進化したテントで、ふれあいと感動の場をつくる

イシハラ 代表取締役社長 石原 敬久さん

Interview

2009.10.15

テントは自在に形を変える。東京ドームをすっぽり覆っているのも巨大なテントだ。転機は大阪万博だった。アメリカ館など大きなパビリオンとして使われた。 博覧会がブームになって、会場の基礎工事から建造物、設備の設営撤去までがテント業者の仕事になった。“テント屋さん”が、大型長期イベントの会場づくりのゼネコンに発展したのだ。
店舗や街路の装飾用から、産業用倉庫までを扱う(株)イシハラ代表取締役社長 石原敬久さん(43)は、国体や植樹祭などの屋外式典や全国の大型イベントに進出、さらに地域発の覧会屋を目指す。

(覧会屋)
テント業界用語。あらゆる催事空間を建設・演出する人のこと

テントは進化する

テントの主な素材が布製から塩化ビニールに替わった。ガラス繊維が出来て燃えなくなった。酸化チタン光触媒をコーティングしたテントも開発された。

「札幌球場の屋根は、酸化チタン膜のテントです。光触媒効果で自動的に屋根の汚れを分解します。数年前に、太陽工業(株)が開発しました」。東京ドームもデンバー空港も屋根がテントの膜構造だ。 「デザイン性に富んでいるし、支えがない大空間を造ることも可能です。そのうえ他の建築素材に比べてコストも安く、工期も短縮できます」

(酸化チタン光触媒)
テントは屋外で長年使っていると、汚れが付着して、光の透過率も落ちてくるが、酸化チタン光触媒をテントの表面にコーティングすることで、汚れを化学的に分解するので、長期間美しさを保つことが可能となった。

(膜構造)
建築構造の一つ。引き張り材である膜材料とその他の圧縮部材を組み合わせて構成する手法。主な形式としてつり構造・骨組み構造・空気膜構造がある。博覧会のパビリオンや倉庫、ショッピングモール、競技場、駅舎などに使われる。

(太陽工業株式会社)
テント業界のトップ会社。世界中でテント構造の野球場やサッカー、ラグビーのスタジアムの屋根を建造。

テント屋からゼネコンへ

石原さんは、太陽工業(株)のグループ会社で博覧会や国体など全国の大型イベントを扱うTSP太陽(株)に8年間勤めた。「博覧会の場合は、会場を整地、舗装して、パビリオン施設を建てて期間中運営します。会場づくりから設備の撤収まですべてをやりました」

1990年、天皇即位の礼の設営と運営に携わった。「10日間以上、皇居に缶詰めでした。東京都庁の落成式も担当しました」。1年のうち8カ月は全国各地で仕事をしていた。
「96年、香川に帰り、父の会社に入って、本格的に式典やイベント関係のゼネコンを目指しました」。去年の売り上げは式典・イベント部門が5割を占めるようになった。

県外の仕事も多い。「97年、香川で開催された国民文化祭を手掛けて、数年後、徳島での国民文化祭にもかかわりました」。県外は現地の業者と組む場合が多い。去年の大分国体、一昨年の秋田国体には200張りのテントを貸し出した。
「うちのテントは全国を動いています。国体は何千張りもテントを使いますから、各地の業者間で融通し合います」

アイデアはお客さんから

記念碑の除幕式で、チューリップの花のように幕が開いたらキレイだろうねと言われた。「テント屋の凝り固まった考えではなくて、お客さんに好き勝手を言ってもらうことが大事です。自分でもそんな除幕式を見たいと思いましたから、幕が上へ開くように工夫しました。そのうち手品仕掛けのような除幕式をと言われるかもしれませんね」

除幕式やくす玉開きは何回やっても緊張する。緊張しなくなったらこの商売をやる資格は無いと石原さんは言う。
「落成式の神事も事業化しました。鯛や米などのお供え物から神主さんの手配など、神事のすべてを手掛けます」。もともと建築会社の領分だったが、石原さんが市場を開拓した。

