代表取締役社長石井浩一さん(51)は、1979年、実家の洋装店の経営が苦しくなって大学を中退、親の店を間仕切りして5坪の中古衣料のブティックを始めた。「古着だからしょうがないけど、破れてもかっこいいよ」。商品を買ってくれた友達に言われた時、新品を売ろうと決心した。
毎日の商売がつらかった。店が終わってディスコで踊った。「踊っていると仕事のつらさを忘れて、変身できました」。ディスコの人気者になった。大勢の仲間が出来た。その仲間がお客さんになってくれた。
おしゃれな人へのあこがれとコンプレックスが原点という石井さんは、ピンチの中から「夢をかなえる」方法を見つけた。
ビジネスモデルを見つけた
当時ディスコがはやっていた。高松や松山、徳島、そして東京のディスコに通って仲間が大勢出来た。東京では、おしゃれのレベルがまったく違っていた。ロンドンやニューヨークから来た外人たちにあこがれた。着ているトレーナー風Tシャツのブランド名や、フランスやイタリアでどんなシャツがはやっているかを聞いた。そして彼らのダンスを必死になってまねた。
「原点はあこがれとコンプレックスです。東京のディスコで、おしゃれな人たちや、オリーブやブルータス、マガジンハウスなどのファッション雑誌の編集者たちと友達になりました」。石井さんの少年のようなあどけない笑顔が人を引き付けた。笑顔がファッションの最先端をいく人たちを魅了したのだ。
ディスコで、次にはやるものが分かった。東京の輸入代理店を回って、片っ端から次にはやる商品の写真を撮ってカタログにした。石井さんのカタログ作りは業界で注目された。「買ってくれる友達が大勢いますと言うと、『お前ならやれるだろう』と信用されて商品を扱えるようになりました。高瀬町の友達にも、高松や松山、徳島のディスコの踊り仲間にもカタログを見せたら、いきなり700万円ほどの予約が取れました」
東京のおしゃれを持ってきた
「僕が東京で感じたあこがれとコンプレックスを、僕たちは共有したんです。僕は高松や松山、徳島で流行を作ったんです。快感でした」。ファッション誌に載るより早い石井さんの商品情報が、おしゃれな人たちをとりこにした。
コンセプトは最先端のインポートブランド
86年、「ハローズ」(現在のデュースハーモニー)をオープンした。16坪の店で1億6000万円売り上げた。88年、隣に「ポールスミス」のフランチャイズ店を作った。
そごうデパートが瓦町駅に出来ると聞いて人の流れが変わると思った。今しかないと思って三つの店を瓦町に移動した。「いまの『ポールスミス』は107坪あります。総代理店の(現)伊藤忠商事に相談したら、3店舗と事務所を含めて当時で3億円ぐらいかかると言われました。ゼロからスタートして、ある程度の金が出来たけど、このままでは衰退しかないと家内に相談したら分かってくれました」。1億5000万円を自己資金で、残りを借り入れした。会社の売り上げは15 億円になった。
ヨーロッパから直接仕入れ
「最初は3カ月ぐらいパリにいて、ディスコに通いました」。石井さんの笑顔は、パリのディスコに通う人たちにも人気を呼んだ。有名雑誌のファッションモデルやスタイリスト、ブティックのオーナーたちと親しくなった。「ヨーロッパの業界を調べていたので、『詳しいね』と感心されてお茶や食事に誘ってくれました」。片言の英語が通じて情報が集まった。
不況でも女性は宝石を買う
「家内と金策の相談をしていたときに、指輪がピカッと光ったんです。家内は素晴らしい女性ですよ。その家内が、最大のピンチなのに、僕の友人が勤めている会社の宝石展示会で、宝石を買っていたんです」
不況でも女性は宝石を買う・・・石井さんは金策のヒントを見つけた。その場で友人に電話した。「宝石業者を紹介してもらって、宝石の販売員が一緒に営業してくれる条件で、宝石を売ることにしました。忘れもしない32歳の9月1日です」
親しいお客さんや友達をリストアップして、夜訪問した。「晩飯を食べていけ」と歓待してくれる友人に、その場では何も言えなかった。後から電話で「いまピンチだ、宝石を買ってほしい」といったら買ってくれた。1カ月間で1200万円の宝石が売れた。「手数料を250万円もらって、社員にボーナスが払えました。宝石業者にもう1回やりましょうと誘われましたが断りました。2回やれることではありません」
ピンチが転機
「いつもピンチがエネルギーをくれました。僕はすべてピンチが転機になっています」。今年1年間で直営店を9店舗作った。直営店は全国で14店舗になった。9店舗で9億5000万円を売り上げるアウトレット事業も、店舗を増やす方針だ。ネットショップの販売は2年目で、3億円ほど売り上げる。8月から電話で買えるモバイル事業も始めた。インターネット事業の目標売り上げは6億円を目指している。
おしゃれは不滅
ブランドの価格が下がった。製造コストを安くする仕組みが確立されて、少量生産はかえって難しくなった。いい物が作れる状況ではない。情報はますます早くなって中小企業の小売事業はいっそう厳しい。
「ユニクロさんは、最先端の素材で最も安く商品を作りました。あれだけ大きくなったら購買層を広げないとやっていけないでしょう。エヌ・ディー・シー・ジャパンは、大手がやれない『特殊と少量』でやっていきます」
おしゃれはなくならない。年齢を重ねてもいい物へのあこがれは変わらない。笑顔で人を魅了する石井さんは、これからもピンチにチャンスを見つける。
