三河から来讃した細川氏

中世の讃岐武士(8)

column

2020.12.17

冠纓神社(高松市香南町)。境内には安倍晴明神社がある。

冠纓神社(高松市香南町)。境内には安倍晴明神社がある。

室町幕府成立(1338年)から永正の錯乱(1507年)までの約170年間、讃岐を支配したのは細川氏です。細川氏は、足利氏の祖・義康(よしやす)の曾孫・義李(よしすえ)に始まり、鎌倉時代に三河国細川郷(現・愛知県岡崎市)へ移住したためその郷名にちなみ細川の姓を名乗るようになります。義李には公頼(きみより)と頼貞(よりさだ)という孫がおり、兄の公頼から和氏(かずうじ)・頼春(よりはる)・師氏(もろうじ)、弟の頼貞から顕氏(あきうじ)・定禅(じょうぜん)らがそれぞれ生まれます。

後醍醐天皇の建武政権に反旗を翻していったん京を占領した足利尊氏は、北畠顕家(あきいえ)に敗れて九州へ撤退しますが、その途中、軍議を開き、後備えのため山陽・四国の国々に武将たちの統率にあたる国大将を配置します。四国には、細川一族を配置し、和氏と顕氏の両人に尊氏軍に加わる国人に対して恩賞を行う権限を与えます。そして和氏・頼春の兄弟は阿波、顕氏・定禅の兄弟は讃岐へそれぞれ進出し、幕府成立後、和氏は阿波守護、顕氏は讃岐守護となります。

和氏は、頼春とともに秋月城(現・徳島県阿波市土成町)に「四国軍府」を開き、吉野川流域の武将を従えていきます。しかし、早々と引退し、阿波を頼春に、淡路を師氏に委ねます。なお、和氏には幕府執事となる清氏(きようじ)という息子がいます。

頼春と顕氏が亡くなった後、頼春の子・頼之(よりゆき)が阿波守護に、顕氏の子・繁氏(しげうじ)が讃岐守護となります。しかし、繁氏が急死したため讃岐では守護が不在となり、阿波の守護である頼之の勢力が及んできます。頼之が讃岐進出の拠点としたところが岡館(おかやかた、現・高松市香南町岡)です。この近くに鎮座する冠纓(かんえい)神社は、頼之が岡館に居たとき、日頃から信仰する京都の石清水八幡宮の冠を請うて納め、自ら供奉するかわりとしたといわれています。

その後、頼之は南朝に走った清氏に勝利して讃岐守護となり、その系統の細川一族は、畿内及び東瀬戸内海沿岸8ケ国(讃岐・阿波・淡路・土佐・摂津・和泉・丹波・備中)を領し室町幕府内で最大の勢力を持つ守護大名となっていきます。

村井 眞明

歴史ライター 村井 眞明さん

多度津町出身。丸亀高校、京都大学卒業後、香川県庁へ入庁。都市計画や観光振興などに携わり、観光交流局長を務めた。
写真
歴史ライター 村井 眞明さん

歴史ライター 村井 眞明さん

記事一覧

おすすめ記事

関連タグ

メールマガジン登録
メールマガジン登録
ビジネス香川Facebookページ