
平氏が拠点とした総門の跡。高松藩初代藩主・松平頼重は冠木門(かぶきもん)を建て、その古跡を表した
この頃、新居、羽床、大野、三野ら讃岐藤原氏を中心とする讃岐武士が、平氏を見限って源氏方につき、手柄をたてようと、下津井(現・倉敷市下津井)の平氏の陣に対して、阿波の武士と一緒に十数隻の船団を組んで2千余人で攻め寄せます(下津井の戦)。ところが、平氏から反撃を受けて京へ逃げ上がります。その途上、追撃してきた平氏と淡路島で戦いとなり、讃岐武士百数十人が討死したといいます。
翌2月、平氏は一ノ谷の戦いで源義経に敗れ、再び屋島に戻ります。これに対して、同年9月、源範頼(のりより)率いる平氏追討軍が京を出発して西国へ向かおうとしていました。このとき鎌倉の源頼朝は京へ逃げてきていた讃岐武士を御家人とし、橘公業(たちばなきんなり)の配下で範頼軍に加わるよう命じます。そして、同年12月、範頼軍は児島の藤戸海峡(現・倉敷市藤戸)で平氏と戦いになり、敗れた平氏は屋島へと逃れます(藤戸の戦)。範頼軍はさらに西へ向かい、翌年(1185)2月、九州を制圧します。
その直後、義経率いる50騎が暴風雨の中を摂津渡辺津を出帆して阿波勝浦に上陸し、参陣した阿波武士の100騎を加え屋島へ向かい、2月19日、平氏を背後から奇襲します。源氏方についた讃岐武士は範頼軍には加わっていたようですが、義経と共に戦ったという記録は残念ながら無いようです。
村井 眞明
歴史ライター 村井 眞明さん
- 多度津町出身。丸亀高校、京都大学卒業後、香川県庁へ入庁。都市計画や観光振興などに携わり、観光交流局長を務めた。
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