サンポート高松(その1)

工代祐司

column

2025.12.04

「高松港は中世以来の伝統ある港なんですよ。工代さん、もっと胸を張ってください」。県の高松港管理事務所時代、所員の井上正夫さん(現・松山大学教授)に真顔で叱られました。視察先の横浜港のスケールに圧倒され、相手にへりくだった物言いをしたからです。ちょうどサンポート高松がグランドオープンを迎えた2004年でした。

サンポート高松の再開発は、1988年の瀬戸大橋開通に伴う宇高連絡船の廃止により、高松港とその周辺の衰退を防ぎ、逆に港と都市が一体化した四国の中枢拠点を創造しようという起死回生の事業でした。土地の権利調整を含め難度の高い事業を、県と国、市、民間の皆さんが新しい港湾都市を目指して情熱を傾け推進したのです。

その熱は、地味な業務が中心の高松港管理事務所にも波及し、「この港を衰退させてたまるか」と所員の仕事への意識も大きく変化しました。予算はなくとも港の歴史や特色をまとめ、ホームページを作成し、高松港のPRにも取り組んだのです。

先般11月4日、NPO法人リサイクルソリューション(RSO)主催のフォーラム「港湾空間における未来デザインの試み」が東京で開かれました。RSOは港湾に関する調査研究、技術普及、人材養成、政策提言等を行う団体です。会長の山縣宣彦さんは、2000年頃、運輸省の高松港湾空港工事事務所長としてサンポート高松の整備に尽力された方です。

フォーラムは、サンポート高松をモデルケースとして港湾都市づくりの未来を考えていこうというもの。僭越ながら地元から私が参加し「高松港と瀬戸芸」についてお話をし、建築家の妹島和世さんがサンポート高松を香川県立アリーナの設計にどう活かしたかなど「環境と建築」というテーマで講演され、引き込まれました。

考えてみると瀬戸芸が今の形で行えるのも、マザーポートとしてのサンポート高松の整備があったればこそとも言えます。島々への発着も一カ所にまとめられ利便性が格段に向上しました。「中世以来の伝統ある港」を瀬戸内海の新時代を切り開く多面的な交流の舞台としたい。諸先輩方の努力を礎に希望と期待が一層大きくなっていくのです。
(文・写真 工代祐司)

記事一覧

おすすめ記事

メールマガジン登録
債務整理のとびら 離婚のカタチ 交通事故の羅針盤 メールマガジン登録
ビジネス香川Facebookページ