“古い殻”を破り 生きる力を応援

高松市立みんなの病院 院長 和田 大助さん

Interview

2019.07.18

高松市仏生山町の高松市立みんなの病院

高松市仏生山町の高松市立みんなの病院

「救急」「災害時」に強く

災害派遣医療チーム「DMAT」 (Disaster Medical Assistance  Teamの頭文字から)の訓練の様子

災害派遣医療チーム「DMAT」
(Disaster Medical Assistance
Teamの頭文字から)の訓練の様子

昨年9月、高松市民病院が「高松市立みんなの病院」に生まれ変わった。地上6階建ての305床で25の診療科を持つ。市民病院時代から引き続き院長を務める和田大助さん(65)は「患者さんの生きる力を応援したい」と新病院の舵取りに意気込む。

「がん医療」「救急医療」「災害時や感染症に対する医療」「地域包括ケアなどの後方支援機能の強化」の4本柱を和田さんは掲げる。全身のがんを発見できるPET-CTなど最新の医療機器を導入した他、救急科と救急病棟を新設、救急患者の受け入れ態勢を充実させた。「平日の日中の患者受け入れは100%を、夜間などを合わせても8割以上は受け入れていく方針です」

さらに災害時に備え、医師、看護師、薬剤師ら5人でつくる災害派遣医療チーム「DMAT(ディーマット)」を編成した。「トレーニングを繰り返し1年がかりでチームを養成しました。四国は南海トラフ地震で津波が来る恐れがあるが、四国4県で空港が海沿いにないのは高松だけ。空港に近いこの病院が、災害時に四国の拠点にならないといけません」

仏生山町に移った新病院には、高松市南部のまちづくりの拠点としての期待も寄せられる。周辺には既に分譲マンションが建ち、高松市は2021年度のオープンを目指し、住民の集いの場「地域交流センター」を整備する予定だ。「ここは高松の“へそ”の位置にあり、ことでん仏生山駅からも徒歩1分程。地域のにぎわいづくりにも、できる限り貢献したいと思っています」

開院後、新病院1階のホールでコンサートを開いたり、待合ロビーで現代サーカス公演を行ったりした。患者さんだけでなく、地域の人たちもたくさん集まってくれたと和田さんは目を細める。

高松で見た“違う景色”

患者に寄り添い 地域に溶け込んだ病院に

患者に寄り添い 地域に溶け込んだ病院に

生まれは徳島市。小学生の頃、脳神経外科の青年医師を描いたアメリカの大人気ドラマ「ベン・ケーシー」を見て、外科医に淡い憧れを抱いた。

1980年に徳島大学医学部を卒業後、徳島市民病院や徳島大学付属病院で、消化器、肝胆膵専門の外科医としてキャリアを積んだ。印象深い症例を尋ねると、「手術がうまくいき、患者さんや家族から感謝される喜びは、もちろん何物にも代え難い。でも思い出すのは、治せなかった病気や救えなかった命のこと。決して、子ども心に思い描いた華やかでかっこいい世界なんかじゃありません」としみじみと話す。

オファーは突然だった。徳島市民病院で外科部長を務めていた2011年、高松市民病院を設置する高松市から声が掛かった。「病院を新しくするので、院長として力を貸してほしい」。新病院建設の構想が持ち上がった直後のこと。和田さんは「すぐ断った」と打ち明ける。「勤めていた徳島市民病院は実家から歩いて5分くらい。子どもの頃からとても身近な病院で、そのまま骨を埋めるつもりだったんです」

だが、親友に相談したところ、「担がれた神輿には乗った方がいい」と背中を押された。悩みに悩んだ末、「自分を必要としてくれているのなら、行くべきなんじゃないのか」。家族を徳島に残し、単身、高松行きを決めた。

「徳島では見ることのなかった全然違う景色を見ることができた。高松に来てよかったと思っています」。和田さんは、当時の決断を懐かしそうに振り返る。

患者さんは家族

院内のホールで開いた開院記念コンサート

院内のホールで開いた開院記念コンサート

『みんなの病院』。この名前に込めた和田さんの思いは強い。

市民から公募し集まった300以上の中から選んだ。「『瀬戸の都』、『仏生山』、ひらがなで『たかまつ』など様々な案があったが、親しみやすさと、“古い殻”を打ち破りたいという思いで選びました。全国の病院を調べましたが、『みんなの病院』という名前はなかったのでほっとしました」

宮脇町にあった前身の高松市民病院。築50年以上の老朽化に加え、交通の便がよくない坂の上に位置していた。医師不足もあり、外来や入院患者数が低迷。赤字体質からの脱却が長年の課題だった。「一人の医師に荷重が掛かり、忙しくなり辞めていく。医師が減ることで患者も減るという負のスパイラルに陥っていました」

医師を確保し育てるため、出身の徳島大医学部との連携を強化した他、沖縄の病院と臨床研修の協力関係を結ぶなど魅力的な研修プログラムづくりにも力を注ぐ。「一時は37人にまで減っていたが、今は54人。全診療科をカバーできるまで何とか医師を確保しました」

市民病院時代は5割を切ることもあった病床利用率は、新病院に移って以降、8割以上で推移している。和田さんは「公立病院とはいえ、経営の基盤なくして良質な医療は届けられない」と口調を強める。経営を安定させるには、患者に来てもらわなければならない。来てもらうには、患者に信頼されなければならない。

「患者さんを家族や友人だと思いなさい」。医師や看護師、職員らに繰り返し、こう呼びかける。「そうすれば、どんな治療をすればいいか、すぐ分かるはずです」。患者に寄り添い、信頼してもらい、地域に溶け込んでいく。それが和田さんの目指す“みんなの”病院だ。

篠原 正樹

和田 大助|わだ だいすけ

略歴
1953年 徳島市生まれ
1972年 徳島県立城南高校 卒業
1980年 徳島大学医学部 卒業
     徳島大学第一外科 入局
徳島市民病院、高知県佐川町立高北病院、徳島大学付属病院などを経て
1996年 徳島市民病院 外科主任医長
2007年 外科総括部長
2011年 高松市民病院 院長
2018年 高松市病院事業管理者 高松市立みんなの病院 院長

高松市立みんなの病院

住所
香川県高松市仏生山町甲847番地1
代表電話番号
087・813・7171
設立
開院 2018年9月1日
診療科目
内科、外科、小児科、産科、救急科、歯科口腔外科など25科
病床数
305床
地図
URL
http://www.takamatsu-municipal-hospital.jp/
確認日
2019.07.12

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