アートで 病院に安らぎを

四国こどもとおとなの医療センター 院長 中川 義信さん

Interview

2015.08.20

白い外壁の大きな建物には、たくさんのハートの実がなるカラフルな木々が描かれている。国立病院機構が運営する香川小児病院と善通寺病院が統合し、一昨年5月に開院した総合病院、四国こどもとおとなの医療センターだ。鮮やかな外観だけでなく、病院の名前もまたユニークだ。「患者さんが緊張せずに過ごせる癒やしの環境を作ろうというのがコンセプトです。名前を決めるのにも3年かかりました」

センターは、全国的にも数少ない胎児の出生前診断や小児の心臓手術も手掛ける国内有数の医療拠点だ。中四国唯一の国指定の小児救命救急センターで、専用のヘリポートも持つ。だが、最先端の医療体制に加えて中川義信院長(65)が特に重視しているのが、患者の心のケアだ。

「赤ちゃんからお年寄りまであらゆる患者さんに寄り添える病院を作りたい」。そう決意して取り入れたのは、医療とアートの融合だった。

壁に穴が開かなくなった

白い外壁の大きな建物には、たくさんのハートの実がなるカラフルな木々が描かれている。国立病院機構が運営する香川小児病院と善通寺病院が統合し、一昨年5月に開院した総合病院、四国こどもとおとなの医療センターだ。鮮やかな外観だけでなく、病院の名前もまたユニークだ。「患者さんが緊張せずに過ごせる癒やしの環境を作ろうというのがコンセプトです。名前を決めるのにも3年かかりました」

センターは、全国的にも数少ない胎児の出生前診断や小児の心臓手術も手掛ける国内有数の医療拠点だ。中四国唯一の国指定の小児救命救急センターで、専用のヘリポートも持つ。だが、最先端の医療体制に加えて中川義信院長(65)が特に重視しているのが、患者の心のケアだ。

「赤ちゃんからお年寄りまであらゆる患者さんに寄り添える病院を作りたい」。そう決意して取り入れたのは、医療とアートの融合だった。
壁には窓、天井には讃岐富士が描かれた手術室 スタッフはカラフルな看護衣を着て勤務にあたる

壁には窓、天井には讃岐富士が描かれた手術室
スタッフはカラフルな看護衣を着て勤務にあたる

選ばれる病院へ

「開院して2年余りが過ぎましたが、まだまだ道半ば。大切なのはこれからです」

センターは独立行政法人の国立病院機構が運営するが、国費で賄われるのは研究費の一部程度で、経営は診療収入など病院の自己資金でやっていかなければならない。センターの建設費約200億円も全額自腹だった。

「病院経営を成り立たせるのは、やはり良い治療です。良い結果を出して患者さんに選ばれる病院にしなければいけない。アートもそのきっかけになればと思っています」

選んでもらうために掲げている信念がある。「スタッフには1日24時間1年365日、全ての患者さんを断らずに受け入れるよう言っています」

現在医療の世界は、病院の規模や設備に合わせて役割分担していく機能分化の流れにある。国は総合病院や大学病院に対して、急性期や重症患者を治療する高度医療に特化するよう求め、紹介状が無いと診てもらえないところも少なくない。だが、中川さんの考えは違う。「子どもはどこからが急患なのか分かりません。熱を出した、嘔吐したと、親は夜中でも子どもを抱えてやって来ます。その状況で紹介状が無かったらダメですよとは言えません」。これは医師になりたての頃、尊敬する恩師に最初に教えられたことでもある。「症状が重い軽いに関係なく、年齢にも関係なく、地域に必要な医療を提供する。これが私たちの果たすべきことだと思っています」。センターには、年間に時間外の急患が2万人、救急車が4000台入って来る。県内の医療機関では最も多い数字だ。

たまたま巡り合った小児医療

小学生の時、野口英世の伝記を読んで感銘を受け、命を救う最前線に立ちたいと医師を志した。小児脳神経外科を専門に歩んだが、「実は小児病院へ行きたいと手を挙げたわけではなかったんです」

徳島大学医学部を卒業後、外部の病院で研修することになった。候補の研修先は小児病院から大人の病院までいくつかあったが、大学の医局から割り当てられたのが、たまたま香川小児病院だった。「小児医療に携わると子どもの成長を見続けられます。高校や大学に入った時、報告をしに訪ねて来てくれる子もいる。そういうのはとてもうれしいですね」

香川小児病院で医師としてのスタートを切って今年でちょうど40年になる。命の最前線に立つことでつらい思いをすることも多かった。しかし、脳腫瘍で目が見えなくなった患者に手術をしたら次の日には目が見えるようになった。寝たきりで目を覚まさなかった患者が治療を経て自分の足で歩いて退院していくこともあった。決して忘れることのない光景だと振り返る。

「たまたま小児病院に振り分けられて今の私があります。患者さん一人一人を治すという喜びに加え、これだけ大きな病院の建設にも携わることが出来た。人生とは不思議なものですね」。中川さんはしみじみと語る。

アートを全面的に取り入れる新たな試みは当初、国や他の病院から強い反発があった。だが、開院後は全国から100を超える自治体や病院が視察に来ている。既に次の新たな試みも始めている。タイ、モンゴル、上海などの病院や大学と交流を深め、アジアをエリアとした選ばれる病院をつくりたいと話す。

「国際的な仕事をして、若いスタッフにも海外を経験させてあげたい。世界中から、こんなところはどこにもないと言われるような病院にするのが次の目標ですね」

◆写真撮影 フォトグラファー 太田 亮

中川 義信 | なかがわ よしのぶ

1950年 徳島県生まれ
1975年 徳島大学医学部医学科 卒業
    徳島大学病院 脳神経外科医員
    国立療養所香川小児病院 外科医師
    健康保険鳴門病院脳神経外科医長、徳島大学医学部講師などを経て
2003年 国立療養所香川小児病院 院長
2013年 四国こどもとおとなの医療センター 院長
写真
中川 義信 | なかがわ よしのぶ

独立行政法人国立病院機構 四国こどもとおとなの医療センター

住所
善通寺市仙遊町2丁目1番1号
TEL:0877-62-1000
FAX:0877-62-6311
開院
2013年5月
病床数
一般病床667床、精神22床 計689床
診療科
小児科、周産期内科、内科、外科、脳神経外科、婦人科など47診療科
沿革
沿革

【善通寺病院】
1897年 第11師団善通寺丸亀陸軍衛戍病院の名称で創設
1936年 善通寺陸軍病院に改称
1945年 国立善通寺病院として発足
2004年 独立行政法人国立病院機構 善通寺病院となる

【香川小児病院】
1897年 第11師団衛戍病院として創立
1945年 国立善通寺病院伏見分院として再発足
1956年 国立善通寺病院から分離し国立香川療養所に改称
1975年 国立療養所香川小児病院に改称
2004年 独立行政法人国立病院機構 香川小児病院となる
確認日
2018.01.04

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