地域の「水」を守る使命感を胸に

水資源機構 関西・吉野川支社 吉野川本部長 河原田 一州さん

Interview

2025.08.07

ミカン農家に生まれた3人兄弟の末っ子。大学進学の際は農学部を選択し、農業工学科で農地の造成・整備、土壌保全などを学んだのち、大学院を経て農用地整備公団(当時)でキャリアのスタートを切った。

1999年の組織統合、2008年の緑資源機構廃止を経て、農地関連の経験を生かせる可能性を感じた水資源機構の採用試験を受けてポストを掴む。以降、全国各地でその土地の人々に寄り添いながら、暮らしに欠かせない「水」を守り続けてきた。

公団での経験を生かし 震災後の農地回復に尽力

農用地整備公団では、入社後1年間本社業務を学び、その後岩手県にある東北支社へ。知り合いもいない、何もかも初めての土地だったが、農地整備と農業用道路を造成して地域農業を振興する事業に従事し、現場で農家の人たちと交流を深める。妻との出会いもあった。

農地への思いは人それぞれで、すんなりとは受け入れてもらえなかったり、そもそも方言がわからなかったり、距離を置かれることもしばしば。そんな時は、さらりと懐に入れる末っ子気質を発揮しつつ、真摯な対話で信用を得ることを何よりも重視した。「とにかく嘘をつかず、相手のことを心から考えて、じっくり接するのが大事だと思っています。人との付き合い方は、この頃からずっと変わっていません」

水資源機構に入社した2年後、東日本大震災が発生。発災直後は茨城・霞ケ浦で被害を受けた機構のハード修繕に携わり、2012年から東北農政局仙台東土地改良建設事業所へ出向、津波被害のあった農地の復旧を担うことになった。「海水に浸かって塩分濃度が高く、壊滅的な被害を受けた砂漠のような農地に、水路を整備して1800㌶の水田を復旧する事業です。大変ですがやりがいも大きかった」と振り返る。3年間の出向を終えて東北を離れた翌年から現地の米作りが一部再開。収穫期に再訪して食べたお米の味は、「まさに最高でした!」

そんな国家的プロジェクトにかかわる中で感じたのは、「農用地整備公団でのキャリアが生きた」という実感。「娘たちに父の仕事を見せることができ、この仕事を選んでよかったとしみじみ思いました」

持ち前の社交力で 新しい出会いを楽しむ

水資源機構に戻ってからは、本社管理業務と現場マネジメント業務の両輪でキャリアを磨き、2022年から初めてふるさと四国へ。旧吉野川河口堰管理所長、香川用水管理所長を計3年間務めた。「土地改良区や浄水場からの配水依頼に毎日フレキシブルに対応してきました。特に水不足に悩まされがちな香川は、地域一丸で水問題に取り組もうとする意識が高い。とても感謝してもらえるから、私たちも張り合いがあり、これまでの任地の中でも深く印象に残る場所になりました」

今年から関西・吉野川支社吉野川本部長として、四国管内を統括する立場に。24時間365日、何があっても地域に水を送り続ける使命感を噛みしめつつ、組織の長としては「風通しがよくモチベーションの高い職場をつくりたい」と意気込む。

自分から積極的にコミュニケーションをとるタイプで、新しい環境に物怖じせず飛び込んでいく姿勢は、仕事もプライベートも一貫している。転勤した先々で地域のバスケットボールチームに飛び入りで加えてもらったり、自宅で手料理をふるまう食事会を開いたりと、全国各地で築いた交流が今も続いているという。自宅は岩手県にあり、単身赴任生活も15年目になるが、「未知の場所で面白いものを見つけたり、魅力的な人との出会いが楽しいから、転勤はまったく苦じゃないんです」と笑顔で語った。
自宅で開く「居酒屋河原田」はファンが多い。義母の味である東北料理も得意

自宅で開く「居酒屋河原田」はファンが多い。義母の味である東北料理も得意

戸塚 愛野

河原田 一州 | かわはらだ かずくに

略歴
1965年 愛媛県生まれ
1983年 愛媛県立今治西高校 卒
1988年 東京農業大学 卒
1989年 東京農工大学 大学院 修士課程
1990年 農用地整備公団 入社
2008年 独立行政法人緑資源機構 退社
2009年 独立行政法人水資源機構 入社
2012年 東北農政局仙台東土地改良建設事業所 出向
2015年 水資源機構 本社水路事業部設計課 課長補佐
2017年 同 利根川導水総合事業所 第一管理課長
2019年 同 豊川用水総合事業部 豊橋支所長
2020年 同 同事業部 次長
2022年 同 旧吉野川河口堰 管理所長
2024年 同 香川用水管理所長
2025年 同 関西・吉野川支社 吉野川本部長

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