安富氏は、下総(しもうさ)国(現・千葉県北部と茨城県西部)を出自とし、三木郡の平木城に移り住んだ後、雨滝(あまたき)城(現・さぬき市雨滝山頂)を築きます。三木郡を直領し、東方(ひがしかた)守護代を務め、大内・寒川・三木・山田・香東・香西・綾南条郡と小豆島を管轄します。しかし、東讃は、香西・寒川・十河氏らの国人(讃岐生え抜き武士)が割拠しており、いずれも大分限者(だいぶげんしゃ)で、中でも香西氏は安富氏をしのぐ力を有していました。
細川氏は幕府の管領となる家柄であったため、その当主である讃岐守護本人は常に在京しており、讃岐には細川守護家に代わり、被官からなる守護代が置かれます。応永年間(1394~1428)初頭から讃岐では、両守護代制(二分割二人制)が採られていました。
香川氏は、もとは鎌倉姓でしたが、相模国香川庄(現・神奈川県茅ヶ崎市)を本貫地として香川姓を名乗ります。白峯合戦の功により多度・三野・豊田郡を直領し、多度津の本台山(もとだいやま)(現・桃陵公園)に居館を設けて天霧(あまぎり)城(鳥坂峠の北の天霧山頂)を詰城(つめのしろ)とします。西方(にしかた)守護代を務め綾北条・鵜足(うたり)・那珂(なか)・多度・三野・豊田郡を管轄します。なお、現在の県名「香川」と香川氏とは無関係です。
奈良氏は、武蔵(むさし)国大里(おおさと)郡奈良(現・埼玉県熊谷市)を出自とし、白峯合戦の功により細川氏から鵜足・那珂郡を与えられ、聖通寺山に城を築き、亀山(現・丸亀城)を出城とします。
由佐氏は、下野(しもつけ)国益子(ましこ)(現・栃木県益子町)から細川氏に従って香川郡井原荘に移住し、姓を由佐と改め、由佐城(高松市香南町由佐)を築きます。この他、石丸氏、二川(龍満)氏なども、細川氏に従って讃岐にやって来た東国武士だといわれています。
これら東国出身の讃岐武士は、直参として細川家臣団の中核を構成し、京都へ上がって近侍(きんじ)して内衆(うちしゅう)や奉行人としてその家政に参加して活躍します。
村井 眞明
歴史ライター 村井 眞明さん
- 多度津町出身。丸亀高校、京都大学卒業後、香川県庁へ入庁。都市計画や観光振興などに携わり、観光交流局長を務めた。
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