「脱」成功体験で 「安全安心」市場を開く

丸善 代表取締役社長 秋山 達夫さん

Interview

2011.09.15

少しずつ時代は変わった。最盛期の30年間はあっという間だった。紙パッケージ製造の(株)丸善は、築き上げた全国トップシェアの呉服箱からの転換を余儀なくされた。

ライフスタイルや住宅事情の変化で、得意先の呉服屋や家具屋が激減して、衣装用や座布団用の売り上げが、毎年10%以上減り続けた。

「もっと早く成功体験から脱却できていたら、いまの苦労は無かったかもしれない」。縮んだ市場と安い輸入品との競争で、主力製品の転換を決断、食品包装容器販売に活路を求めた社長の秋山達夫さん(69)は、自らの意識改革の難しさを語った。

あの頃はよかった

「座布団を50枚も100枚も、座布団箱に入れて嫁入りする時代だったんですよ」。嫁入り道具のたんす3点セット(整理、和、洋服)は、電気製品や車に代わられ、着物を着る人も減って呉服箱は売れないし、座布団箱は置き場所がない。

秋山さんが入社したころが一番いい時代だった。1960年後半からバブル期の90年ごろまでは、努力さえすれば業績が伸びた。

「呉服箱や座布団箱、衣装箱を、全国の呉服屋さんや家具屋さんへ納めていたんです」。着物の包装紙(文庫紙)をセットにした呉服箱がヒットして、全国トップシェアになった。

樟脳(しょうのう)付きの衣類箱「モスボックス」が、衛生薬品会社(小林脳行)のテレビ広告で、どこの家庭でも使われるようになった。

「あの頃の映画の部屋シーンでは、よく我が社の赤い水玉模様の座布団箱が映っていました」。時代は変わって、営業努力が販売実績に結びつかなくなった。

新しい商品開発を迫られた秋山さんは、衣類箱の技術を生かして、お菓子や麺類、果物などの食品包装容器へ進出した。

「変わる」のは難しい

食品やメーカーに合わせて、販促効果のある包装容器を提案しないと仕事にならなくなった。

「それまでの呉服箱や座布団箱、衣装箱は既製品です。得意先を回ったら、何割か注文が取れていました。御用聞きで十分だったんです」

御用聞き営業から提案型へ、意識を変えるのは難しい。「いまだに成功体験から抜け切れないんですよ。つくり手側の目線で、こうすれば売れるだろうと考えてしまいます」。秋山さんは、顧客目線になるには苦労するという。

「変われなければ企業は存続できませんから、時代の変化に合わせていくのはあたりまえです。しかし他社と比べて格別違ったことをしてきたわけではありません」 

営業の基本は変わらない。御用聞きが出来ないと顧客の現状やニーズをつかめない。提案型営業も御用聞きから始まるのだ。 

創業者で父の元一(もといち)さんから会社を継いで18年、市場の変化を乗り越えて食品抗菌パッケージ市場の開拓を目指す秋山さんは自然体だ。格別の気負いはない。

新聞記事でひらめいた

一つの記事から抗菌パッケージが生まれた。 「植物繊維から安全性の高い抗菌液を開発したという見出しを読んだんです。食品容器に使えそうだとひらめいたんです」

2006年、薬液を紙に塗る技術を開発した。製品化した果物や洋菓子用の容器が軌道に乗り始めたとき、購入した薬液に界面活性剤(洗剤の原料)が含まれているのが分かった。

「薬液メーカーが、詳しい成分データを出さないので、我が社で分析機関へ検査を頼んだんです。それで安全性が確認できないと判断して、販売をやめました」

食品抗菌パッケージの大きな市場が目前だったが、事業の撤退を余儀なくされた。「一刻も早く安全なものを開発したいので、香川県産業技術センターに共同研究をお願いしました」

09年、銀ゼオライトを溶液に分散させた新しい抗菌液の開発に成功、抗菌加工紙「テンキーパーAg」を発売した。

※銀ゼオライト
銀イオンをゼオライトという無機物中に閉じ込めたもの。

後(あと)加工でコスト半減

銀食器に抗菌力があることは昔から知られている。銀を使った抗菌剤もすでにある。しかし紙に塗ることはできなかった。

「製紙会社から仕入れた板紙の表面に、印刷技術を応用して抗菌液を後から塗るので、容器を作るとき無駄も制約もほとんどありません」

従来の抗菌紙は、紙すき工程で抗菌剤を練りこむため値段も高い。製紙会社が販売する抗菌紙のサイズは2種類で、それを型抜きすると余白がロスになる。後加工の「テンキーパーAg」は、コストが従来の約半分だし、抗菌効果も非常に高い。

