人より少し早く、値段を超える“ねうち”を見つける

アイアイ イスズホールディングス 代表取締役 飯間 康行さん

Interview

2008.12.04

年商25億円。100種類を超えるブランドの機械式高級時計を扱う時計屋が高松市にある。「アイアイ イスズ」代表取締役の飯間康行さんは、時計専門誌で日本の高級時計販売に革新を起こした風雲児と評された。
仲間と飯間さんと新婚の妻。若い3人が始めためがね屋が、自分の欲しいものだけを売って、売り場面積や扱いブランド数では日本有数の時計屋になった。
なぜ地方の店が、販売条件の厳しい一流ブランドをこれだけ扱えるのか。なぜ高価な時計が、高松でこれだけ売れるのか。飯間さんの売るものとは何か。

誰も知らなかったからやれた

一流ブランド時計の販売条件は厳しい。高島屋が扱うブランドは伊勢丹にはない。デパートごとで扱うブランドは違う。デパートのバイヤーが言った。「これだけブランドをそろえていたらお客は集まるでしょうね。でもどこもこれだけの販売権は取れない」
20数年前、飯間さんが始めた頃はブランドが知られていなかった。誰も知らないから誰でもやれた。実績を積み重ねて、ブランド側から扱って欲しいといわれる立場になった。

風が吹く日は休業

1980年、24歳で「メガネのイスズ」をオープンした。スタッフは3人、オーナーの飯間さんと福島有二(現:専務)さん、そして結婚したばかりの飯間さんの妻、美幸さんだ。
「メガネを中心に、時計を少しだけ扱っていました。入学シーズンには高校生向けの腕時計が売れました」。商売は順調で優雅だった。朝6時に福島さんと2人で海へ出かけて、ウィンドサーフィンをしてから店を開けた。風が吹く日はサーフィンが最優先、店を閉めることもたびたびあった。年商は3千万円ほど。若い3人だからそれで十分だった。仕事と遊びに熱中していたとき幸運な転機が訪れた。

仕事と趣味がリンクし始めた

ウインドサーファーだった飯間さんは、雑誌に載ったホイヤー(現:タグ・ホイヤー)のダイバーズウオッチを見て欲しくなった。「そのカッコ良さは衝撃的でした。店にも飾りたいと輸入元に電話して、30個ほど買い取って販売代理店になりました」。当時は販売権の条件も大らかだった。店にブラックコーティングのダイバーズウオッチを飾りつけた。ナイスタウン誌に広告を出したら、予想以上に好評でメガネを売るより売り上げが良かった。
その頃クオーツに押されていたスイスの時計業界が、機械式時計の巻き返しを図っていた。「愛用の、大学時代に手に入れたアンティークのブライトリングが、復活したという記事が雑誌に載ったんです。代理店に電話で掛け合うと、ホイヤーの実績が信用されて扱えるようになりました」
ホイヤーやブライトリングはまだ知られていなかった。大手の時計屋はオメガやロンジン、ラドーやウオルサムは扱っても、ニッチなブランドに注目しなかった。飯間さんの趣味が商売とリンクし始め高級時計が主力商品になった。1993年「メガネのイスズ」を「アイアイ イスズ」に社名を変えて登記した。

※(タグ・ホイヤー)
スポーツウオッチが人気のスイスの時計メーカー。

※(ブライトリング)
多くの航空会社や空軍にオフィシャルウオッチとして採用されているスイスの時計メーカー。

人より少し早く、美しいモノを見つける

メカニカルな美しいものに惹かれた。「人より半歩ほど先に、ホイヤーやブライトリングを見つけました。10歩先だと失敗したでしょう」

自分が欲しい時計を集めて品ぞろえをした。店では、友達に見せて触らせて自慢するような接客をやってきた。お客の友達がまたお客になった。「40人のスタッフの半分以上は、僕から時計を買っていただいたお客さんです。時計が好きで仲間になった人達です」

趣味が事業になった。「自分が欲しい時計を見つけて紹介したら、いつの間にかブランドが100以上になりました」。必要なのは、お金や力ではなかった。必要なのは、人より少しだけ早く美しいものを見つける感性と、若さの気楽さだった。

