三代続く職人気質が「足ふみ・手打ち」を守る

さぬき麺業 代表取締役社長 香川 政明さん

Interview

2010.01.07

1970年、大阪万博でさぬきうどんが飛ぶように売れた。会場で働いた香川政明さん=さぬき麺業(株)代表取締役社長(62)=は、さぬきうどんの底力を肌で感じた。

「倒産寸前だったさぬき麺業は、万博を最後に廃業するはずでした。でも僕は、この万博で、さぬきうどんに自信をもったんです。それで高松の塩上町で小さな店を開業したんです」。セルフの先駆けだった。これが当たった。
家業から事業へ、事業から産業へ、うどん業界は飛躍した。観光資源にもなった。しかし、3代目、香川さんの職人気質は変わらない。祖父から父へ、父から子へ、「足ふみ・手打ち」の技を守り続ける。

「足ふみ禁止令」で破産寸前

現在の「さぬき麺業」は製麺組合のメンバーが資金を出し合って、1964年に立ち上げた。「足ふみ」が禁止になるというので、うどんの工場を作った。組合の専務理事だった香川さんの父、政義さんが専務を引き受けた。ところが足ふみは禁止されなかった。

製麺組合のメンバーでもある株主は小売店への販売に反対した。「さぬき麺業」は卸売がほとんど出来なくなり、大きな負債だけが残されることになった。

※(製麺組合)
香川県製麺事業協同組合高松支部

大阪万博でうどん職人に

「もうアカン。いまなら家の土地建物を売ったら、組合員に迷惑を掛けんですむ」。政義さんは廃業を決意した。その直後、東京のすし屋「京樽」から、万博に出す店でさぬき麺業の「さぬきうどん」を売りたいという話が舞い込んだ。職人の常駐が条件だった。

「会社には、職人を6カ月も万博へやる余裕はありませんでした。子どもの頃から手打ちの技を仕込まれたおやじに『行ってくれないか』と言われたんです」。決まっていた商社への就職をあきらめた。

お金が無いから「セルフ」で

汗だくの万博経験だったが、得た物は大きかった。さぬきうどんの味が万博の入場者に認知されたのだ。香川さんは高松に戻り、会社の株主から店舗を借りた。うどんの打ち台とカウンター、テーブルが一つ置けるだけの6坪ほどの店だった。

「だしはお客さんに自分でかけてもらいました。今で言うセルフの店です。なにしろ会社にお金の余裕がありませんでしたから」。セルフうどんの先駆けだった。

お盆や正月は、中央通りまでフェリー待ちの車が並ぶ時代だった。ジャンボフェリーの待合室のレストランに出店、市内にも店を増やしていった。「父が開発した土産用の半生うどんが飛ぶように売れて、少しずつ軌道に乗りました。大阪万博がなかったら、今の会社はありません」

「足ふみ・手打ち」の伝統を守る

工場の製造システムが進歩した。製麺機でおいしいうどんが作れるようになった。しかしさぬき麺業は、製造ラインに職人の「足ふみ・手打ち」の工程を頑固に残している。
「手のぬくもりや無理の無い力加減が、機械では出来ないうどんを作ります」。職人の感性がうどんの生地に伝わり、生地がそれに応えてくれるのだ。

同じように「伝統の製法を守り続けたい」という思いから、県産小麦を使って「半夏(はんげ)うどん」を復活させた。「伝統食文化」の発信だ。その一方で次世代の小麦を使って新しいうどんを開発したり、これまでにない食べ方、メニューを提案するなど、「新規技術」と「新しい食文化」を取り入れることにも熱心だ。

その理由を聞くと、「おやじを超える本物のさぬきうどんを打ちたいんです」。素っ気ないほどシンプルな答えが返ってきた。

※(半夏うどん)
麦刈り、田植えを終える、夏至から数えて11日目を「半夏」または「半夏生」という。農家では、新麦を使った「うどん」や「すし」、「団子」(米粉で作った半夏の禿だんご)などを味わい、豊作を祈っていた。現在は、半夏にあたる7月2日を「うどんの日」としている。

