社会に役立つ “人間”を育てる

高松高等予備校 理事長 村上 良一さん

Interview

2016.02.04

受験シーズン真っ只中だ。1月16、17日には大学入試センター試験が行われ、多くの受験生が難関に挑んだ。

「進学と進路は違います。生徒の進路を真剣に考え、本当に行きたい大学へ行かせてあげる。それが私達の役目です」

少子化が進み、この20年で浪人生の数は大幅に減った。それに伴い、閉校や規模縮小に追い込まれる大学受験予備校は少なくない。だが、高予備(たかよび)の愛称で知られる高松高等予備校は、独自のやり方で生徒数を増やし続けている。1962年の開校時には50人程だった生徒数は今では1000人に上る。

「きちんと育てることで生徒は放っておいても集まってくる」。高予備を西日本有数の予備校に育てた村上良一理事長(81)は、学力だけでなく社会に貢献出来る人間形成を信念に掲げ、今年も多くの受験生たちを志望校へ送り届ける。

地獄の苦しみやがて習慣に

「予備校というのは勉強をしに来るところと思われているが、そうじゃない。勉強をしてこなかった子が来るところだ」

村上さんの予備校経営の根本にあるのが、この考えだ。そのため、無理矢理にでも勉強させる環境づくりを徹底している。

今年度の高予備生約1000人のうち地元出身者は4割弱で、生徒は中四国を中心に北は北海道から南は沖縄まで全国から集まっている。全生徒の約7割、県内の生徒も100人余りは高予備の直営寮に入っている。寮は、「受験道場」と呼ばれるほど厳しいと評判だ。起床時間は朝7時。寮から学校に登校してみっちり授業を受け、門限の夕方5時までに寮に戻る。夕食、入浴、勉強をし、消灯は11時半。夜に友達の部屋を訪ねるのは厳禁だ。「一番良かったのは遅刻と欠席を厳しくしたことですね」。朝、生徒が登校していないと、すぐさま寮に連絡が入る。ずる休みや登下校時の道草も許されない。「昼間、生徒が寮でゴロゴロしている予備校もありますが、うちでは学校への出席率は、ほぼ100%です」

寮生活は基本個室だが、共有スペースでみんな一緒に勉強する「必須自習」を毎晩3時間設けている。「自分の部屋にこもると、マンガを読んだりテレビを見たり・・・・・・そういうのを我慢出来る子だったらそもそも浪人していません」。退室禁止で私語厳禁。3時間イスに座りっぱなしでの自習は最初は地獄の苦しみだが2週間もすれば次第に慣れ、その頃には勉強する習慣が自然と身についているそうだ。「必須自習を取り入れてから合格率がポンっと上がりました」

約1000人の生徒の内、2015年度の合格者は国公立大が547人、国公立大の医学部が91人、早稲田、慶應、上智など難関と言われる私立大が574人だった。第一志望と第二志望を合わせた合格率は6割を超える。「志望校に合格出来なければ予備校の値打ちは無いが、うまくいく子ばかりではありません。でも、1年間やるだけやったと思えれば納得出来る。私達は生徒に完全燃焼してもらうための最大限のサポートをしなければなりません」

冬の時代に立ち向かう

団塊ジュニア世代が受験期を迎えた1990年頃は全国に30~40万人の浪人生がいた。浪人生を描いた人気マンガやテレビドラマもあり、「現役は偶然、一浪は当然、二浪は平然」とも言われていた。しかし、少子化で18歳人口も減少する中、浪人生は現在10万人を下回り、大手と呼ばれる予備校でも拠点校の閉鎖や現役生重視への路線変更などを余儀なくされている。一方で大学は独自色を出そうと学部学科を増やし、それに伴い定員数は増えている。今では定員割れする大学も多く、「大学全入時代」とも呼ばれる。「大学も必死です。これからは予備校同士ではなく、大学との生徒の奪い合いになると思います」

