進化続ける コンクリートと共に

日本興業 社長 多田 綾夫さん

Interview

2015.05.06

サンポート高松や丸亀町グリーン、東京都庁前や六本木ヒルズ・・・・・・全国の至る所に日本興業の製品がある。広場や歩道に敷き詰められたコンクリートブロックだ。太陽光を跳ね返してヒートアイランド現象を抑えたり、ゲリラ豪雨での冠水を防ぐため保水性や吸水性を高めたりする様々な最新機能が備わっている。

コンクリート製品を開発する日本興業は、県内で10社余りしかない上場企業の一つだ。高度成長期に道路、河川、下水道などの公共事業を中心に業績を伸ばした。昨年6月に社長になった多田綾夫さん(65)は「入社当時は日本全体が急成長している時代。バブルも、その後のどん底も経験しました」

インフラ整備は成熟し、コンクリート業界は衰退期に入ったとも言われる。しかし、多田さんは「コンクリートは今も進化の途中。可能性はまだまだあります」とさらなる事業拡大、市場開拓を狙う。

DNAを引き継いで

日本興業はバブル期には売上が年間300億円を超えていた。しかし現在は約130億円。得意とする公共事業はピーク時の約半分になった。これまでは、1997年に業務提携した大株主の積水樹脂(本社・大阪)からずっと社長を迎えていたが、昨年、多田さんが16年ぶりの生え抜き社長になった。

「創業の頃は当時のオーナー社長が、『全国へ打って出るんだ』『上場するんだ』と血気盛んでした。バブル崩壊後は厳しい時代が続いていましたが、創業時のDNAを引き継いで、もう一度、会社を復活させたいと思っています」

日本興業はコンクリート2次製品メーカーだ。地中に埋まっている地下道や下水道、共同溝といった巨大なものから、門柱やブロック塀など住宅のエクステリアまで、コンクリートに関わるあらゆるものを開発し製造販売している。「コンクリートは私たちの身近な所にごまんとあります。我が社の製品は数万種類。営業マンは売る物が多く大変だと思います」

コンクリート製品は日々進化している。例えば歩道や公園に敷き詰められたコンクリートブロック。かつてはカラーリングしたデザイン性の高いものが主流だったが、今は機能性も重視されている。

仙台空港から市内へ続く通りには、ブロック一つ一つを「ジョイントスペーサー工法(JS工法)」という独自手法で強力に噛み合わせた製品が敷かれている。東日本大震災時、液状化現象で凸凹に壊れた歩道が相次いだが、このブロックだけはびくともしなかった。多田さんのアイデアを基に開発され、特許も取得している。「車イスで走行してもほとんど振動を感じない。高齢者や体の不自由な人に優しい製品が出来ないかという思いから生まれました」

ヒートアイランド現象を緩和する「ランドサーマス」には特殊な遮熱材が練り込まれている。太陽光を跳ね返し、保水力も持たせたことで、ブロックの温度は通常のアスファルトより平均で14℃も低くなる。
日本興業製ブロックが敷かれた 国会議事堂近くの歩道=日本興業提供

日本興業製ブロックが敷かれた
国会議事堂近くの歩道=日本興業提供

ゲリラ豪雨対策で雨水を一時貯留する機能を持たせたブロック、地熱を伝えて雪を溶けやすくする雪国用の融雪ブロックもある。「コンクリート製品もいろいろあって面白いでしょう?皆さんが困っていることをいかに解決するか。それが私たちの製品開発の源です」

東京都庁前、渋谷や吉祥寺の駅前広場、六本木ヒルズ・・・・・・都内で使われている高機能な舗装ブロックのほぼ半分は日本興業の製品だ。

窓際で見つけた財産

多田さんは高校卒業後、創業間もない日本興業に入社した。当時の社名は「香川ブロック工業」だった。商事部に配属されサッシなど住宅用建材の販売を担当し、バイクに乗って営業回りに明け暮れる日々。「建設会社との人脈も、会社独自のカタログも無いので、メーカーのカタログ片手に建築現場を回り、飛び込みで『大工さん、これ要りませんか?』と直接売り込んでいました」

