「選ばれる病院」へ
他業種から学ぶ病院経営

キナシ大林病院 院長 鬼無 信さん

Interview

2009.04.16

医療を取り巻く経営環境は厳しい。変化に対応できない医療機関は生き残れない。2005年、新館が完成したキナシ大林病院の院長に就任した鬼無 信さんは、企業の手法を取り入れ、組織改革に取り組んだ。
医療の高度化・専門化が進む。しっかりした経営が良い医療を提供する。病院の新時代だ。
「選ばれる病院」へ・・・・・・。病院機能評価の認定も取得した。「腎疾患と地域密着」に特化してきた医療実績で、他の施設との差異化を図る。
病院組織は、医療も経営も医師だけではうまく機能しない。医師を取り巻く医療従事者や事務方との連携が欠かせない。決め手はコミュニケーション。「分かりやすい」をキーワードに「選ばれる病院」へ進化する。

※(病院機能評価)
適切な医療を安心して受けられるよう、財団法人日本医療機能評価機構が多方面にわたって医療機関の評価を行うもの。病院の質を向上させることを目的に1995年厚生省(現厚生労働省)の認可で発足した日本で唯一の審査機関。

「患者が中心」チーム医療

医療現場では、さまざまな専門職(コメディカル)がお互いに対等に連携し、患者中心の医療の実現をめざす「チーム医療」が主流になってきた。

「350人の職員が構成する19の部署から、問題をヒアリングして、その解決のためにPDCAサイクルします。計画(plan)、実行(do)、評価(check)、改善(act)を継続的(サイクル)にやっていきます」

コミュニケーションの基本は情報開示だ。診療情報や経費、収入の「見える化」だ。

※(PDCAサイクル)
plan-do-check-act cycleは、工業(製造業や建設業)などの事業活動で、生産管理や品質管理などの管理業務を計画どおりスムーズに進めるための手法。

※(コメディカル comedical)
臨床検査技師、診療放射線技師、理学療法士など医師以外の医療従事者の総称。

ヒヤリ・ハット

鬼無さんは、企業から組織改革の手法を学習した。「産業医をしていて、特に製造業で、ヒヤリ・ハットや、KY(危険のK、予知のY)運動への積極的な取り組みを目にしました」。重大事故の陰に30倍の軽度事故と300倍のニアミスが存在するといわれる。医療機関は企業よりリスクが多い。ヒヤリ・ハットへの取り組みが不十分だと気づいた。
キナシ大林病院を、第三者機関の日本医療機能評価機構が認定した。新しいキナシ大林病院の合格通知だ。
「昨年の3月に人間ドックで、8月に病院部門で評価を頂きました。やっといま土台を作ったところです」。患者さんが来やすい、職員の働き甲斐のある、地域から信頼される病院を目指してスタートだ。

※(ヒヤリ・ハット)
重大な災害や事故には至らないものの、直結してもおかしくない一歩手前の事例。

※(KY運動)
危険予知をする事により、危険な行動や作業、労働災害を防止する運動。

地産地消の医療資源

良い医療を提供して地域住民の健康と暮らしを支える。それを可能にするのはしっかりした経営だ。

1767年、香川郡上笠井村鬼無に、初代の大林弥八郎が、腎疾患に効能のある漢方を用いて大林和漢洋院を開業した。
1967年までは小さな医院だった。腎臓病を主体に発展させようと病院にして、前年日本で始めて導入された人工腎の透析療法を、2年後の68年四国で最初に始めた。
「8代目の大林幸先生(故人)と会長の大林誠一先生のお二人が、力を注がれ、岡山大学の先生に来てもらって教わったんです。それと平行して腎生検という病状の軽い腎炎の検査や、治療も始めました」。2世紀以上継承してきた伝統の上に、腎臓病診療の実績を重ねて地域中核病院の役割を果たしてきた。

鬼無さんも地元の生まれだ。盆栽の基礎を築いた鬼無甚三郎は曾祖父だ。「大林公一理事長も私も代々地元です。病院は地域のための医療を、地域の人材で支えるのが自然です」
職員数350人のおよそ半数が地元の人たちだ。親、子、孫と3代勤めている人もいる。「地域の人は病院の良いところも悪いところもわかります。信頼という意味でも責任は大きいと思います」。医療の地産地消。キナシ大林病院の大切な医療資源だ。

