
ひよこと卵の生産販売事業を継いでほしいと請われて、新延孵化場(にいのべふかじょう)3代目社長新延修さん(66)は香川県庁を辞め、入り婿になった。
当時の四国のひよこ業界は、50社以上が競り合っていた。「研究熱心な篤農家は多いが、経営者はいない」と思った。四国ナンバーワンの孵化場にすると宣言した。設備投資を最適化して西日本屈指の養鶏企業へ成長させた。
農家の延長ではない

▲ひよこの雌雄は羽の伸び方の違いを見分けて素早く判定
1935年、妻みち代さんの祖父新延嘉吉(かきち)が雌鶏と雄鶏を飼育して産ませた受精卵を下駄箱のような孵卵器(ふらんき)で孵(かえ)してひよこ屋を始めた。
2代目社長、義父の新延正葭(まさよし)の代に、産卵数が多い遺伝子を持つ種鶏、アメリカ産ハイライン鶏の販売代理店になり、四国で初めて10万個の卵を孵す設備を導入した。
70年、事業の拡大を始めた先代に請われて、23歳で婿養子になったとき、養鶏業界はまだ農家の仕事の延長だった。ひよこや卵に生産効率や市場原理を持ち込んだ。
地の利なくなり
瀬戸大橋が架かるまでは地の利があった。卵の出荷先は京阪神だ。香川は高知や愛媛より京阪神に近いし、土地代が高い山陽側の広島や岡山、山陰側の島根や鳥取のライバルと競争しても、船便の運送費が安くて有利だった。
エサは工場渡しの値段で、農場までの運賃は買い手の負担だ。エサは海外から船で入るから飼料工場は港の近くにある。当時は香川県に飼料工場が多かった。
瀬戸大橋が出来てほとんど倉敷市水島地区に移った。橋の通行料はトン当たり750円かかる。エサの運賃は年間数千万円。10年だと億単位になる。地の利はなくなった。
生産量と需要うまくバランス
ハイライン鶏の品種改良ははかどらず、他社が販売権利を持つカナダ産シェーバー鶏が登場して、ひよこの売れ行きが落ちてきた。
ハイライン鶏の復活は20年あまりかかった。『嘆くな。頭脳は無限』を支えに、人を減らし最新設備を導入して、卵の生産効率を高めて、ひよこ部門の不振を補った。
「仮に機械化で2人分の人件費、600万円が削減できると、それで鶏舎が1棟建ちます。さらに2人減らすともう1棟建てられます」。温度コントロールも給餌も衛生管理もオートメーション化して、1人で1000羽管理していたのを5万羽にした。
86年、ドイツ製オートマチック直立4段ゲージを導入した。91年に土の上で飼う鶏の卵「希(きぼう)」を、92年に炭をまぜた餌を与えて産ませた「ネッカひまわり卵」の生産を始めて、ブランド卵が年間の卵販売数2億個の15%を占めている。
99年、年間450万羽生まれてくる雌雛を細菌や鶏インフルエンザから守るため、本社孵卵工場に最新の殺菌装置、オゾン開閉システムを導入した。08年、鶏糞ペレットマシンを導入、悩みのタネだった鶏糞の大半を肥料にして販売、韓国に輸出し始めた。
畜産業の中で最も機械化が進んでいる養鶏は、装置産業的な側面がある。投資総額20億円に達した設備と生産量と市場の需要が最適にバランスした。
し烈きわめる生き残り

▲空から見た新延孵化場(航空写真は同社提供)=いずれも三豊市三野町吉津甲で
▲コンピューターで適切に管理された孵卵装置
◆写真撮影 フォトグラファー 太田 亮
「予期せぬことは人生の常」……泣き言は一切言わなかった。ひよこ業者の大半は連鎖倒産したが、養鶏場を1カ所売って切り抜けた。
70年代後半は、急成長した冷凍食品会社や地元の縫製工場との求人競争に負けた。人手不足は設備導入のきっかけになった。外国人の研修生も受け入れた。
いまタイ、カンボジア、中国から来ている研修生は8人。1人息子の長男修一さんが、現地に出向いて面接して採用した。
49歳で3代目社長を継いで17年。やがて4代目になる修一さんは26歳。「まだまだ見習中です。厳しい業界ですから、学んだ知識や経験の熟成時間がたっぷり必要です」
ひよこ業界は淘汰(とうた)が進み、四国で1社、全国で20社になった。卵の生産業者は約2900社あるが、毎年1割ずつ減り続け、生き残り競争はし烈をきわめる。
新延 修 | にいのべ おさむ
- 1947年 三豊市豊中町(旧・三豊郡豊中町)生まれ
1969年 香川大学教育学部卒業
香川県庁に入る(教育委員会勤務)
1970年 新延孵化場に入社
1996年 代表取締役社長 就任
- 写真
有限会社 新延孵化場
- 所在地
- 三豊市三野町吉津甲984
TEL:0875-72-5141
FAX:0875-73-4471 - 代表者
- 新延 修
- 創業
- 1930年
- 資本金
- 5000万円
- 年商
- 28億円(2012年5月期)
- 従業員
- 76人
- 沿革
- 1930年 新延嘉吉、下駄箱式孵卵器により創業
1949年 有限会社新延孵化場を設立
初代取締役 新延嘉吉
1958年 新延正葭が代表取締役に就任
1969年 四国地区で初めて10万卵孵卵器を導入
本社社屋完成
1998年 リバーサイド育成場が完成し、育成能力220万羽に
1999年 最新の空調システムと殺菌装置を備えた貯卵室が完成
2000年 世界初の2階建て種鶏舎が神田種鶏場に完成
2003年 神田第2農場に成鶏農場が完成
2008年 二宮育成場に鶏糞ペレットマシン導入
- 確認日
- 2018.01.04
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