
宇多津町の圓通寺にある「細川頼之公館跡」の碑
3月8日朝、義満一行は宇多津を離れ宮島に向かいます。少し西に進んだところで暴風に遭い佐柳島に上陸し、備後尾道(現・尾道市)・安芸高崎(現・竹原市)を経て10日厳島に着きます。参詣を終えて、さらに西へ向かい周防国に至り大内義弘に会い、さらに竈戸関(かまどのせき)(現・山口県上関町)で河野氏に引見します。そして、22日、備後鞆(とも)(現・福山市)を船出し、荘内半島先端沖を進みます。しかし、激しい追い風に遭ったため、宇多津の手前の「ただつ」(多度津)に上陸し、徒歩で渚の干潟に沿って進み、青ノ山を越えて宇多津に戻ります。2泊の後、宇多津を発ち、26日に帰京します。
これにより、頼之は宇多津に雌伏すること十余年、再び京に戻り、幕政に返り咲きます。明徳2年(1391)、頼元(頼之の弟で養子)が管領に就任し、頼之は政務を後見します。そして、明徳の乱で山名氏清を破ります。しかし、翌年(1392年)、頼之は風邪をこじらせ死去します(享年64歳)。南北朝が合体したのは、その年のことです。また金閣寺の完成はその5年後のことです。京都嵯峨野の地蔵院(竹の寺)には頼之の墓がありますが、讃岐の立善寺(りゅうぜんじ)(現・高松市香川町川東下)にも分骨したという頼之の墓があります。
村井 眞明
歴史ライター 村井 眞明さん
- 多度津町出身。丸亀高校、京都大学卒業後、香川県庁へ入庁。都市計画や観光振興などに携わり、観光交流局長を務めた。
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歴史ライター 村井 眞明さん
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