「騙されても騙すな」 目先の利益より信頼

七星食品 社長 東原 寛二さん

Interview

2013.04.04

間口1間(けん)(1間は約1メートル80センチ)の精肉店からスタートした七星食品は、小売りから生産者へ、川下から川上へ事業を展開して創業61年で年商71億円の企業に育った。

父の正興さん(故人)が創業社長。小売りの傍(かたわ)ら草創期のスーパーに豚肉を卸し始めた。農家の庭先養豚では安定仕入れが難しく、日本農産工業と資本提携して、配合飼料を農家に供給、養豚の大規模化を進めた。

姉の前社長美鶴さんは農業に参入、生産から食卓まで一貫した流通体制を整えた。末っ子の現社長の東原寛二さん(51)は、量販店向け豚肉のパック加工や冷凍食品の製造を請け負い、繫殖と育成を管理するブランド豚を開発した。

姉弟が新事業を次々と呼び込めた土台は、亡き父から受け継いだ実直な商いにあった。

勃興期のダイエーに卸す

▲七星食品は今、ブランド豚の生産に力を入れている

▲七星食品は今、ブランド豚の生産に力を入れている

幼稚園から帰ったとき、地元スーパー、マルナカの創業者中山義彦会長が、店に座って父を待っていた。豚肉の取引を頼みにきたのだ。実直な養豚の取り組みを見た日本農産工業の仲介で、勃興期のダイエーにも豚肉を卸した。

父の姓は鄭(てい)、台湾出身の華僑だった。建築資材を商って、1950年の朝鮮戦争の特需で大儲けしたが、共同経営者に売上金を持ち逃げされて行き詰まり、51年、高松市南新町で小さな店を借り、初めはかしわ、やがて牛肉、豚肉を売り始めた。

夫婦と3人の子供、5人家族がウナギの寝床のような店の2階で暮らした。17歳上の兄英二さんは東大医学部へ。15歳年長の姉は母の泰子さんとともに店を手伝った。

実は、筆者の生まれ育った家の近所だった。陽気な女将(おかみ)さんや、七星の寄せハムの味を半世紀以上たった今でもよく覚えている。

豚肉は華僑の食文化、ソウルフード、一家のファミリーヒストリーの主役だ。正興さんは「騙されても騙すな」を信条に、養豚加工へ展開を始めた。

姉に水をぶっかけた

73年、小学校6年の時、正興さんが病気で亡くなった。働き盛り、56歳だった。日本農産工業から社長を迎えた。3年後、美鶴さんと交代した。

この年の香川県は日照り続き。高松砂漠といわれ、食肉処理した枝肉を洗う水を求めて高知県中村市(現・四万十市)に高知工場を新設した。76年、美鶴さんが社長になった年、寒川町(現・さぬき市)に本社を移転し本社工場を建設した。

「姉ちゃん、女のくせに酔っぱらって」。待ち構えていて水をぶっかけた。世間知らず、生意気な高校生だった。

美鶴さんは、車で寒川町の本社へ通ったが、帰りは気分転換に自宅近くの駐車場から飲み屋街の古馬場町へ直行することが多かった。

「なにしょんな!あんたに姉ちゃんの気持ちは分からない」。母に叩かれた。後にも先にもあんなに厳しく叱られたのは初めてだった。泰子さんは美鶴さんが飲んで遅く帰っても、一言も文句を言わず食事を作って待った。