「抗菌加工紙に有害菌が接触すると死にますから、鮮度保持にも効果があります。しかし触れない食品内部の腐敗は防げません」

「安全安心」製品は製造に手間と経費が余計にかかる。「工場の設備基準のクリアが大変です。自社で加工して、最後の工程は衛生的な設備がある工場へ外注するんです」

抗菌効果は、紙の表面に成分が定着している間、3年以上続くという。

薬液の製造法と紙の表面加工技術は、09年、「芦原科学賞」大賞を受賞。10年には特許を取得した。

同時に韓国でも特許を取って、技術の使用権を韓国企業に売った。「抗菌パッケージがソウルでも製造されるようになりましたが、単価の安い抗菌加工紙の輸出は、運賃が引き合うかどうか疑問です」

海外への展開は今のところ考えていないと秋山さんはいう。

※芦原科学賞
故芦原義重氏(関西電力名誉会長、香川県名誉県民)からの寄付金を基金として、香川県の産業の振興や技術の向上などに貢献した団体や個人を表彰している。

共同開発しませんか

「最大の失敗は、20年前に意識改革が出来なかったこと」。そういう秋山さんは、「つくり手側主導から顧客側発想へ」の転換を模索する。

抗菌加工紙は秋山さんのひらめきで生まれた。新しい市場を生み出すのは、いつもつくり手側の革新的な商品のはずだ。プロダクトアウトが顧客ニーズを呼び起こす。

今年新たに開発した「はっ水・耐油・防カビ」機能を持つ抗菌紙「テンキーパー」シリーズは、テークアウト用の容器として、外食産業や高齢化で伸びる在宅配食業にも需要が見込める。病院の備品に使えば、食中毒や院内感染を防げる。

「いくら良い製品を開発しても、顧客の関心を呼ばないと売れません。だからつくり手側から市場に仕掛けたいんです」

安全安心の意識はますます高くなる。秋山さんの目前に大きな未開拓の市場がある。

「商品を共同開発しませんか」・・・秋山さんは布や材木、金属、ガラス製品などへ「抗菌加工」の展開を呼びかける。

※プロダクトアウト
市場のニーズを意識せず、企業側の意向や技術を重視して製品やサービスを開発し、市場に導入する考え方。

パッケージと商品価値

衣類も食品も、「きれい」で「おいしそう」に見えないと消費者は買わない。「販促効果のあるデザイン力と、印刷技術力がなかったら包装業界ではやっていけません」

包装容器のデザインや色彩、形が商品価値を生む。「印刷工程でわずかでも色が違うと許されません。板紙印刷は温度や紙の材質で色が微妙に変わりますから、色を安定させる技術は難しいんです」

同じデザインを何年も使う場合は、もっと難しくなる。印刷のたびに新しいインクを使うと色が変わるので、最初に使ったインクと成分データを保管しておく。

「経年変化でインクも変色するんですよ。数億円もするコンピューター制御の印刷装置でも、オペレーターの経験が、最後にはものをいうんです」

印刷技術は包装メーカーの大事なノウハウだ。

秋山 達夫 | あきやま たつお

1942年 善通寺市生まれ
1964年 明治大学卒業 株式会社 丸善 入社
1993年 代表取締役社長に就任
現在に至る
写真
秋山 達夫 | あきやま たつお

株式会社丸善

所在地
三豊市三野町大見甲3308
TEL 0875−72−5135/FAX 0875−72−3971
設立
1956年
代表者
代表取締役社長 秋山達夫
資本金
4000万円
社員数
115人(2010年3月期)
売り上げ
25億円(2010年3月)
営業品目
各種パッケージ等の企画・開発及び、製造販売
沿革
1956年 丸善段ボール株式会社設立 資本金480万円
1961年 東京営業所開設
1962年 九州営業所開設
1963年 大阪営業所開設
1970年 名古屋営業所開設
1975年 資本金4000万円に増資
2005年 ISO9001認定工場
2009年 食品用包装容器を抗菌加工したパッケージ事業    が芦原科学大賞を受賞
2010年 企画部長市村光利が文部科学大臣表彰の科学技    術賞を受賞
    代表取締役社長の秋山達夫が三豊市ものづくり大    賞を受賞
URL
http://www.p-maruzen.com/
確認日
2018.01.04

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