
後継ぎとして迎えられた入り婿は家業を嫌ったが、義母と家付き娘が切り盛りするみやげ物屋は繁盛した。1億円の赤字で、やっと中野屋社長の中野吉貫さん(64)は、本業に身を入れた。
観光客にうどんを打たせる「中野うどん学校」を開設、従業員の反対を押して自ら講師を務めた。うどん業界の批判も受けたが、「見る」から「体験する」への観光需要の変化に応えた、新しい市場を開拓した。
1914年、本屋として創業。義母が旅館の軒先を借りて、3坪ほどのみやげ物屋を始めた中野屋は、もうすぐ創業100年だ。
今年のこんぴら初もうで参拝者は33万人。中野屋にその約1割、3万人が訪れた。
大きくするとつぶれる!
義父は石橋をたたく性格だ。家業を継いで40年、中野さんの資金借り入れに一度も保証のハンコを押さなかった。そのかわり、一切口も挟まなかった。それが2人の暗黙の約束だった。
太っ腹で働き者の義母・信子さん(83)は、優しくてよく面倒を見てくれた。二日酔いで朝遅く店に出ても、嫌な顔をしなかった。
家業を見くびった

「商品はちゃちで単価は500円ほど。仕事といえば客引きです。誰もネクタイをしめていないことにあきれました」
金の管理もルーズで、店にレジもない。主人は空き缶やかごに入れた売上金を握って、遊びに行くのもあたり前だった。
「観光バスの添乗員さんや旅館の番頭さん、タクシーの運転手さんに、リベートを出さないと商売が出来ませんでした」。領収書のない金が動く業界だった。
みやげ物屋は、観光事業の下請け、孫請けだと思った。「こんな商売で一生暮らさないかんのか」と情けなかった。
工芸品の店も失敗
それでも懲りなかった。「ちゃんとした四国4県の工芸品を売りたいと思ったんです。讃岐の漆器、愛媛の砥部焼き、高知のサンゴ、徳島の大谷焼きを集めた店を、栗林公園の前に出しました」
義父がハンコを押さない中野屋の養子を、銀行は相手にしてくれなかった。「義母が心配して、出里から300万ぐらい都合をつけてくれました」
毎朝、栗林公園を散歩していた当時の金子正則知事に褒められた。
「デザイン知事と呼ばれた金子さんは、景観にマッチした店だと喜んでくれましたが、全然もうからないんです」。1978年に店を出して、毎年赤字が続いた。
目覚めた!
「いつ私が目覚めるか、家族は我慢をしてくれていたんです」。ようやく決心して、琴平の店と同じみやげ品に切り替えた。
2年後の1985年、大鳴門橋が開通した。予期しない売り上げで一気に損害を取り返した。中野さんは、みやげ物商売の面白さを初めて知った。
瀬戸大橋バブル
従業員は30人から120人になった。会社が4倍になって、世間の見方が変わった。「都市銀行から融資付きのマンションや土地購入の話が来て、物件を見ずに買いました」。借金も10億を超えた。バブルだった。2年後、売り上げは12億から8億まで落ちた。
中野さんは、1枚の古ぼけた紙を大事そうに書棚に保管している。「大和ハウスの設計用紙です。40年前、中野屋へ来た時からの売り上げを、折れ線グラフにしています」。大鳴門橋、瀬戸大橋、阪神大震災、明石海峡大橋と大きな節目ごとに売り上げが乱高下している=写真下。
踊るうどん学校
「多い時には2千人以上の予約客です。準備に何時間もかかるから、打ち立てのおいしいうどんが出せなかったんです」
手打ちうどんは湯がきたてが一番おいしい。自分で打ったうどんを、湯がいて食べる「うどん打ち体験」を思いついた。
「素人だからできたんです。うどん作りの本を読んで、私が教え始めたんです」
1981年から、受講者は毎年1万人ほどだった。瀬戸大橋開通ブームの時も大きな変化はなかった。
「お客さんは、うどん屋になるためではなく、遊びに来ている。せいぜい300円のうどんを、1500円も払わせて自分で打たせるとは・・・」。当時はうどん業界と旅行会社から非難された。
20年後、そのうどん学校の評価を変えたのが、〝まっちゃん先生〟こと松永澄子さん(55)だった。「足踏みを5分もしたら退屈します。それで歌と踊りでリズムをつけたら、楽しいんで喜ばれました」
受講者は10倍の年間10万人に跳ね上がった。中野屋で昼食をとる70%が、うどん打ちを体験するようになった。見る観光から体験する観光へ変わったのだ。時代の変化に中野さんも驚いている。
「よそ者」が新しい酒を注ぐ
中野さんには3人の息子がいるが、後継ぎは娘夫婦と決めている。「家付き娘が店を継いで、婿がよそ者の目で経営する方が、古い街の良さと課題がよく見えて、活性化のアイデアも出る」と言う。
「間借りの3坪から始まったみやげ物屋が、7軒のお店を構えるようになりました。金刀比羅宮のお蔭です」
琴平に来て40年。中野さんは、古い器に新しい酒を入れる役を果たしたのだ。
浦島太郎の義父へ
「借金の大嫌いな義父を心配させたらいけませんから、何も言ってないんです」。毎日店に来る義母の信子さんも、話さないという。35年前、中野さんのために里から300万を借りたことも、義父に内緒だった。
「最近、店のうわさが義父の耳に入って、一度琴平へ帰ってみたいと言います。この春、暖かくなったら来てもらいます」
自分が生まれた小さな家が、参道に店を何軒も軒を並べる中野屋になっている。「浦島太郎みたいにびっくりする浩三さんに、『もうすぐ借金がなくなりますから安心してください』と、感謝したいんです」。中野さんは、しんみり語った。
中野 吉貫 | なかの よしつら
- 1947年 引田町(現 東かがわ市)生まれ
1970年 名城大学理工学部建築学科 卒業
大和ハウス工業 入社
1972年 同社 退社
株式会社中野屋 入社
1994年 代表取締役就任
現在に至る
- 公職
- 香川県倫理法人会会長
琴平町観光協会副会長
琴平町商工会副会長
丸亀法人会副会長
香川県飲食業組合琴平支部長
琴平町駐車場組合長
- 写真
中野屋 中野うどん学校
- 所在地
- 仲多度郡琴平町796
TEL:0877-75-0001/FAX:0877-75-1155 - 創業
- 1914年
- 設立
- 1962年
- 代表者
- 代表取締役社長 中野吉貫
- 資本金
- 2000万円
- 売上高
- 7億5000万円(2011年3月期)
- 従業員数
- 83人
- 事業内容
- 土産品販売業、飲食業、通信販売業など県内9店舗経営
- URL
- http://www.nakanoya.net/
- 確認日
- 2018.01.04
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