「大黒柱の父を失った家族を背負い、結婚もせず会社を切り盛りする健気な姉を、母がどんなに気づかったか思い知らされました」

(株)ニチレイに就職が決まったとき、「姉ちゃん、ゆくゆくは七星へ帰るから」と決意を話したら、大粒の涙を流して喜んでくれた。

90年に農業に参入。豚肉の品質を安定させるための繁殖所、多和ファームを開設。寛二さんはニチレイを退社して七星に入社した。

パック肉 大きな柱に

92年、餃子や焼売の原料、豚肉や脂を納品していた冷凍食品会社から、学校給食や社員食堂用のとんかつ製造を委託された。

付加価値の高い加工食品に進出するチャンスだった。冷凍食品会社に冷凍技術と日本最高水準の衛生品質管理の指導を受けて、高知工場の近くに冷凍食品工場を建設した。

同じ年、ダイエーが販売単位の大きい量販店、ハイパーマート四国第1号店を坂出にオープン。アウトパックと呼ばれるパック肉の委託加工業務を頼まれた。

従来はかたまり肉を仕入れて、店がスライスしてパックしていた。納入業者には技術はないし、異物が混入するリスクがある。高い壁だったが、乗り越えた。

「たまたま肉屋に勤めたことのある社員がいて、ダイエーさんの指導で始めました」。これが次の商機につながった。量販店業界は、外部委託加工と自社内でのパックセンター処理の二極化が進んだ。

委託加工を請けた業者が処理するかたまり肉は、販売先の供給か外部仕入れだ。加工賃だけでは採算が厳しい。豚肉を自社加工する強みのあるパック肉が大きな事業になった。

成分表示せず失敗

▲加工したハムやソーセージ類=いずれもさぬき市寒川町石田西で

▲加工したハムやソーセージ類=いずれもさぬき市寒川町石田西で

入社8年後、22年間社長を務めた美鶴さんから経営を引き継いだが、日本の畜産の前途は明るくない。価格競争では輸入肉にかなわない。狂牛病の発生や、輸入牛を国産と偽る不正表示事件で食肉業界に消費者の目は厳しくなる。

6年前、スーパーに納めたチキン惣菜で、子供が乳アレルギー症を起こした。歩どまりをよくするため、使わないはずの乳タンパク加工品を製造現場で入れたのに成分表示をしなかった。

「慢心していました」。目先の利益より、情報開示による信頼が何よりも大切であることを実感した。

オーダーメード豚

「原価積み上げ方式で適正利潤を頂いて、要望された方法で飼育します」……品質を評価してくれる取引先とタイアップして、ブランド豚の生産を始めた。コープ自然派の「自然豚」と高知のスーパー、サニーマートの「麦豚」はオーダーメードの豚だ。

「父に気性がそっくりの姉は、取引先から持ち込まれた話に『騙されても騙さない』信念を貫きました。それが信頼を生み、大きな事業になりました」

◆写真撮影 フォトグラファー 太田 亮

東原 寛二 | ひがしはら かんじ

株式会社 七星食品 代表取締役
エース食品 株式会社 代表取締役
1961年 高松市生まれ
1980年 香川県立高松高校 卒業
1985年 早稲田大学商学部 卒業
    株式会社ニチレイ(現・ニチレイフレッシュ)入社
1990年 家業継承のため帰省
1998年 社長就任
写真
東原 寛二 | ひがしはら かんじ

株式会社 七星食品

所在地
さぬき市寒川町石田西721
TEL:0879-43-3590
FAX:0879-43-5497
設立
1965年
資本金
3025万円
売上高
71億4000万円(2012年5月期)
従業員
154人
沿革
1951年 七星精肉店創業
1965年 (株)七星を設立
1973年 (株)七星食品に社名変更
1973年 高知工場開設
1976年 寒川町(現在のさぬき市寒川町)に本社移転
1984年 高知営業所開設
1986年 岡山営業所開設
1990年 多和ファーム完成
1992年 高知第2工場新築 冷凍食品製造
1992年 PC事業(パック肉製造)開始
1995年 東京事業部開設
1997年 差別化戦略の一環として麦豚の生産販売開始
1999年 香川県特産 讃岐黒豚、讃岐夢豚の生産販売開始
2001年 高知PC事業開始
2006年 香南ファーム完成(2000頭収容の発酵式肥育豚舎)
確認日
2018.01.04

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