予備校冬の時代の中、村上さんは昨年、高松市観光町にある8階建てのビルを買って新校舎にした。ここ数年で寮の新築や改修も進めている。「理事会では大反発を食らいました。生徒が減っていく中、なぜ寮を建てる必要があるのかと」。しかし、必死で理事らを説得した。「大事に育てて志望校へ合格させれば生徒は集まってくる。子供が減っていく時代だからこそ、きちんと育てられる環境を整えなければならないんです」

現在、高松市内にある8つの寮は全て満杯だ。

世の中に失敗は無い

京都で生まれ、大学を卒業後、様々な職業を経験した。電気店やスナックの経営、仙台では八百屋もやった。40歳の時、高予備を経営していた義父から、「3年だけ手伝ってくれ」と頼まれ、それからあっという間に40年が過ぎた。「最初は、引き受けたからには学校をつぶすわけにはいかないという気持ちでやっていましたが、今考えたら天職だったと思います。うまいこと最後に当たりましたね」

子供達が育っていくのを見るのが何よりも楽しいと話す。校舎の移転も寮を建てたのも、決め手は「生徒のためになるかどうか」だった。2002年には、受験の時期に寮でインフルエンザが流行ってはいけないと診療所を作った。12年には、不登校児や高校中退者の受け皿にと丸亀市に通信制の高校を作った。「通信制と言えば週に1回学校に行けば単位がもらえますが、それでは人は育たない。うちは朝8時半から午後3時半まで、週5回やっています」。茶道や合気道を授業に取り入れたユニークな学校だ。「今はまだ赤字ですが、少しずつ軌道に乗りかけています」

寮生活になじめない生徒がいると、「うちへ来い」と自宅へ連れて帰り、寮と同じメニューで受験まで面倒を見た。村上さんの次男で高予備副理事長の太さん(43)は、「いつも家には生徒が何人かいて、家族だけで暮らした記憶はない。父は生徒のことばかり考えていましたね」としみじみと語る。

毎年、大学受験や高校生活に失敗した子供達が集まってくる。しかし、村上さんは強い口調で語る。「私は世の中に失敗というのは無いと思う。合格出来なかったのは、テレビを見過ぎたからとか、ゲームをやり過ぎたからとか、何かが足りなかっただけ。それが分かっただけでも大成功です」

学校や寮では勉強だけでなく、あいさつや礼儀など生活態度も厳しく指導する。志望校へ進ませるだけではダメだ。社会に役立つ人間に育てなければならない。それが村上さんの信念だ。「うちの卒業生が入った会社の人が褒めてくれることがあるんです。『高予備を出た子はしっかりしてて良いわ』と。そう言ってもらえるのはうれしいですね」

今月で81歳になった。だが、まだまだ子供達を思う情熱は薄れていない。「私は経営者ではなく教育者だと思います。子供達は何よりも大事な資源。切り捨てられるとなかなか復帰出来ない世知辛い世の中ですが、これからも子供達の力になっていきたいと思います」

村上 良一 | むらかみ りょういち

1935年 京都府生まれ
    立命館大学法学部を卒業後、電気店、飲食店経営などを経て
1976年 高松高等予備校の経営に参加
    情報センター長、事務長を経て
1991年 理事長就任
写真
村上 良一 | むらかみ りょういち

学校法人 高松高等予備校

住所
高松市観光町547−1
TEL:087-834-1015
FAX:087-863-3088
開校
1962年
直営寮
楠上、上福岡、木太、春日、屋島
多肥、仏生山、福岡
沿革
1962年 大学受験校 高松予備校として開校
各種学校として設置認可
1973年 学校法人認可
高松高等予備校に名称変更
2002年 付属診療所なりあい医院 開院
2004年 亀井町教室 開校
2005年 各種学校から専修学校に変更
2012年 丸亀市幸町に通学型通信制高校
村上学園高等学校を開校
2015年 高松高等予備校本校を観光町へ移転
確認日
2018.01.04

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