営業成績を伸ばし、24歳で大阪の営業所を任された。「高速道路が出来る、大きな団地が出来ると、日本中が沸いていました。オイルショックの時は売上が半減しましたが、なんとかしのぎました」

時代と共に成長していく会社のど真ん中を進み、43歳で役員になった。しかし、ここで大きな挫折が待ち受けていた。「立て直してこいと白羽の矢が立ったんです」

92年、東京・関東支店の支店長になった。関東を営業エリアに大きな売上を占めていたが、バブルが弾けた直後で赤字だった。

「イケイケでやっていた経営姿勢を戒めようと固定費を抑え、徹底的にメスを入れました。そりゃあ抵抗もありますし意見も食い違います」。赤字はほとんど無くしたが、役員を解任された。ラインから外れ、関東営業所に異動になった。「閑職、いわゆる窓際ですわ。もう引き際かなと思いました」。しかし、その"窓際"が貴重な経験となった。

「のんびりやってください」と言ってくれる仲間たちと共に再び営業の第一線に立った。「大変やなあ」と共感してくれるお客さんもいた。営業回りで人脈も広がり、業績も上がり、気がつくと支店長に返り咲いていた。

「その時その時でいかに誠実に人と付き合っていくか。初心に立ち帰らせてもらいました。この時の経験は大きな財産です」

コンクリートは衣食住と同じ

防災かまどベンチ。 災害時の炊き出し用に利用出来る

防災かまどベンチ。
災害時の炊き出し用に利用出来る

日本興業復活へ向けたチャレンジは既に始まっている。今年度中に茨城県に土木製品の製造ラインを設け、震災の復興需要や関東市場のニーズを掘り起こす。

特に力を入れているのは防災関連製品だ。公園など公共スペースの地下に大きなコンクリートタンクを埋め、災害時には便器を取り付け、周りをテントで囲んで簡易用トイレにする。炊き出し用のかまどになったり、救助器具やテントが収納出来たりするコンクリート製のベンチも作った。トイレ、ベンチとも、既に全国の自治体から引き合いが相次いでいる。「コンクリートは原料代がそれほど上がらず、物価優良児とも言われています。『強くて重くて安い』うえに、『安心・安全』を守ってくれる。こんな魅力的で頼りになる素材は他には無いと思います」

2020年の東京オリンピック・パラリンピックも大きなビジネスチャンスだ。「真夏の東京に世界中から人が集まります。高機能なブロックで少しでも路面の温度を下げたい。マラソンを歩道から応援する人も暑かったら大変です。ゲリラ豪雨も心配されますし」

コンクリートは衣食住と同じ。人の暮らしがある限り絶対に必要とされる。それが多田さんの信念だ。

「時代の流れでコンクリート需要は減っていますが、やり方次第で価値も需要もまだまだ高められる。戦後、すさまじい勢いで整備されたインフラの老朽化対策も大きな潜在需要です。姿かたちを変えるコンクリートと一緒に、これからも楽しみながら戦っていきたいと思っています」

◆写真撮影 フォトグラファー 太田 亮

多田 綾夫 | ただ あやお

1949年 高松市生まれ
1968年 香川県立木田高等学校(現香川県立高松東高等学校)卒業
    香川ブロック工業(現日本興業)入社
1991年 取締役
2003年 取締役常務執行役員
2007年 ニッコーエクステリア 代表取締役社長
2009年 サンキャリー 代表取締役社長
2014年 日本興業 代表取締役社長
写真
多田 綾夫 | ただ あやお

日本興業株式会社

住所
さぬき市志度4614番地13
TEL:087-894-8130
FAX:087-894-8121
資本金
20億1980万円
従業員数
292名(14年3月末現在)
事業内容
コンクリート2次製品の製造・販売・工事請負(土木資材事業、景観資材事業、エクステリア事業)
関連会社
ニッコーエクステリア株式会社、株式会社サンキャリー、東播商事株式会社
沿革
1956年 香川ブロック工業株式会社として設立
1969年 日本興業株式会社に社名変更
1997年 積水樹脂株式会社と業務提携
2004年 ジャスダック証券取引所 上場
2010年 大阪証券取引所JASDAQ 上場
2013年 東京証券取引所JASDAQ(スタンダード)上場
確認日
2018.01.04

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