陸自きっての登山家 山を愛し、国を愛し

陸上自衛隊第15普通科連隊長 上田 寛孝さん

Interview

2013.03.07

チョモランマ遠征に参加

若い日に、防衛大学校チョモランマ(エベレスト)登山隊員に選ばれた登山家である。山岳とは防衛大に入学して山岳部の扉をたたいて以来、深い縁で結ばれた。

1987年8月~11月、陸・海・空の防衛大OBを中心とする登山家の自衛官だけで構成されたチョモランマ遠征は当時の日中友好の旗印のもと行われた。中国・人民解放軍が北京からチベット・ラサまで大量の機材を空輸してくれた。

頂上アタック 悪天候で断念

ベースキャンプ(5150メートル地点)、第1キャンプ(5700メートル地点)、第2キャンプ(5900メートル地点)、第3キャンプ(7600メートル地点)を計10回往復し、機材を上へ荷揚げする役割だった。だから自らのチョモランマ最高到達点は7600メートル。60年に1度の豪雪に見舞われ、登山隊は8100メートル地点で頂上アタックを断念、引き返した。

最初の小隊長任官は85年、長野県松本市に置かれ「陸自の山岳部隊」と呼ばれた第13普通科連隊だった。2年後、埼玉県朝霞市に所在する第31普通科連隊の小隊長に。誰がみてもチョモランマ遠征のための異動。チョモランマから帰った直後の異動で再び松本の部隊に戻った。陸自富士学校では冬場の富士登山訓練の面倒を見た。防衛大・訓練課に所属したときは防大山岳部の監督を務め、若い人に山を教え、登山の実際を指導した。

「自衛官本来の業務以外の時間は全て山とともにありました」

原点は、防大学生のころ、リュックに50キロの石を詰め、神奈川県・丹沢山系を登った歩荷(ぼっか)の日々。以来、「常に山」の陸自人生。

普通科連隊は旧陸軍の歩兵部隊に相当する。第15普通科連隊は善通寺に司令部を置く第14旅団に属する。善通寺にはもともと日露戦争の将軍乃木希典(のぎまれすけ)が初代師団長を務めた旧陸軍第11師団司令部があった。その流れをくむ第14旅団がカバーするのは四国全域。第15普通科連隊は善通寺を拠点に香川、徳島両県を受け持つ。第14旅団翼下には高知に第50普通科連隊、松山に第14特科連隊(火力戦闘部隊)がある。

部隊は、南海トラフを震源とする巨大地震への備えで忙しい。南西諸島で高まる緊張に部隊全体が否応なく引き締まる。剣山や石鎚登山は当分お預けだ。

上田 寛孝 | うえだ ひろたか

略歴
1962年8月1日 宮崎県生まれ
1985年3月 防衛大学校卒業
1985年9月 第13普通科連隊(長野)小隊長
1999年3月 第13対戦車中隊(島根)中隊長
2000年8月 第13後方支援隊(広島)第3科長
2002年8月 陸上幕僚監部(東京)
2007年3月 第12旅団司令部(群馬)第4部長
2009年12月 東部方面総監部(東京)広報室長
2012年4月 第15普通科連隊(香川)連隊長

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