羽床氏の一族・配下は、造田(そうだ)宗俊(むねとし)(造田城・旧琴南町)、滝宮弥十郎(やじゅうろう)(滝宮城・旧綾南町)、今滝五郎左衛門(ごろうさえもん)(羽床上城・旧綾上町)、山田弥七(牛川城・同町)、後藤国資(こにすけ)(後藤城・同町)、新名光景(鷲(わし)の山城・旧国分寺町)、福家資顕(すけあき)(堂山城・同町)らです。羽床氏は香西氏と同じ讃岐藤原氏で、香西軍の陣代(じんだい)でしたが、この頃、両氏は反目して戦にまで及んでいました(香西内輪破れ)。また、長尾氏の一族・配下は片岡伊賀守(炭所城・旧満濃町)、岡田因幡守(岡田城・旧綾歌町)、田村上野守(うえのかみ)(栗隈城・同町)らです。
しかし、中讃の諸将も土佐勢の猛攻を受け、4月には羽床氏、5月には長尾氏がそれぞれ降伏し、続いて西庄(にしのしょう)城(坂出市西庄町)の香川民部(みんぶ)少輔(しょうゆう)行景(ゆきかげ)が敗走します。翌天正8年春には、元親は西長尾城を改造して直臣の国吉(くによし)甚左衛門(じんさえもん)を入れ東讃岐攻めの拠点とします。
ところが、織田(おだ)信長(のぶなが)は、天正9年7月、元親のこれ以上の侵攻を良しとせず十河存保に西庄城を奪還させ、さらに翌天正10年1月、四国は切り取り次第という前言を翻し、土佐国と阿波南半国のみの領有を条件に臣従を迫ります。この交渉には明智(あけち)光秀(みつひで)が当たりますが、元親が拒絶したため、その年の5月上旬、信長は三男の信孝(のぶたか)を総大将、丹羽長秀(ながひで)らを副将として長宗我部攻めを命じます。それに先立ち、三好康長(やすなが)(笑岩(しょうがん))が先鋒として阿波へ渡り十河存保(まさやす)とともに反長宗我部勢の結集を進めていました。
ところが、信長の四国征討軍がまさに渡海(とかい)しようとしていた6月2日、本能寺(ほんのうじ)の変が勃発し、信長が明智光秀に討たれます。この機に乗じて、元親は讃岐攻めを再開し、土佐勢は、7月には聖通寺城に拠る奈良勝政(かつまさ)を攻めて敗走させ、次いで西庄(にしのしょう)城を接収して国分寺に進み本堂を本陣とします。そして、香川・羽床・長尾氏ら西讃の諸将を従え香川郡の香西氏領内に侵入します。
村井 眞明
歴史ライター 村井 眞明さん
- 多度津町出身。丸亀高校、京都大学卒業後、香川県庁へ入庁。都市計画や観光振興などに携わり、観光交流局長を務めた。
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