感動と喜び創る 日本屈指のイベンター

デューク 会長 宮垣 睦男さん

Interview

2016.09.01

2日間で約5万人が訪れたモンスターバッシュ2016=8月20日、まんのう町の国営讃岐まんのう公園

2日間で約5万人が訪れたモンスターバッシュ2016=8月20日、まんのう町の国営讃岐まんのう公園

「モンバス」の愛称で知られる中四国最大規模の野外ロックフェスティバル、モンスターバッシュが、8月20日、21日の2日間、国営讃岐まんのう公園で開かれた。50組を超えるアーティストたちのパフォーマンスに炎天下、約5万人が熱狂した。

「ぎゅうぎゅう詰めのバスに乗せられ、駐車場からも延々歩かされたり待たされたりしても、それでもお客さんは楽しんでくれる。より良いものを提供しなければという思いがまた湧き上がってきましたね」

モンバスの生みの親、宮垣睦男さん(69)は大学生の時、音楽イベントを主催するデュークを高知県南国市で立ち上げた。これまで四国4県で大小1万を超えるライブを企画し、オフコース、松任谷由実、松山千春、さだまさし、かぐや姫・・・・・・そうそうたる顔ぶれを迎え入れてきた。

閑古鳥が鳴くこともあった。しかし宮垣さんは、「このアーティストを知ってもらいたい。お客さんに喜んでもらいたい」。その一心で興行を続け、感動を生み出し、四国の地で音楽文化を育んできた。

同い年の小田和正から、こう言われたことがある。「お前と俺は戦友だ」

オフコースがまだ駆け出しの頃、所属事務所から「四国でライブをやりたい。デモテープを聞いてほしい」と連絡が入った。「当時オフコースには全く興味がありませんでした。小田さんの声質も可愛らしい歌詞も、私の趣味じゃなかったですね」

懇意にしていた東京のスタッフから強く推され、渋々、高知、松山、徳島の小さなホールでライブを催した。会場は空席が目立った。しかし、宮垣さんは衝撃を受けた。「無茶苦茶うまいんですよ。すごいライブをする連中だというのがその時初めて分かりました」
ライブの合間を縫って”戦友”2人でこんぴらさんへ

ライブの合間を縫って”戦友”2人でこんぴらさんへ

このバンドを世間に知らしめたい。リーダーでボーカルの小田和正との付き合いがそこから始まった。車に乗せてライブ会場を連れて回り、音楽について語り合った。四国ではまだオフコースの知名度は低く、なかなか客は増えなかった。だが、悲壮感はなかったと振り返る。「彼らは良いステージをする。私たちは頑張ってチケットを売る。お互いに『次は絶対にお客さんは増える』と信じ合っていました」

200人だった客が、翌年には500人に、その次は700人になった。「3年後にはホールが満杯になったんです。やった~、この人たちとやってきて良かった~と。本当にうれしかったですね」
デュークが主催した小田和正さんおライブ=7月、さぬき市野外音楽広場テアトロン

デュークが主催した小田和正さんおライブ=7月、さぬき市野外音楽広場テアトロン

その後、大人気グループになってもオフコースは定期的に四国にやって来た。オフコース解散後もソロ活動を続ける小田和正は、全国ツアー時は必ずさぬき市の志度テアトロンで野外ライブを行う。「小田ファンにとってテアトロンは、今や『聖地』になっています」

井上陽水や泉谷しげるもデビューした頃からずっと呼び続けた。サザンオールスターズも中島みゆきもスターダストレビューも、四国でライブをするきっかけを作ったのが宮垣さんだ。

まさか一生の仕事になるとは

大分県出身で高知大学へ進学した。反戦ソングなどメッセージ色の強いフォークシンガー加川良の歌が好きで、「目の前で生で聴いてみたい」。一ファンとしての純粋な思いが全ての始まりだった。

大学の学園祭に加川良を呼び、チケットを販売する窓口が必要だと学生仲間4人で喫茶店を始めた。「コーヒーハウス・デュークが、今のデュークの前身です。アパートも引き払って、喫茶店で寝泊まりしていました」

高田渡、遠藤賢司、友部正人ら、当時好んで聴いていたフォークシンガーに声を掛け、ホールを押さえて次々とライブを開いた。

高知だけで活動していたが、全国をツアーで回っているミュージシャンをそのまま帰すのはもったいない。高松や松山でやってもらうのも要領は同じだと、徐々にエリアを広げていった。すると、当時四国に音楽イベント業者がほとんどいなかったこともあり、東京や大阪のプロダクションから「四国でライブを開きたいので段取りをしてほしい」と声が掛かるようになった。「忙しくて卒業論文を書く時間がなくなってしまい……結局、8年かけて大学を卒業しました」