「大きな落成式なら、数百人規模の式典になります。建築会社は神事の準備や式次第に手間をかけられませんから、任せてもらえます」。テント屋で落成式の神事までこなす業者は少ない。

テントが看板の素材に

テント生地に直接印刷出来る技術、インクジェットプリントが開発されてテント業者が看板業界に進出した。テント製だから取り付けが簡単で、安全性も高い。曲線のデザインも簡単だ。「看板の規制は厳しいですが、テントですから規制が緩やかでコストダウンもできます」

2016年の開催地に立候補していた東京オリンピックにも、売り込んでいた。「仕事は期間中だけじゃないんです。開催の数年前から駅や公共施設に横断幕を掲げますし、街中に飾る旗はテント業界が手掛ける仮設広告物です」

まだ店舗用が主流だが、家庭用のオーニングが伸びてきた。「高松市丸亀町の壱番街はアーケードがありません。その代わりにお店の入り口に、電動のオーニングテントがついています。それの住宅用です」

(オーニング)
「日よけ」、「雨おおい」を意味する英語。デッキオーニングという船舶用語が語源。

「覧会屋」を目指して

1988年、大学生の時、瀬戸大橋博覧会でアルバイトをした。「華やかな博覧会場で、TSP太陽の若い社員が、偉そうに指図したり、コンパニオンと仲よくしたりしているのを見て、あこがれたんです。それが父の英輝から仕事を継いだいちばんの理由です。父はすべてを任せてくれました」

石原さんはテント劇場も経験している。「例えばミュージカルのキャッツを上演するテント劇場です。何会場も携わりましたが、客席からステージ、空調まで全部テント業者がやるんです」
劇団四季の地方公演はテント劇場だ。劇場用のテントや鉄骨は、東京より地方で作るほうが運送費を含めても安い。

「本業はテントですが、自分をテント屋だと思っていないんです。20代に培ったテント劇場建設や博覧会設営から運営までのノウハウを今こそ生かして、ぜひとも地域から全国へ展開する『覧会屋』を目指したい」。石原さんは、大手会社と連携を深めて、さらに華やかなステージへのステップアップにチャレンジする。

日本のテント技術は世界一

ヨーロッパの町はアーケードがほとんどない。そのかわり店の軒先を、いろんなデザインのテントが彩っている。

「外国は規制がほとんどありませんから、デザインが自由でおしゃれなテントができるんです。テントは日よけでしょ。でも、日本ではテントのつなぎ目から雨が漏ったら、許してくれません。だからテント生地の開発力とか、施工技術とか、トータルで日本の技術が世界一になったのかもしれません。世界中の大型テント構造物は、ほとんど日本の会社が造っています。ドバイの空港施設のテントも太陽工業が施工しました」

テント劇場や博覧会の先は・・・石原さんは、街のデザインから世界の建造物、イベントまで、テントで創造する大きな目標を描いている。

石原 敬久 | いしはら よしひさ

略歴
1966年 高松市生まれ
1985年 県立高松西高等学校 卒業
    國學院大學経済学部 入学
1989年 同 卒業
    TSP太陽株式会社 入社
1996年 同 退社
    株式会社イシハラ 入社
2007年 代表取締役社長就任

株式会社イシハラ

住所
香川県高松市香西南町358-1
代表電話番号
087-882-2231
設立
1952年
社員数
15人
事業内容
テント工事全般(産業用・家庭用・一般用・レジャー用)
沿革
1952年 高松市瓦町で創業
1955年 有限会社石原商会設立
1970年 本社を高松市香西南町に移し、株式会社
    イシハラへ社名変更
1982年 式典・イベントレンタル部を設置
1988年 資本金3000万円に増資
2000年 インクジェットプリント部門設置
地図
URL
http://www.ishihara-inc.com
確認日
2009.10.15

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