退職後の計画の一つとしてふと思いついた「三味線」の演奏。
音楽の楽しさを体感することに

ケーブルメディア四国 代表取締役社長 藤岡 良一さん

Interview

2009.11.05

この夏、四国電力池田支店長からグループ会社の一つであるケーブルメディア四国代表取締役に就任した藤岡良一さん。この8年ばかり、藤岡さんのオフタイムを彩ってきたものが、「三味線」である。

退職金の目減り対策?その真相は・・・

スポーツは得意だけれど、音楽への興味はどちらかといえばあまりなく、カラオケなどは「好きではない」と言う藤岡さんが、三味線を始めようと思い立ったいきさつには、かねてから胸に抱いていた「退職後はスペインを長期に旅してみたい、暮らしてみたい」という願いと大いに関係している。

発端は語学習得。「外国語には興味がありまして、ずいぶん前から英会話を勉強していたのですが、相性が悪いのか、上達しないんですよ。英語以外で、なにか僕に合った言語はないかなと探していたときに、出合ったのがスペイン語なんです」

母音が多い、ローマ字読みに近いなど、「スペイン語は僕にとってしゃべりやすく、聞き取りやすかったんですよ」。始めて18年、今では旅行会話なら心配はない。スペインへも何度か旅し、スペイン人の知り合いも多くなった。「しかし、実際に生活するとなると、どうしても退職金の切り崩しとなって経済的に不安。もしアルバイトするにしても、なにか特技があると糧にもつながるかなと考えまして」、思いついたのが三味線の演奏だった。

阿波踊り、長唄、民謡・・・。共通するのは三味線だ

三味線とひらめいた背景には、当時、藤岡さんが徳島支店勤務だったこともある。支店では、阿波踊りの「連」を持っていた。踊りに三味線は欠かせないこともあり、徳島では身近な楽器だ。職場の女性社員がついていたお師匠さんを紹介してもらい、三味線修業が始まる。師匠が教える三味線は長唄だった。歌舞伎の舞踊の伴奏音楽として発達した長唄三味線は、「難しかったですね。ギターも弾いたことがなかったですから、棹をおさえる指のポジションを覚えたり、バチさばきを会得したりなど、大変でしたね」。手首を回転させてバチをさばくが、力が入りすぎて、腱鞘炎にもなったこともあったとか。

努力は実を結び、発表会にも出演したころ、藤岡さんは徳島県内の池田支店に転勤になる。「池田町でも三味線の先生を紹介いただいたのですが、今度は民謡を中心にされている方だったんですよ」

長唄三味線がクラシック音楽と例えれば、民謡三味線は演歌や歌謡曲だろうか。「まるで180度違う感じ(笑)。長唄と違って伴奏だけでなく、自分でも弾きながら歌ったりもするんですよ。演奏する曲目も民謡だけに限らず、童謡や日本歌曲もあり、『荒城の月』や『大漁節』など、楽しかったですね」

スポーツも音楽も、自分自身を豊かにする

藤岡さんは池田支店時代、豆腐造りに凝ったこともある。「地域独特の岩豆腐に興味を持ったんです。これも特技になればいいなあと(笑)」。野球部で活躍した学生・社会人時代の腕も健在で、地域の体育協会の野球チームでプレーする。スペイン語の勉強も、早朝などに時間を作って継続中だ。興味あるものに出合えば、積極的にかかわり、長く持続させてきた。「この1年ばかりは、諸事情で三味線を休みましたが、そろそろ再開するつもりなんです」。スポーツも音楽も、自分の幅を広げ豊かにしてくれると藤岡さんは感じている。

粋な音色を醸し出す、日本の伝統楽器の三味線を、スペインの空の下で奏でる日はきっとくるに違いない。

藤岡 良一 | ふじおか りょういち

略歴
1949年11月 香川県生まれ
1972年 4月 四国電力入社
1977年 3月 高知分水建設所
1990年 4月 東京支社総務課長
2004年 6月 池田支店長
2009年 6月 転籍
      ケーブルメディア四国代表取締役社長就任
写真
藤岡 良一 | ふじおか りょういち

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