時間のミスが展示会の準備時間を短縮
商品を売りたい輸入代理店から応援に来てくれていた人たちに、展示会が終わった夜、ナイトクラブで慰労したら出発するのが遅くなって翌朝5時に大阪に着いた。
みんなでサウナで汗を流して仮眠を取って、会場へ着いたら9時になっていた。開場の10時ジャストに、大手の繊維メーカーT社が、役員をはじめ十数人でやって来た。会場はどこかと聞かれた。「とっさに目配せして『11時半からとお伝えしてなかったでしょうか』と答えたんです。T社の担当者は気がついてくれて、『時間を間違えました』と言ってくれたんです」
石井さんは大阪の知り合いに電話で応援を頼んだり、展示会に来た招待客にも手伝ってもらったり、なんとか11時半には設営を終えた。「私のミスで1時間半待たされたT社さんは、この一件で数日かけていた展示会の設営を短縮したということです。これは本当の話です」
石井 浩一 | いしい こういち
- 略歴
- 1957年 香川県生まれ
1976年 観音寺中央高校(旧観音寺商業高校)卒業
大阪商業大学入学
1979年 香川県三豊郡に「ブティックルーシー」を開店
1981年 高松市に「The Surprise Shop」を出店
1988年 (株)エヌ・ディー・シー・ジャパン設立
高松市瓦町に路面店「FCショップPaul Smith
(16坪)」を出店。
〈初年度売り上げ1億円〉
1990年 N.D.C.JAPAN 卸売り事業部を創設。
自社輸入商品。
1998年 東京、代官山にN.D.C.JAPAN東京オフィスを
開設。
1999年 有限会社アウトレットサービスを設立。
2000年 大阪岸和田にOUTRET第1号店となる
「ndc STOCK」OPEN
2007年 本格的なインターネットショップdouce
Harmonieオープン。
株式会社エヌ・ディー・シー・ジャパン
- 住所
- 香川県高松市瓦町1-13-8
- 代表電話番号
- 087-834-0844
- 設立
- 1988年
- 社員数
- 81人
- 事業内容
- アパレル卸・小売・製作・企画(婦人・紳士服、シューズ、アクセサリー)
- 沿革
- 1979年 三豊市高瀬町に「ブティック ルーシー
(4.5坪)」として創業。
1981年 高松市瓦町に「The Surprise Shop(6.52坪)」を
出店 〈初年度売上げ6000万円〉
1983年 渡仏。〈商品マーチャンダイジング研究のため〉
この時より年4~6回渡仏を実施。
1988年 株式会社エヌ・ディー・シー・ジャパン
“N.D.C.JAPAN”設立。
1990年 N.D.C.JAPAN 卸売り事業部を創設。
自社輸入商品。
1996年 高松市番町に株式会社エヌ・ディー・シー・
ジャパン本社ビル竣工。
株式会社エヌ・ディー・シー・ジャパンより
卸事業部を分離し、株式会社ベーネコーポレー
ションを設立。小売・卸の分割管理を行う。
1997年 高松市瓦町に「Paul Smithビル(107坪)」を出店。
Paul Smith・Paul Smith Collection・
R.NEWBOLDを展開。
〈初年度売上げ4億8000万円〉
高松市瓦町に「Margaret Hawell(16坪)」
「douce Harmonie(28坪)」を移転 オープン。
高松市瓦町コトデンそごう前に「Underground
passage(40坪)」を拡張、移転オープン。
1998年 東京、代官山にN.D.C.JAPAN東京オフィスを開設。
1999年 有限会社アウトレットサービスを設立。
2006年 インターネット事業部設立
2009年 全国各地に直営店14店舗、アウトレット9店舗を
展開中 - 地図
- URL
- http://www.ndcjapan.jp/
- 確認日
- 2009.10.01
おすすめ記事
-
2008.12.04
人より少し早く、値段を超える“ねうち”を見つける
アイアイ イスズホールディングス 代表取締役 飯間 康行さん
-
2010.05.20
「問屋無用論」返上!
小売店と共に、日本一の地方問屋に中商事 代表取締役社長 中 博史さん
-
2023.06.14
体験型店舗が空港通りにオープン
Shimadaya plus(シマダヤプラス)高松店
-
2019.04.04
昔ながらの「手甲(てっこう)」を現代版UV対策商品に
わがまま女優のUVセット 福崎手袋
-
2009.07.02
総合衣料店の強みは?全国展開チェーン店と共存するための方策とは。
ヨネザワ 代表取締役 高畑 保さん
-
2019.03.21
「考える縫製」で世界を狙う
川北縫製 代表取締役 川北繁伸さん
-
2014.11.20
シンプル、便利、美しい革製品
ヴィンテージ リバイバル プロダクションズ 代表 塩田 裕基さん
-
2024.10.03
足元の不安を取り除き “歩く喜び”を届ける
徳武産業 社長 德武 聖子 さん
-
2024.09.05
「紙」と向き合い140余年 四国に深く根を張り、海外も視野に
高津紙器 社長 高津 俊一郎 さん
-
2024.08.15
“応援の力”でつくる地域のウェルビーイング
百十四銀行 頭取 森 匡史 さん
-
2024.08.01
着物生地を使用したフォーマルウェアでミラノコレクションへ挑戦
マイモード 代表取締役 タキシードデザイナー 横山 宗生 さん