コンビニ受診

救急車の受け入れを周知徹底している。「当直医が外科医のとき、手違いで内科の救急患者さんが来ることがあります。外科医のやれる範囲で診ますが、もし手に負えない場合は地域連携で他の病院が対応してくれます」
緊急性が無いのに救急車を呼ぶ人が増えている。「夜中のコンビニ受診です。モラルの問題だとも思います。しかし夜中に年配の女性がこられたら、母親だったらと自分に置き換えるのが医療の基本です」
夜は勘弁してほしい医師側のニーズ。夜も診て欲しい患者側のニーズ。「医者の仕事も生活の手段です。しかし医療は使命感とともにあります。夜働く医師のモチベーションを上げるために、夜間勤務の報酬を高くする。それが最も妥当な方法でしょう」

システムを次に引き継ぐ

新館建築が縁で、合田博史さんが事務長に就任した。鬼無さんと共に組織改革に取り組む。「出来ない理由を探さない人物です。お互いが知っている名前の重複しない企業ほど発展すると教えられました。世間の狭い医者の私には新鮮でした」

鬼無さんの趣味はアマチュア無線だ。21メガヘルツの電波は数千キロ先に届く。アフリカだったらスワヒリ語をしゃべる人達とコンタクトすることもある。「ハロー」・・・・・・。片言の英語が通じる。未知との遭遇は痛快だ。
自分と異なるものの良いところを認めて受け入れる。鬼無さんはそれが進化だと確信している。「選ばれる病院」へ進化する。それを次に引き継ぐ。鬼無さんの仕事はこれからだ。

学校が「家」だった

鬼無さんの父親は、職業軍人でB級戦犯として公職追放された。「戦後の10 年間は無職で、あげくに鉄道に勤めていた兄が脊髄を悪くして長い間入院して、母親は兄の看病でいつも留守でした」。父親の仕事は無い。毎日、塩さばでご飯を食べた記憶がある。
小学生の時、母のいない家より学校にいる時間が多かった。「『学校におったらええよ』と言ってくれたんです。良い先生に恵まれて、幸せな小学校生活でした」。毎日6時ぐらいまで学校で、図書館の本を半分以上読んでしまった。
「家で勉強なんか全然しなかった。ただ先生のひと言ひと言が頭に入って、今でも記憶に残っていますし、小学校と中学校の先生の名前をすべて覚えています。その恩師が通院して来られます。懐かしいですね。いまは私が先生ですから『そんなことをしたらだめじゃないですか・・・・・・』と恩師を叱ります」

キナシ大林病院の理念

◾患者さん中心の医療
◾高水準の医療の提供
◾地域の健康を支援する病院
◾働きがいのある職場つくり

鬼無 信 | きなし まこと

略歴
1950年 高松市生まれ
1968年 香川県立高松高校卒業
1974年 山口大学医学部卒業
    岡山大学医学部第三内科入局、膠原病と
    腎臓病に関して研究
1981年 医療法人財団博仁会キナシ大林病院内科勤務
2003年 医療法人財団博仁会キナシ大林病院副院長
2005年 医療法人財団博仁会キナシ大林病院院長 現職
    香川大学医学部卒後研修委員、香川大学医学部
    臨床教授、医学博士、日本腎臓学会指導医、
    日本リウマチ学会指導医、日本透析医学会指導医

医療法人財団博仁会 キナシ大林病院

住所
香川県高松市鬼無町藤井435-1
代表電話番号
087-881-3631
設立
1790年
事業内容
病院:内科、消化器内科、循環器内科、呼吸器内科、腎臓内科、神経内科、乳腺内分泌外科、糖尿病内科、心療内科、外科、消化器外科、脳神経外科、 整形外科、形成外科、泌尿器科、人工透析内科、リハビリテーション科、眼科、放射線科、麻酔科、生活習慣病健診、人間ドック
沿革
1790年(明和年間) 医院開設
1966年 旧国道11号線沿いに、病院として新築開院
1968年 四国で初めて血液透析を開始
1974年 医療法人財団博仁会を設立
2005年 現在地に新築移転、鬼無信院長就任
2008年 日本人間ドック学会・人間ドック健診施設
    機能評価を認定
    日本医療機能評価機構・病院機能評価を認定
地図
URL
http://www.obayashihp.or.jp/
確認日
2009.04.16

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