。

餅をつくところから始まる「おいり」は全工程10日間という結構面倒な作業が続く。もち米を一晩水に浸す→蒸す→石臼、杵でつく→生地を麺棒で押しのべる→天日干しする→1辺数ミリのサイコロ状に切る→もう一度天日干しする→釜に入れて煎る→色と味を付ける→乾燥させる→袋詰め・箱詰め。かける手間と時間は半端なものではない。店の奥にある〝工場〟は餅つき機と釜以外の設備はない。ほとんどが手作業。サイコロ状の小さな乾燥餅を釜の中で1分間煎ることで球形の「おいり」に変貌する作業は見ていて面白い。
そんなローカル色豊かだった「おいり」が最近、一挙にナショナル、さらにインターナショナルなお菓子になろうとしている。山下さんは「ただでさえ注文に製造作業が追いつかないので今風にネット販売していないのですが、旅雑誌やグルメ雑誌にしばしば取り上げられて県外から注文が舞い込むようになりまして」と、うれしい悲鳴。今年3月にはフランスで「WAGASHI」と題した日本の有名和菓子を紹介する写真集が上梓され、虎屋の羊かんなどと並んで紹介された。

かつては引出物に「おいり」を入れる習慣はなかった高松でも「おいり」を引出物の一つとして考える若いカップルが多くなった。三越百貨店が高松店はもちろん仙台、新潟、東京・日本橋、同・銀座、名古屋、大阪・梅田、松山などの各店が取り扱うようになり、阪急百貨店も梅田店や福岡・博多店で、高島屋も京都店で陳列するようになったことがローカルから一気にナショナルブランド菓子に飛躍させるはずみになっている。
▲一般的な「おいり」の箱詰め。雌雄1対の 「小判」と呼ばれる縁起ものが上に乗る

▲一般的な「おいり」の箱詰め。雌雄1対の
「小判」と呼ばれる縁起ものが上に乗る

「おいり」は明治~大正初期は紅白の2色だった。大正半ば~昭和に5色に色数を増やした。山下さんの代に「赤」「白」「黄」「青」「緑」「紫」「ピンク」の7色にした。
サクラが咲くころは「ピンク」「白」「緑」、アジサイが咲くころは「青」「紫」「緑」、木々が紅葉するころなら「赤」「黄」「緑」と日本の移ろいゆく季節表現にこだわる。

「おいり」の「いり」は「嫁入り」の「入り」、もち米を煎ってつくる「煎り菓子」の「煎り」、両方の気分を表すとか。
妻扶沙子さんは20年前、『嫁ぐ娘に 華をそえたり おいりかな』と俳句にして、ショーウィンドーの隅にそっと置いている。

山下 光信 | やました みつのぶ

山下おいり本舗

住所
香川県三豊市高瀬町新名字天古1018-20
代表電話番号
0875-72-5438
沿革
創業/江戸時代後期らしいが定かではない

山下さんの祖父故馬太郎さんが大正時代に「山下菓宝堂」に

山下さんが父の故頼之さんを継いだ昭和40年代に「山下おいり本舗」に


地図
確認日
2012.08.16

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