目指すは「地域医療」戦略は「先進医療」 三豊総合病院の経営力

三豊総合病院 企業長 広畑 衛さん

Interview

2014.01.03

「医師は最新の医療に携われることにやりがいを持ちます。意欲的な医師がいる病院は患者や職員の満足度も高くなります」。医療の世界も市場原理にさらされる。最新の医療機器と人材を確保できる経営力が無いと競争に負ける。

三豊地域の医療連携の中核を担う三豊総合病院は、かかりつけ医では難しい専門的な検査や、他の医療機関では提供が困難な出産前後の医療、がん患者の苦痛を和らげる緩和ケア等が受けられる病院だ。介護が必要な高齢者も自宅や地域で暮らせるように、「医療・保健・福祉・介護(ケア)」のサービスを備え、地域医療から高度先端医療まで提供する。

昨年9月、総工費100億円の新棟整備事業が完成した。経営母体の観音寺市と三豊市や議会の承認を取り付け、陣頭指揮を執った経営責任者の企業長・広畑衛さん(71)が目指したのは、高齢化が進む日本のモデルケースになる医療システムだ。

医者の意欲で患者満足度を上げる

がんで咽頭の切除手術、 会話はのどの震えを読み取る電気咽頭で

がんで咽頭の切除手術、
会話はのどの震えを読み取る電気咽頭で

田舎の病院は医療従事者不足に悩んでいる。「若い医師には地方都市や中山間地、離島の医療の面白さが分からないのです。医者のやるべきことは、都会ではない地方の病院にも数多くあります」

1998年、病院長に就任。経営責任者になって第一に考えたことは収益だった。「医者らしくない言葉ですが、患者さんの満足度を上げる経営のことです」

最先端の医療機器と人材に経費をかけたら、まだ予算が付かないのに、新しい医療技術の取り組みを始める医者も出てきた。「何とかしてあげないとあの先生の身体が持たない」。医師や周りの職員の熱意に応えて、経費や人員を追加した。

医者が寝食を忘れて診療に取り組むと職場は活気づく。職員たちは忙しくても不満は言わない。患者も増えて、病院はますます人や新しい医療機器を増やせる勢いになった。

「最新医療のため」 定期的に病棟を建て替え

「1968年、ここに勤務して以来、10年から15年間隔で病棟を建て直しています。私が設計にかかわった昭和時代の東病棟や西病棟は、すでに新病棟に変わりました」

三豊総合病院の歴史は、古い病棟の改築と新病棟の建築の歴史でもあった。

今年3月に開院する新しい香川県立中央病院は、1968年に建て直されている。「次の建て替えはおそらく40年ほど先でしょう。その間、医療はどれだけ変わるでしょうか」

病院を一度に建て直すのではなく、技術や機器の進歩に対応するために、計画的に病棟を改築する。いつの時代も、医療の最先端を行くための三豊総合病院の戦略だ。

財務運用のおかげ

戦略を具体化できたのは、国の補助金を活用した財務運用だ。新棟整備事業には、県の補助金に加え、工事開始直前に2012年度の補正予算に組まれた地域医療再生基金も交付された。

「借入金返済や元の建物を廃棄した除却損等の会計処理で、どこの病院でも改築して10年目ぐらいまでは赤字になりますが、当院ではその心配は少なくなりました」

三豊総合病院は赤字が昭和50年代に2年ほどあったきりだ。財政に余裕があるから、医療機器や人件費に予算を回せる。

5年で機器更新

医療機器整備には、国が定めた「4疾病」のがん・脳卒中・心筋梗塞・糖尿病と、「5事業」の救急医療・災害医療・へき地医療・周産期医療・小児医療を推進することで交付される、国庫や県費などの補助金を活用している。

高額医療機器のCTやMRIなどの値段は2億円から3億円する。補助金は自己資金が無いと受けられないため、単年度の収支が重要となる。

また購入した機器の減価償却が大きな負担になって、大抵の病院では次の買い替えが7年から10年後になる。

「我々の病院は、5年で減価償却を終えます」。三豊総合病院は、他の病院の2倍の速さで、CT、MRI、血管造影装置、心臓超音波装置、PETやSPECTなどを更新できるため、常に時代の先端を行くことになる。

