これからを担う世代の背中を
そっと押せる存在になりたい

日本公認会計士協会 四国会 会長 矢野 和弘さん

Interview

2026.02.05

四国の公認会計士たちをまとめ、次世代の育成に尽力するのが、日本公認会計士協会四国会会長の矢野和弘さんだ。若手とも気さくに接しつつ、地域業界の発展に力を注いでいる。

愛媛県今治市で生まれ育った矢野さんは高校生のころ、大学受験の赤本で偶然目にした「公認会計士」の文字に強く惹かれたのがこの道を選ぶきっかけになったそうだ。大学卒業後に松山市の会計事務所へ就職すると、公認会計士の先輩たちから仕事や公認会計士試験について直に見聞きする中で、資格取得を決意。会計事務所を退職して大阪の専門学校へ通い、25歳で難関の試験に一発合格した。

大手監査法人の大阪事務所でキャリアをスタートし、入所1年後に故郷に近い高松事務所へ転勤。少人数の拠点で深夜まで続く業務は過酷だったが、小学校から大学まで打ち込んだ剣道で鍛えた集中力と粘り強さで乗り切ったという。「大学2年の時にオートバイにはねられ、死んでもおかしくない事故に遭ったことをきっかけに、『命は儚い。一度しかない人生、やりたいこと、今ある環境の中でできることを悔いが残らないよう精一杯やろう』という思いが芽生え、それが仕事、いや生きる原動力になっていたんです」と矢野さんは振り返る。実直かつ丁寧な働きぶりは周囲から高く評価され、その後も順調に昇進を重ねた。

家族との時間、地元への想い 二度の決断が切り拓いた道

しかし、37歳の時に大胆な決断を下す。病気療養が必要になった奥様と、育ち盛りの2人の子どもとの時間を増やすべく、監査法人を退職して地元・今治へUターン。公認会計士・税理士事務所を開業した。幸いそれまでに築いた業界内の人脈と信頼に支えられ、退職時に「独立するなら手伝ってほしい」と声をかけてくれる先輩公認会計士もおり、独立後も順調な船出を切った。

その後、奥様の快復後に再び古巣の監査法人に復帰して第一線に返り咲く。しかし「地元で自分の仕事を全うしたい」という想いから、2014年に50歳で再度独立し、新たなチャレンジに踏み出した。

再独立後は公認会計士協会の一会員として静かに自身の業務に専念するつもりだったというが、公認会計士協会の行事に積極的に参加していたことが評価され、愛媛県部会の副部会長に就任。その後、四国会副会長兼愛媛県部会長を経て、2025年に四国会会長に就いた。「55歳を過ぎて今さら役員…とも思いましたが、やるなら自分がやりたいことを思い切ってやろうと腹を括りました」と笑う。

愛媛県部会長としてまず取り組んだのは、公認会計士の仕事を若い世代に伝える学校訪問の拡充。それまで愛媛県で年1校ほどだった出前講座を、自ら各高校の校長に掛け合うなどして、年間10校超へと一気に増やした。四国会会長となった現在は「四国会会計教育等推進委員会」を立ち上げ、四国全体で組織的・持続的な取り組みを推進している。また、会計士同士の交流を深める場づくりにも注力。「楽しい会にしたい」という思いで、Uターン会員らの横のつながりづくりのサポートにも熱を入れている。「帰郷した若い会計士が孤立せず、前向きに会務に関われる空気をつくりたいんです」。
愛媛県部会長就任直後に企画した「愛媛県若手公認会計士の集い」にて

愛媛県部会長就任直後に企画した「愛媛県若手公認会計士の集い」にて

静かな情熱を胸に 若手へ託す優しい眼差し

一見、仕事一筋に見える矢野さんだが、リフレッシュの時間も大切にしている。剣道はアマチュア最高位の7段の腕前。近年は多忙で稽古の機会は減ったものの、その分ゴルフに情熱を注ぎ、昨年は年間50ラウンドをこなすほどだったとか。「外で子どものように過ごせるのが最高の気分転換」。数字と向き合う日常とは対照的な開放感が魅力なのだという。

今後の意気込みについては「これからも若い人たちがこの仕事に希望を持てるよう、少しでも力になれたらうれしい」ときっぱり。静かに語るその表情には、あたたかな優しさがにじんでいた。

矢野 和弘 | やの かずひろ

略歴
1963年 愛媛県生まれ
1986年 愛媛大学卒業
1986年 公認会計士越智会計事務所入所
1989年 サンワ・等松青木監査法人(現 有限責任監査法人トーマツ)入所
2000年 公認会計士矢野会計事務所開業
2006年 監査法人トーマツ(現 有限責任監査法人トーマツ)入所
2014年 公認会計士矢野会計事務所再開業

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