地域とともに 四国の明るい未来を描く

日本政策投資銀行 四国支店長 佐藤 清志さん

Interview

2025.06.05

多様な世の中の動きに関われる仕事を志し、金融業界を選択。入行した1998年当時、金融機関はバブル崩壊による不良債権処理で経営危機に陥るケースも相次ぎ、「貸し渋り」が流行語になったほど。最初の配属先は、建設・不動産業界などを担当する都市開発部だった。

激動の最前線で磨いた経験

建設・不動産は当時経営難に苦しむ企業が特に多かった業界の一つで、貸し渋り対策に注力する政府系金融機関として、資金繰りに苦悩する経営者たちの相談に応えるところからキャリアをスタート。新入社員ながら十分な対応に当たれるよう、企業の経営状態を詳しくリサーチするなどの努力を惜しまなかった。

「混乱の中で得た経験が、今も私の根幹を支えています。リーマンショックや東日本大震災、コロナ禍などその後も大きな社会の変動があり、そういう時に駆け込み寺となるのが政府系金融機関。有事にこそ期待に応えなくては」

1年半ほどして、仙台の支店へ異動。仙台は小学6年から大学時代まで過ごした故郷であり、地域活性化に関連する業務に魅力を感じたという。「地域振興の伝道師」と呼ばれた銀行の先輩の薫陶を受けてデータ分析や課題解決の手法を学びつつ、地元の行政やメディアで志を同じくする同世代との交流を深め、地域振興に関する勉強会やイベントを実施した。「現場に立って活性化を目指す行内のカルチャーを自分なりに実践できるチャンスを得られ、早くから自分のやりたい仕事に取り組めている実感がありました」

東京に戻ってからは、創設間もない金融庁へ出向。未だ金融機関の経営危機が続く渦中に身を置き、今度は「枠組みをつくる」側に立って事業再生支援の枠組み整備などに尽力した。

大きな転機となったのは、2011年の東日本大震災。「発災当時は人事部に所属し、両親の無事もわからないまま職員の安否確認や物資支援に奔走するうちに、地域の力になりたい情熱が私の中で再燃したんです」。自ら望んで14年から復興庁へ出向、被災企業の産業復興支援に従事したのち、東北支店で地方銀行と協働した投融資にかかわり、官民双方の立場から「自分でもモチベーション高くパフォーマンスを発揮できた」と振り返る4年間を過ごした。

投資に注力し 地域企業を支える

24年に支店長として初めて赴任した四国について、「人口減少など地域の課題は東北に通じるものがある。南海トラフ地震への備えという視点でも、東日本大震災からの復興支援に従事した経験を生かし、さまざまな形で貢献したい」と意欲的。より大きい視点で物事をとらえようとする姿勢は、会長秘書を務めていた最中にコロナ禍が到来し、コロナ対応融資の立ち上げに当たる決断を目の当たりにした経験も影響しているという。

四国の事業者向けには、特に投資を重視する方針。「不確実性を増す経済状況下で企業が発展するには、融資以上のリスクをとれる資本も必要。政府系金融機関として、産学官金あらゆる業界の方々との間に培った情報やネットワークを活用いただける強みがあります」。中四国初となる生成AI向けGPUデータセンター事業、生物多様性の回復や新たな二酸化炭素吸収源の普及を目指し香川大と連携して取り組む人工藻場造成プロジェクトをはじめ、着任当初から新しい挑戦を積極的に支援していく姿勢を見せている。

「私は周囲が燃えていると一歩引き、周囲が冷めていると燃える天邪鬼タイプなんです」と自認しており、「地域活性化は時間がかかるもの。人が見ていないものを見ようと心掛けながら各地で育んだ知見を生かし、四国に明るい未来を描くお手伝いができれば」と語った。
50歳を超えてからゴルフを始め、休日は四国支店の同僚たちと気軽に楽しむ

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戸塚 愛野

佐藤 清志 | さとう きよし

略歴
1974年 神奈川県生まれ
1998年 東北大学法学部卒
日本開発銀行(現・株式会社日本政策投資銀行)入行
2001年 金融庁 総務企画局信用課 係長
2006年 株式会社日本政策投資銀行 中国支店 調査役
2010年 同 人事部 調査役
2014年 復興庁 企業連携推進室 参事官補佐
2016年 株式会社日本政策投資銀行 東北支店 課長
2018年 同 秘書室 次長
2020年 同 金融法人部 次長
2022年 同 審査部 担当部長
2024年 同 四国支店長

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