
伊吹島と父母ヶ浜
義継には、寧姫との間にできた嫡子の義兼(よしかね)と、その異母弟に当たる庶子の義茂(ぎしげ)という2人の息子がいました。父の義継が滅ぼされた後、弟の義茂は大川市太郎と改名し、十河一存の跡を継いだ存保(まさやす)(三好義賢(よしかた)の次男)の世話により、讃岐獅子ヶ鼻(ししがはな)城(旧豊浜町)の大平国祐(くにすけ)を頼って、従者2人とともに伊吹島(観音寺市沖)へ逃れます。
兄の義兼は若江城の落城前に阿波へ逃れ、そこで成人しますが、長曽我部の阿波侵入後、三好長冶(ながはる)(義賢の子)の妻の実家のある今の観音寺市財田町に一族郎党と共に身を寄せていました。しかし、存保が天正14年(1586)に九州の戸次川(へつぎがわ)の戦いで討死して後ろ楯を失ったため、翌年、家来50~80騎の一族郎党をともなって弟の居る伊吹島へ避難します。
しかし、この島に先に住んでいた合田一族との間で争いが生じ、天正16年(1588)合戦になります。戦いで義兼は鉄砲で狙撃されて深手を負い、自刃して果てます。その後、合田一族は東部の中低地、三好一族は西部の高地にそれぞれ住み分け、静かな対立を続けながら暮らしたといわれます。今もこの島の住民の姓は、三好姓と合田姓が多くをが占めています。
また、この島は、国語学者の金田一春彦により、日本でただ1カ所、平安時代の京言葉のアクセントを今だに遺している所として紹介されました。片口鰯(かたくちいわし)の好漁場が近くにあることからイリコの島としても知られています。
村井 眞明
歴史ライター 村井 眞明さん
- 多度津町出身。丸亀高校、京都大学卒業後、香川県庁へ入庁。都市計画や観光振興などに携わり、観光交流局長を務めた。
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歴史ライター 村井 眞明さん
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