讃岐と奈良の「縁」

日本銀行高松支店長 正木 一博

column

2019.07.04

奈良県ゆかりの有志で寄贈したお遍路道の石柱

奈良県ゆかりの有志で寄贈したお遍路道の石柱

私は大阪で生まれ育ったが、亡父は奈良県の出身であり、幼い頃はよく奈良の祖父母の家に遊びに行ったものである。また、私自身、東大寺が運営する中学・高校で学んだ。当時は、寺の境内に学校があり、緑豊かな若草山の麓で多感な青春時代を過ごした。こうした縁から、奈良や東大寺には、いまでも格別の思い入れがある。

奈良時代の僧侶・行基は、数々の社会事業を通じて民衆に広く慕われ、東大寺の大仏の建立にも尽力した高僧として名高い。近鉄奈良駅前の「行基像」は、待ち合わせ場所の定番である。私も毎日、行基像を見ながら通学していたのだが、その行基が讃岐の地でも活躍していたことは、恥ずかしながら、高松に転勤するまで全く知らなかった。地元の方はよくご存じの通り、行基は、長尾寺や大窪寺をはじめ様々な寺を創建したほか、塩江温泉を開くなど、多くの足跡を残している。また、改めて歴史を紐解いてみると、行基に限らず、古くから栄えた讃岐と奈良の間には、驚くほど多くの人々の往来がある。例えば、「令和」で改めて注目の万葉集を代表する歌人、柿本人麻呂は、讃岐でいくつかの歌を詠じている。沙弥島で詠んだと伝えられる「玉藻よし讃岐の国は」で始まる長歌は、特に有名である。

こうした先人達にあやかってという訳でもないが、先日、奈良に縁のある香川県在住の有志十数名で、お遍路道の石柱を寄贈した。縁あってお世話になっている香川に対するささやかなお礼の気持ちである。石柱は、三豊市の本山寺(70番札所)と弥谷寺(71番札所、この寺も行基による建立とのこと!)の間に設置された。大変有難いことに、若いご夫婦が最近始められたモダンな遍路宿の脇の土地をご提供頂いた。七宝山を臨むのどかな遍路道に立つと、讃岐と奈良の悠久の歴史ロマンを感じずにはいられない。

サラリーマンは、勤務地を自分で選ぶことはできないが、人生には、行く先々で不思議な縁がある。香川には、特に地縁・血縁はなかったのだが、この地で多くの魅力的な人々と出会い、素晴らしい時間を過ごすことが出来るのも、もしかしたら、行基菩薩のお導きなのかもしれない。

日本銀行高松支店長 正木 一博

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