校長の十川聖三さん(73)が歩んできたのは、学びと教育の人生だ。専門学校を卒業後、臨床検査技師として長く医療現場で勤務していたが、「若者が学べる場をつくらなければならない」と全国的にも珍しい、検査技師を育てる医療大学の設立に奔走した。自身も50歳を過ぎてから経営管理学の学位を取得し、県美容学校では、美容以外のことも学べるユニークなカリキュラムが評判を呼んでいる。
「知識と教養を身につければ、人はもっと成長できる」。技術者から教育者へと身を転じた十川さんは、若者たちに学ぶことの意義を説き、美容師という夢の実現を強力にバックアップする。
技術を磨くだけではない
高校卒業後に入学してくる学生の定員は1学年80人。9割以上が県内出身者で、2年かけて美容師になるためのスキルを学ぶ。
授業は実習に多くの時間を割いているが、外国語、情報処理、社会福祉など、美容には関係がないと思われるような講義も必須科目として盛り込んでいる。他校ではあまり見られない独自のカリキュラムで、香川大学や高松大学から、経営学や組織学の専門家を講師に招くこともある。
「業界からは『スキルが高い美容師を養成してくれたらいい』と言われますが、それが我が校の使命だとすれば小さ過ぎます。ここは技術を磨くだけの学校ではありません」
美容師に必要なのは、顧客が求めるニーズをくみ取る力と、自らが考えて提供するおもてなしだと話す。「それを支えるのが知識と教養です。専門分野以外を学ぶことで、専門性をより高められるというのが私の信条です」
学生たちは実習には積極的だが、「座学になると寝てしまう子もいるんです」と十川さんは漏らす。しかし、「気持ちは分かります。私も勉強は嫌いでしたから」
机に向かうのが苦手な学生には、根気強く、学ぶことの大切さを訴える。時には恋愛話もしながら本音で語り合い、孫ほども年の離れた若者たちと正面から向き合うのが十川さんのやり方だ。
大学設立に奔走
検査技師として結核菌や赤痢菌など伝染性疾患のデータ解析を主に行っていたが、「当時の医療は、医師の腕さえ良ければいいという時代でした」。その後、30年余り務める中で医学は格段に進歩し、検査技師や看護師ら医師以外のスタッフにもレベルアップが求められるようになった。
「検査技師にも高度な教育が必要だ」。十川さんは、学ぶ環境を整備すべきだと訴え続けた。やがて検査技師を育てる県立大学設立の機運が高まり、十川さんが準備室の主幹になった。文科省への陳情、用地の調査、予算編成、教員の確保・・・・・・設立を目指し駆けずり回った。「検査技師の養成が専門の大学というのは、当時は全国にもありませんでした」
99年、検査技師や看護師ら医療従事者のエキスパートを育てる県立医療短期大学が牟礼町に開校、5年後には4年制の保健医療大学になった。「構想が持ち上がってから10年がかりでした。大学をつくるというのは並大抵ではありませんでしたね」
大学設立に携わったことで、教育の世界への関心が高まった。夢を抱く若者たちを教える側に立ちたいと思った。しかし教員の資格は持っていない。最低でも大学を卒業していなければならなかった。
「人生に忘れ物をしているようで、いつも心の底に引っ掛かっていました」。実は十川さんは、大学を出ていないことがずっとコンプレックスだった。専門学校卒と大学卒では、職場での昇進や昇給のスピードが全く違った。見下されていると感じることもあった。「長く勤めていた病院は特に学歴で判断されることが多かった。配給される白衣の枚数一つとっても待遇が違う。悔しい思いをいろいろと味わいました」
大学設立に奔走する傍ら、53歳の時に高松大学に入学した。経営管理学を専攻し、寝る間を惜しんで勉強した。「大学を卒業しただけでは教員資格は取れません。でも検査技師の実務経験があって、修士課程まで修了すれば教員になれる規定があった。結局6年間、大学に通いました」。人生、遠回りが面白い。挫折も糧になると十川さんは笑う。
大学院修了後、検査技師専門学校や県立高校の看護学科で教員を務めた。県職員を定年退職後、経営学を学んでいたことなどから県美容学校から声が掛かり、校長になった。「学生と接するのは楽しいです。先生、先生と、けっこう慕われていると思いますよ」。うれしそうに話す。
若者と一緒に歩んでいく
今後は県外から学生を呼び込む戦略を立てていかなければならないと話す。だが、美容師を取り巻く環境は極めて厳しいのが現状だ。低賃金、長時間労働、下積みが長いなどの理由から、美容師になって1年で半数近く、3年で7割、5年で9割近くが離職しているとする調査結果もあるという。「それが一番の悩みです。本人のやる気と努力も必要ですが、関係機関も一丸となって対策を講じなければなりません」
それでも美容は、限りないパワーと可能性を秘めていると強い口調で語る。
「老若男女を問わず、人は日々誰かと顔を合わせ、身なりや髪型を意識します。美しさは人を元気にする。暮らしに活力を与えられるのが美容師だと思うんです」
73歳にして、今も大きな夢を抱いている。「美容師やネイリストやエステティシャンを育てる大学をつくりたいんです」
美容師を養成する施設は全国に約300あるが、大学は1校もない。「全国で初めての大学をいつかつくりたい。その思いがふつふつと湧いてきているんです」。業界の中には、美容師にそこまで必要なのかという声もあるそうだ。「この業種ならこれくらいの教育でいいという安易な考えは私にはありません。知識や教養に裏付けられた技術は、美容師や業界の将来への大きな力になる。そう信じて、これからも若者と一緒に歩んでいこうと思っています」
編集長 篠原 正樹
十川 聖三 | そがわ せいぞう
- 1943年 高松市香川町東谷生まれ
1964年 県衛生検査技師養成所
(現県立保健医療大学)卒業
県職員に採用
津田病院、中央病院などで勤務
1996年 県立大学設置準備室 主幹
2000年 高松大学経営学部経営学科 卒業
飯山高校看護学科 講師
2001年 高松南高校看護学科 講師
2002年 高松大学大学院
経営学研究科修士課程 修了
2003年 県職員を定年退職
香川県美容学校 校長
(03~06年、13年~)
2007年 県立保健医療大学
医療経済学・経営管理学 講師
- 写真
専修学校 香川県美容学校
- 所在地
- 高松市松縄町1091番地3
TEL:087-867-3510/FAX:087-867-3559 - 開校
- 1960年
- 学科
- 衛生専門課程美容学科
美容通信学科 - 職種
- ヘアスタイリスト、エステティシャン
ビューティ・アドバイザー、ネイリスト
まつ毛エクステ 他 - 地図
- URL
- http://www.kenbi.or.jp/
- 確認日
- 2018.01.04
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