値段より値打ちのある時計を売る

安い時計は3万円台から。商品ぞろえのコンセプトは“カテゴリーのベストブランド”だ。「僕が欲しい物はお客様も欲しいと思いますから、3万円は3万円の最高品をそろえます。軍用のルミノックスもカジュアルなポールスミスも扱います。カシオ製の普通のGショックは量販店で値引きして売られていますが、千Gに耐える時計を作ろうと開発されたもので、僕もテニスや海で使います」
カシオの幹部が、アイアイ イスズで扱われるブランドにしたいというので、限定モデルを主に扱うGショック専門店「エッジ」を、2004年、サンポートにオープンした。

※(G gravitational acceleration)
重力加速度の単位

※(G-SHOCK)
特徴は堅牢性で「アイスホッケーのスティックで打たれても壊れない」の宣伝文句が、プロのアイスホッケー選手によるシュートでも機能を喪失しないことが証明された。

いつか来る限界に備える

3人で始めた商売が、趣味を広げて25億円の事業になった。「規模が大きくなると、ブランド側にも期待されますから、趣味の楽しさよりもプレッシャーの掛かる普通のビジネスになります」。飯間さんは四国の高級時計の購買力は30億円が限度と見越している。
この壁をどうするか。他の地域に進出して、店舗数を増やすしかない。そのために資本を他から入れると自分の育てた事業ではなくなる。
「ブランドにノーと言われても、自分たちの方向へ進みます。ビジネス理論の逆ですが、楽しくなければやる意味がありません。これからの方向はスモール化です。スモールでも自分がほしいものが、扱いたくなるものが出てきますから」。頑張らないと何もできない。でも頑張りが壊れるほど無理はしない。しなやかでしたたかで堅実。飯間さんのモットーは行雲流水だ。雲や流れる水のように自然にまかせて、やがて来るピークの折り返しに備えてソフトランディングしていく。


大学時代に大津の西武デパートでアルバイトをした。舶来雑貨や香水売り場に配属されて社員も含めた売り上げでナンバーワンになった。「接客で、物を売るのが楽しいということを始めて知りました」。卒業したら是非入社してくれと誘われた。
就職は銀行を志望していたが、実家の時計屋をやるほうが時間も自由になるし、アルバイトの経験を生かして月給分ぐらいは稼げると思って仏生山に戻った。
理想と現実のギャップは大きかった。仏生山ではお客様が来ない。デパート仕込みの接客をしようと白衣を着て意気込んでいるのに、1日に1人か2人しか来ない。
「親父は100万円あれば全部商品を買うんです。それは違う。50万円仕入れに使って、50万円は商品を知らせるために広告しようと言っても、職人気質で理解が得られません」
帰省後しばらくして、親の店から数十メートルのマルナカセンター横に、15坪ほどの「メガネのイスズ」を開業した。資金は銀行から、商品はメーカーから借りた。
大学で学んだマーケティング理論のとおり「知らしめる・いい物をそろえる・適正価格」を実行して繁盛した。
セイコー社の販促用の掛け時計を使った“限定マーケティング”・・・メガネを買うと、限定50個、掛け時計を進呈・・・も効果があった。

飯間 康行 | いいま やすゆき

略歴
1955年 高松市仏生山町生まれ
1977年 同志社大学卒業、父の時計店の仕事に従事
1980年 「メガネのイスズ」創業
1990年 「アイアイ イスズ」に店名変更
1998年 「アイアイ イスズ 高松レインボーロード
    (本店)」開設
2002年 高松丸亀町に「アイアイ イスズ ヴアン・
    キャトル」開設
2004年 サンポートシンボルタワーに「アイアイ イスズ
    サンポート店」開設
    宇多津ビブレに「アイアイ イスズ 宇多津ビブレ」
    開設
2007年 (株)アイアイ イスズホールディングス設立

株式会社アイアイ イスズホールディングス

住所
香川県高松市伏石町75
代表電話番号
087-864-5225
設立
1980年
社員数
40人(関連会社含む)
事業内容
主に高級時計、ブランドジュエリー、眼鏡、サングラス等販売
資本金
1000万円
URL
http://www.eye-eye-isuzu.co.jp
確認日
2008.12.04

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