三代続く職人気質

1926年、「左利きの名人」といわれた祖父の菊次さんが、川岡村(現 高松市川部町)でうどん屋を始めた。父の政義さんも、子どもの頃から厳しく仕込まれ家業を継いだ。

「おやじも祖父に反抗して家出もしたようです」。その政義さんから、香川さんも反発しながら学んだ。

毎朝の仕込み…塩と水の配合や足ふみの時間などは、その日の温度、湿度などでまったく違う。しかし品質は、年中同じでなければならない…凄腕の職人は、幼いときからたたき込まれた技と感性が磨かれて育つ。お客さんに喜んでもらうことが、無上の喜びになる。

「家出こそしなかったけど、私もずいぶん反抗しました。灰皿は飛ぶ、ガラスは割れるで、半端な親子けんかではなかったから家族は大変でした。でも、事業も業界活動も、先代の敷いたレールを走っているだけかも…」。目が潤んでいるように見えた。

手打ちの味を広める

「手打ちうどん体験道場」は、その先代が始めた事業だ。「手打ちうどんを広めるのは、おやじの大切な遺言だと思っています」

郡部の小学校から子どもたちがバス3台で200人ずつ2日間訪れた。「転勤者が多い市内の小学校から、たくさん保護者が来られたこともあります。名古屋の高校は、修学旅行で10年前からの常連さまです」

県外から、グループや年配夫婦、若いカップルもやって来る。大阪から土曜日の昼に来て、日帰りする人までいる。「さぬきうどんブーム」を支える地道な努力だ。

「うどんは、うどん屋だけのものではありません。香川県人みんなのものだと肌で感じます」

口調こそ謙虚で穏やかだが、香川さんが確信しているのは、讃岐の地に祖先から受け継がれてきた「さぬきうどん」を、後世に守り伝えていくことの大切さなのだ。

寝ても覚めても「うどん一筋」

香川さんは、自社のテレビCMに出演している。ひたすらうどんを打っている姿だ。「取材を受けるのが苦手なんです。それでも回数をこなしているうちに、『もたもた振り』が良い方に受け取られたようでね」。今では大学で講演するまでになった。しかし、人前で緊張しがちなところや、控えめな言動が変わったわけではない。

「頼まれると嫌とは言わないおやじは、業界や県や市の関係者に信頼されました。世間はそんなおやじのイメージを僕にダブらせますが、僕は違います。こつこつ仕事をするのは好きですが、みんなの先頭を走る器ではありません。おやじは金策に苦しんだ分だけ人生に何かを見つけましたが、そんな経験のない僕は、しょせん、おやじにかないません」

今、香川さんを支えているのは共働きの妻、英子さん(57)だ。「女房は総務担当です。僕は囲碁のほかに趣味はないし…。結局、親子三代続いて、うどん職人。だから、寝ても覚めてもうどん一筋なんです」。実直な顔一面に笑顔が浮かんだ。

手打ちうどん体験道場

高松市松並町933-1「さぬき麺業」で。2~3人から団体まで、毎日午前と午後の2回開催(土日祝は午前のみ)。1時間半程度で体験と試食。費用は大人1050円、小学生は840円。3日前から予約受付け(087-867-7893)。工場見学もできる。

香川 政明 | かがわ まさあき

略歴
1947年 高松市生まれ
1970年 神奈川大学経済学部 卒業
さぬき麺業(株)入社
1989年 さぬき麺業(株)専務取締役就任
1993年    〃   代表取締役社長就任
現在に至る

(公職)

日本手打麺同好会       会長
高松観光協会         理事
高松職業安定協会       理事
高松食品衛生協会       常務理事
全国麺類業厚生年金基金    代議員
さぬきうどん研究会      副会長
香川県食品産業協議会     副会長
香川県物産協会        副会長
高松商工会議所        1号議員
さぬきうどん協同組合     顧問
さぬきうどん振興協議会    会長代行

さぬき麺業株式会社

住所
香川県高松市松並町933-1
代表電話番号
087-867-7893
設立
1964年
社員数
116人
事業内容
麺類製造卸、さぬきうどんお土産卸、小売、手打うどん店直営
資本金
3060万円
地図
URL
http://www.sanukiudon.co.jp
確認日
2010.01.07

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