周産期
出産前後のこと。

【CT】
放射線を用いて体内を走査し、コンピューター処理して断層撮影を画像化する装置。
【MRI】
放射線の替わりに、超伝導磁石を用いて磁場を発生させ、体内を断層撮影する装置。
【PET・SPECT】
身体から放出される放射線を検出することで画像化して診断する核医学診断装置。
PETは、他の画像診断では見つからない小さながんの発見が可能。
SPECTは、脳血管障害や心疾患の診断で威力を発揮する。

高齢化社会を支える地域包括ケアシステム

しかし最先端の医療機関になることは、目的ではない。高齢で認知症や慢性疾患を抱えても、住み慣れた地域で暮らせる仕組みづくりのための戦略だ。

1959年に国民健康保険が全面実施され、国民皆保険が実現したが、「保険あって医療なし」といわれ、小さな町や離島に多くの国民健康保険財源の国保病院が設立された。

三豊総合病院もその一つだ。福祉と保健と医療と介護までを一体化した「地域包括医療・ケアシステムの構築と実行」を理念とする病院だ。

緩和ケアを先駆けて導入

麻薬患者届を保健所に出さないと、モルヒネ系の鎮痛剤が自由に使えない時代、骨肉腫の痛みに苦しむ女子高校生の患者に塩酸モルヒネを使用した。

「その鎮痛効果に驚愕しました。それがきっかけになって、患者の苦痛をとるのに何が一番いいのかという考えが基本になりました」

いまは病院の評価の一つになるほど、モルヒネが使われるようになった。2000年に南病棟を建て替えたとき、四国の公立病院では初めて、がん患者の体と心の痛みを和らげる緩和ケア病棟を設けた。

患者として病に向き合う

昨年9月、新棟整備事業で新しくなった総合受付

昨年9月、新棟整備事業で新しくなった総合受付

広畑さんは、がんで喉頭の切除手術をした。電気喉頭の電子音で聞き取りにくいが、会話に支障はない。

医学生のときに肺結核にかかり手術をして入院生活を送った。同じ病棟で亡くなる人もいた。1年後退院して復学したら、「お前は変わった」と同級生に言われた。

今年3月で企業長の任期が終わる。「余生は、ここの外来診療や老人保健施設・わたつみ苑の回診をさせてもらおうと思っています」

患者として医者として病に向き合う広畑さんの引退はまだ先だ。

◆写真撮影 フォトグラファー 太田 亮

広畑 衛 | ひろはた まもる

1941年 倉敷市生まれ
1967年 岡山大学医学部卒業
    岡山、広島などの病院勤務を経て、86年に三豊総合病院内科部長。
    98年に同病院院長。2010年から同病院企業長。専門は腎臓内科
写真
広畑 衛 | ひろはた まもる

三豊総合病院企業団

所在地
観音寺市豊浜町姫浜708番地
TEL:0875-52-3366(代表)
FAX:0875-52-4936
開院
1951年
管理者
企業長 広畑 衛
病院長
白川 和豊
収益
123億8380万1000円(2013年10月期)
純利益
7億7728万5000円(2013年10月期)
【病院の規模等 2013年10月1日現在】
病床
482床
診療科目
27科
職員数
862人(医師89人を含む)他に非常勤医師61人
沿革
1951年 三豊第一病院として開設(7町村の組合立病院)
1959年 認可を受け「総合病院 三豊第一病院」となる
1963年 「三豊総合病院」に改称
1986年 へき地中核病院指定
1994年 健康福祉総合施設「すこやか」併設
1996年 介護老人保健施設「わたつみ苑」開設(豊浜町)
2005年 災害派遣医療チーム(DMAT)体制整備
2006年 観音寺市・三豊市の2市組合立病院
2010年 地方公営企業法全部適用、三豊総合病院組合から「三豊総合病院企業団」に改称
2012年 地域救命救急センター開設
確認日
2018.01.04

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