大学8年生の時に株式会社デュークを立ち上げ、40年が過ぎた。今では年間に500を超える音楽イベントを手掛け、「高知に、四国に、デュークの宮垣あり」とまで言われる業界屈指のイベンターになった。

最初は自分が生で聴きたいと思うアーティストを呼ぶことが最大の喜びだった。しかし、「若い子がコツコツ小遣いを貯めて、数千円するチケットを握りしめてやって来る。年配のおじさんやおばさんが感動して泣いたりもする。そんな姿を見ると、私たちの方が感謝感激です。こんな幸せな仕事、他にはないと思います」。学園祭の延長で始めたことが、まさか一生の仕事になるとは思ってもみなかったと宮垣さんは笑う。

信頼されるイベンターに

3月にオープンしたライブハウス「フェストハレ」=高松市常盤町

3月にオープンしたライブハウス「フェストハレ」=高松市常盤町

レンタル市場やネット配信の普及に伴い、音楽業界は今、CD不況と言われる。しかし、ライブはそれに反比例している。一般社団法人コンサートプロモーターズ協会の調査によると、公演数、入場者数、興行売上はここ数年、全国的に急激に伸びている。

2000年に初めて開催したモンスターバッシュも、当時はアーティストに出演を依頼しても、「持ち時間が少ない」「他のバンドが出てくるのは嫌だ」と断られることも多かった。客の入りが悪い年もあった。しかし今では「モンバスに出演したい」とアーティスト側から要望が殺到し、大型バス100台を出して観客をピストン輸送するほどの大人気イベントになった。「ライブとCD音源は全く違うというのが私の持論です。お客さんは迫力ある生のステージを求め、CDが売れないアーティストも作品を発表する場を求めているんだと思います」

ライブ市場が活況な間に、宮垣さんは会社の世代交代を進めたいと思っていた。4年前、代表権を持たない会長になり、40代前半の若手役員を新社長に指名した。「私と考え方もやり方も違う、若い感性を持った人間に任せた方が会社のためになると思ったんです」

次の世代にどうしても受け継いでほしいことがある。アーティストやプロダクションやお客さんに信頼してもらえるイベンターであり続けることだ。

3年前、宮垣さんの社長退任パーティーが高知市で開かれた。出席した松山千春はマイクを握ってこう叫んだという。「宮垣が一声掛ければ、俺たちはどこへでもすぐに駆けつける」。ライブ市場未開の四国で道を切り拓いてこられたのは、様々な人との出会いのおかげだと宮垣さんは何度も繰り返す。

来年で70歳になる。第一線を退いたとはいえ、今も大きな夢を追いかけている。今年3月、約1000人を収容できる中四国最大級のライブハウス「フェストハレ」を高松市にオープンさせた。「どうしてもやりたかった私の一大プロジェクトでした」

プロジェクトには続きがある。「かつてビートルズが武道館でライブをやり、アーティストはこぞって武道館を目指しました。フェストハレもいつか、あのステージに立ちたいと若者が目指してくれるような場所にしたいですね」

編集長 篠原 正樹

宮垣 睦男 | みやがき むつお

1947年 大分県中津市出身
1972年 高知大学在学中に
    イベント主催活動を開始
1973年 コーヒーハウス・デューク 開業
1976年 株式会社デューク 設立
    代表取締役社長
1977年 高知大学農学部 卒業
1982年 高松支社、松山支社 開設
2012年 取締役会長
2016年 株式会社ヘイマーケット 設立
    代表取締役社長
写真
宮垣 睦男 | みやがき むつお

株式会社 デューク

住所
香川県高松市錦町1-3-10
代表電話番号
087-822-2520
所在地
高知オフィス 高知市追手筋2丁目7-8 レジデンス大手前A 3F
TEL:088-822-4488
高松オフィス 高松市錦町1-3-10
TEL:087-822-2520
松山オフィス 松山市千舟町4-3-1 4F
TEL:089-947-3535
設立
1976年
資本金
2000万円
代表者
玉乃井 欣樹  
関連会社
有限会社デュークショップ
(高知、高松、松山)
株式会社ヘイマーケット
(ライブハウス「フェストハレ」運営)
地図
URL
http://www.duke.co.jp
確認日
2023.09.07

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